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2016年8月19日(金)

「9条は幣原提案」 新史料

マッカーサー書簡に明記 堀尾・東大名誉教授が発見

「押し付け憲法」論を否定

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 戦争放棄をうたった憲法9条のアイデアは、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時)が連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーに提案したという学説を補強する新たな史料を、堀尾輝久・東大名誉教授が発見しました。安倍晋三首相ら改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国に押し付けられたもの」とする論拠を覆す内容です。秋の臨時国会から憲法審査会で改憲論議がねらわれるなか、憲法の制定過程をゆがめて議論をすすめることは許されません。(深山直人)


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(写真)堀尾輝久・東大名誉教授

 9条は、1946年1月24日に幣原首相とマッカーサー最高司令官との会談が発端となったとみられています。マッカーサーは「幣原首相の発案」と米上院などで証言していますが、幣原は9条の発意について長く口を閉ざしていたことから「信用できない」とする意見もあり、だれが提案したかについては見解が分かれています。

 堀尾氏は、57年に当時の岸信介内閣のもとで改憲の議論を始めた憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の制定過程を調査するため58年に渡米したことを重視しました。

 高柳は、マッカーサーとの往復書簡を踏まえて、「わたくしは幣原首相の提案と見るのが正しいのではないかという結論に達している」と論文に書いていましたが、書簡の具体的内容についてはこれまで不明でした。

 堀尾氏は、国会図書館所蔵の憲法調査会関係資料を探し、今年1月、英文の書簡と調査会による和訳を見つけました。

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(写真)マッカーサーの回答(訳文は憲法調査会)

 この書簡は、高柳の質問にマッカーサーが回答したものです。58年12月15日付で「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案に驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」とマッカーサーは述べています。

 これに先立つ12月5日付の書簡でマッカーサーは、「(9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原首相の先見の明と経国の才志と英知の記念塔として、朽ちることなく立ち続けることでありましょう」(堀尾氏訳)とたたえています。

 堀尾氏は、「マッカーサーは同じような証言を米上院や回想録でもしていますが、質問に文書で明確に回答した書簡は重い意味があります」と話します。

“反戦平和のうねり結実”

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(写真)マッカーサーと高柳憲法調査会長との書簡を収載した憲法調査会の史料

 幣原首相はなぜ、戦争放棄をうたった憲法9条のアイデアをマッカーサーに提案したのでしょうか。

 幣原は1946年3月27日、自身の内閣がつくった「戦争調査会」の開会あいさつで、原爆よりもさらに強力な破壊的新兵器も出現するであろうときに、「何百万の軍隊も何千隻の艦艇も何萬の飛行機も全然偉力を失う」とのべ、「世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私どもと同じ(戦争放棄の)旗を翳(えい)して、遥(はる)か後方から付いてくる時代が現れるでありましょう」と述べました。

 幣原は、秘書官だった平野三郎氏による聞き取り(51年2月)に対しても「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」と述べています。

 一方で幣原は、戦争放棄と天皇制維持をセットで提案したかったが、敗戦から間もない状況で日本側から提案することはできず、「憲法は押し付けられたという形をとった」と説明しています。

 堀尾氏は「今回の新史料を、こうした発言とも重ねあわせると、9条が幣原の発意であったことにいっそう確信が持てると考えます」と言います。

 幣原が、こうした提案をした社会的背景に何があるのか。堀尾氏は平和思想、国内外の反戦の流れを指摘します。

 「日本にはもともと中江兆民、田中正造、内村鑑三らの平和思想があり、戦争中は治安維持法で抑圧されていましたが、終戦で表に出てきて、国民も『戦争はもう嫌だ』と平和への願いを強めていました。国際的にもパリ不戦条約をはじめ戦争を違法なものとする運動が広がっており、外交官でもあった幣原もその流れを十分認識していました。さらに、原爆と戦争の惨禍を体験して、侵略への反省、反戦と平和への希求の大きなうねりが先駆的な憲法前文と9条に結実していったと考えます」

 安倍首相は、今秋から国会の憲法審査会を動かすとのべ、改憲に執念を見せています。堀尾氏はこう強調します。

 「9条は日本国民が求めてきたものであり、だからこそ国民は改憲を許してきませんでした。同時に、憲法の制定過程からも占領軍の押し付けではなく、日本側の提案を受けたものであることが明りょうになっています。世界中が戦乱の危機にあるいまこそ9条の理念を世界に広げ、平和を築いていく方向でこそ議論するべきです。これは憲法前文が求めていることなのです」

 幣原喜重郎 1872〜1951年。外相を4回務め、国際協調、軍縮路線を主張したとされます。終戦後の45年10月から首相となり、現憲法の制定にかかわりました。

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