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2016年9月2日(金)

2016とくほう・特報

関東大震災時の朝鮮人虐殺・亀戸事件

軍・警察、扇動された自警団が実行

戒厳令下での国家犯罪―「緊急事態条項」の危険示す

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 1923年9月1日に起きた関東大震災のとき、戒厳令による軍の支配下、多くの朝鮮人、中国人の虐殺、社会主義者の殺害などが軍隊や警察、流言に扇動された自警団などによって引き起こされました。今日、災害時などに人権停止、国民に服従義務を課す自民改憲案の緊急事態条項が問題になる中、この国家的犯罪がなぜ起きたのか、未解決の問題について見ました。(山沢猛)


 政府は当時、9月2日に戒厳令をほぼ現在の東京23区の範囲で施行し、その後、3日に東京全域と神奈川県、4日に千葉県と埼玉県と順次拡大しました。戒厳令は軍隊が治安確保の役割を担いました。実弾を装備し東京に乗り込んだのは、千葉県に駐屯していた騎兵と重砲兵の連隊でした。震災当初、彼らは警察や自警団と一緒になって「朝鮮人狩り」に奔走しました。

 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火した」「暴動を起こした」などの流言が早くも1日夕方から流されました。しかし、軍隊や警察は「不逞(ふてい)」を働く朝鮮人の集団を発見できませんでした。

東京や横浜 中国人虐殺

 震災後、朝鮮人青年たちが被災者を「慰問」するという名目で虐殺の調査を行い、犠牲者は6000人余りという調査結果を残しました。これは推定を伴った調査によるもので、最近の研究では数千人といわれます。

 「犠牲者数を厳密に確定するのが難しいのは、遺体が隠されたり、調査を妨害されたためです。本来政府がやるべきことを、地域で証言を集め事実がわかりました。虐殺への軍隊の関わりは戒厳司令部の内部資料にもあります。政府は責任を認めて調査すべきです」。こう語るのは専修大学の田中正敬教授。関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会事務局長も務めます。

写真

(写真)田中正敬専修大学教授

 中国人の虐殺は生存者の証言によると、現東京都江東区にあった大島町や横浜での犠牲者が多く、江東区だけで名前の分かった犠牲者数は600人に上るといいます。

 東京府下の亀戸(かめいど)警察署で社会主義者らが殺された亀戸事件が起きました。9月3日に震災の救援活動に参加していた南葛労働会の川合義虎(日本共産青年同盟初代委員長)ら8人と、平沢計七ら2人が亀戸署に捕らえられ、翌4日夜半、習志野騎兵第13連隊の手で殺されました。川合らと労働争議をめぐり対立していた警察と、軍隊が合議の上で殺害したものです。

 9月16日になって無政府主義者の大杉栄が妻・伊藤野枝やおいとともに甘粕正彦憲兵大尉に殺害されました。

内務省指令 自警団組織

 朝鮮人虐殺には内務省が関わっていました。内務省は警察や地方行政を管轄する官庁で、9月3日朝、警保局長名で全国の県知事宛てに海軍の船橋無線送信所から電文を送りました。

 「朝鮮人は各地に放火し」「爆弾を所持し」ている者もいるので、「東京府下には、一部戒厳令を施行した」、各地では「鮮人の行動に対しては厳密な取締を加へられたし」という、全国で朝鮮人の取り締まりをせよという指令でした。

 これをうけて各県庁から町村の役場に指令し民間組織の自警団をつくらせました。

 埼玉や群馬では内務省の指示や新聞の流言報道のなかで各町村に自警団が組織されました。自警団は、警察が朝鮮人を群馬県方面に送った中山道筋や、朝鮮人が収容された警察署に押しよせ朝鮮人を襲いました。両県の各地で事件が確認されており、犠牲者数は埼玉で200人以上、群馬では20人近くという調査があります。

 のちに虐殺を担った自警団の人物が裁判にかけられましたが、代表者のみで情状酌量による軽い刑で終わりました。軍事法廷にかけられた甘粕大尉以外、軍隊と警察は裁判にもなりませんでした。

 同年12月、当時の帝国議会で無所属の田淵豊吉議員が、政府が議会に報告しないことを批判、「千人以上の人が殺された大事件を不問にしてよいのか、朝鮮人であるからよいという考えなのか、われわれは悪いことをしたら謝罪するのが礼儀だと思う」と追及しました。山本権兵衛首相は「政府は目下取り調べ進行中」とのべただけでその後あいまいにしてしまいました。

運動の高揚恐れた政府

 この虐殺の背景をどうみたらよいのでしょうか。

 関東大震災は「帝都」での大地震で、1910年の韓国併合による朝鮮半島にたいする日本の植民地支配、1919年の3・1独立運動という半島全体に広がった抗日の運動の数年後に起きました。

 田中氏は「朝鮮人を蔑視し、独立をめざす人々を『不逞鮮人』と呼んだ。また朝鮮と日本の労働運動が結びつき高揚しようとしていた。このような運動の高まりを恐れた支配者の恐怖心が軍隊の支配下での虐殺につながっていったのです」とのべます。

 田中氏が問題にするのは、石原慎太郎元東京都知事が自衛隊式典で外国人に対する治安出動を求めた発言(2000年4月、陸自練馬駐屯地)です。

 この中で「不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」「もし大きな災害が起こったときには騒じょう(=社会秩序の混乱)事件すら想定される。そういうときに皆さんに出動していただき治安の維持を遂行してほしい」と述べました。

 三国人とは、アジア諸国出身で日本国内に居住する人々への差別的呼称です。

 「この発言は軍隊を動員し朝鮮人虐殺を引き起こした当時と同じ思想です」と田中氏は警告します。

 こうした懸念が現在の問題であることを、安倍首相が改憲論議の「ベース」にするという自民党改憲草案が示しています。同草案では大災害時などに緊急事態を発動し首相一人に権限を集中する、国民に服従義務を課すと明記しています。「そんなことをすれば人権抑圧を含まざるをえない。国家の中の人間を救わないで何を救うのか。民主主義の考え方と全く相いれない」と田中氏は批判します。

事件未解決 国は謝罪を

 戦後、在日韓国・朝鮮人や日本人の手により、各地で犠牲者の追悼行事が行われるようになりました。しかし、市民の努力にもかかわらず、いまだに犠牲者の名前さえほとんどわかっていません。

 田中氏は「それは政府自身が流言を広げ、軍や警察が朝鮮人を虐殺し、その責任を追及されるのを恐れて事件を隠ぺいしたからです。この事件は未解決であり、国家は自らの責任を認めて遺族に謝罪し、隠された真相を明らかにすべきです」といいます。

 「この事件では朝鮮人以外に、中国人、日本人も殺されました。事件の性格は民族問題ですが、普遍的な人権の問題でもあります。災害時はできるかぎり多くの人命を助けるという基本から出発しないと関東大震災時のようなことがまた起こりかねない」といいます。


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