「しんぶん赤旗」
日本共産党
メール

申し込み記者募集・見学会主張とコラム電話相談キーワードPRグッズ
日本共産党しんぶん赤旗前頁に戻る

2016年7月2日(土)

沖縄戦体験者と志位委員長が懇談

野党共闘「すごく期待」

身元不明孤児問題いまも

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 mixiチェック

写真

(写真)戦争体験をした人たちと懇談する志位和夫委員長(左)=1日、那覇市

 日本共産党の志位和夫委員長は1日、参院選の遊説で訪れた那覇市城岳公園の「二中健児の塔」の前で、沖縄戦体験者らと懇談しました。体験者らは、凄惨(せいさん)な地上戦による家族との離散や米軍収容所での非人間的扱いを語りながら、戦争を拒否する思いの原点や本土での野党共闘の広がりに対する期待を志位氏に伝えました。


 「二中健児の塔」は、沖縄県立第二中学校(現那覇高校)の生徒・職員らの戦死者の「慰霊碑」。元高校教諭の大城宏捷さん(79)は、那覇市の空襲の惨状を話し、「辺野古の美しい海を埋め立て、人殺しの基地をつくっては絶対にいけない」と要望。上原源栄さん(85)は、沖縄のような野党共闘が本土でも広がっていることにふれ、「すごく期待している」と語りました。

 志位氏は、2014年に新基地反対の民意を示した一連の選挙を受け、「『オール沖縄』方式で(全国で今の)野党共闘ができた」と強調。「県民と本土のたたかいが合流すれば、政治は変えられる」と展望を語りました。

 戦中に家族とはぐれ、孤児として戦後をすごした親泊美根子さん(76)と、終戦40年後に再会した姉の安里光子さん(79)は、姉妹で懇談に参加。光子さんは凄惨な光景が今も胸に刻まれているとし、「この体験を二度と子や孫にさせてはいけない」と不戦への思いを語りました。

 遺骨収集家の具志堅隆松さん(62)は、米軍収容所で孤児になりながら、自分の名前もわからないまま戦後71年を過ごしてきた身元不明孤児の問題を紹介し、「戦争責任として国に対応してほしい」と訴えました。

 志位氏は「身元不明孤児の問題は党としてもしっかり受け止め、政府に対策を求めていきたい」と約束しました。


見本紙 購読 ページの上にもどる
日本共産党 (c)日本共産党中央委員会 ご利用にあたって