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日本共産党

2018年3月27日(火)

シリーズ 憲法の基礎

米ソ冷戦 日本を「防壁」に

 日本国憲法の施行後1年もたたない1948年から日本再軍備と憲法9条改定の動きが米国軍部内で起こった背景には米ソ冷戦がありました。

 米国は、第2次大戦を通じて強大化した軍事力を戦後も世界中に展開し、軍事基地網を張り巡らす政策を早くから追求していました。大戦終結後、東ヨーロッパにソ連の影響が広がり、アジア地域でも民族解放闘争や社会主義を標榜(ひょうぼう)する運動・国づくりが進む中、米国は、国連中心の平和な国際社会建設よりも、自らの支配・影響力を広げる政策の展開に踏み出します。

 47年3月にはトルーマン米大統領が議会での一般教書演説で、ギリシャ・トルコに対し「共産主義者」の革命闘争を鎮圧するため経済・軍事援助を行い、ソ連はじめ「社会主義国」に対する「封じ込め政策」を取ると宣言しました(トルーマン宣言)。また米国のマーシャル国務長官は、同年6月、経済復興援助と引き換えに、共産主義者を政府機関や労働組合などから追放させる計画(マーシャルプラン)を明らかにし、同11月には同計画について「欧州での共産党支配を阻止するための武器なき戦い」と述べました。

 翌48年1月には、ロイヤル米陸軍長官が演説で「日本を全体主義の防壁に」と宣言しました。ここでいう「全体主義」とは、戦前のファシズムや日本軍国主義だけでなく、ソ連を中心とした「共産主義」陣営を指す言葉でした。

 米国はポツダム宣言で示された日本の民主化・非軍事化という任務を投げ捨て、日本を東アジアの軍事拠点とする方針へと転換していきました(米国家安全保障会議決定・NSC13/2)。「逆コース」と呼ばれる占領政策の転換です。この中で「日本の限定的再軍備」構想(48年5月)が打ち出されました。

 50年6月、朝鮮戦争の勃発に前後して、GHQ(連合国軍総司令部)は日本共産党機関紙「アカハタ」の発刊停止を指令するなど日本共産党を弾圧。朝鮮での戦況が激化し、在日米地上軍が朝鮮半島に派遣される動きの中で、警察予備隊の創設(同8月10日、54年に自衛隊として発足)が発令されたのです。(随時掲載)


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