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2016年9月4日(日)

ソ連に屈しなかった名花

チャスラフスカさんを悼む

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大高 節三

写真

(写真)チャスラフスカさんのインタビューを報じた1990年5月13日付「赤旗」(拡大図

 東京五輪(1964年)、メキシコ五輪(68年)の女子体操で合計金7、銀4を獲得し「五輪の名花」とうたわれた旧チェコスロバキア出身のベラ・チャスラフスカさんが8月30日、プラハでなくなりました。74歳でした。

 チャスラフスカさんは体操選手として非凡だっただけでなく、ソ連の支配に対しても屈することがありませんでした。

 私がチャスラフスカさんに会ったのは、ソ連の軍事侵略をはねのけて民主化運動が進み、ソ連も侵略の非を認めざるをえなくなった90年5月。ハベル新大統領のもとで顧問の一人に迎えられ、民主化の推進に忙しい日々を送っているときでした。

 超多忙のなかで応じてくれたインタビューの場所は、プラハのストラッホフ・スタジアムの体操練習場。少女たちにたいする指導の最中でした。

 「こんなところですみませんが」と話しだしたのは、ソ連の侵略への怒りでした。

 「私は職を失いました。40回も聞き込みや盗聴をされました。社会的不公正がまかり通り、人々は自由がないことに苦しみました。でも私は、よいことは必ず勝利すると信じていました」

 周りでは、練習中の少女たちが熱心に聞き入っていました。

 「スポーツは、不屈さ、原則的であることを教えてくれました。抑圧下にあってもスポーツは私に力を与えてくれます」

 「日本の人たちが、世界が私を支えてくれました。私は何度も日本に行ったことがあるので、日本共産党がソ連共産党などと違うことは知っています。日本共産党は権力を悪用したりせず、思想と理想をもって努力している党です」と理解を示しました。そしてソ連の武力侵攻を厳しく批判し、即時撤退を要求した日本共産党に感謝していました。

 晩年は病に伏せることが多かったと聞きます。心からご冥福をお祈りします。(おおたか・せつぞう 元赤旗外信部長)


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