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2015年5月15日(金)

戦争法案 究極の対米従属

戦地に若者 “血の同盟”宣言

閣議決定 背景と狙い

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 「国民の命と平和な暮らしを守りぬく」。14日夕、戦争法案を閣議決定した直後の会見で安倍晋三首相はこう力説しました。しかし、事実は異なります。法案が国会に提出されてもいない4月29日、米上下両院合同会議での演説で「夏までの成立」を公約したように、安倍氏の念頭にあるのは米国への忠誠です。日本の若者の血をささげ、同盟関係における自らの地位を確保する―。対米従属の極みともいえる違憲立法です。 (竹下岳)


9条の“歯止め”を外す

 「確実に犠牲者が出る」―。自衛隊のイラク派兵(2003〜08年)などを仕切ってきた柳沢協二元内閣官房副長官補は安倍内閣が決定した戦争法案について繰り返し警告しています。これは決して杞(き)憂(ゆう)ではありません。

 「軍事同盟というのは、“血の同盟”です」。自民党幹事長だった04年1月の著書(『この国を守る決意』)でこう発言しているように、安倍氏のそもそもの思惑は、「戦死者」を前提にした日米同盟につくり変えることにあったからです。

 1990年代以降、日本は米国の要求に従って自衛隊の海外派兵に踏み切り、「専守防衛」を転換。03年5月の日米首脳会談では、「地球規模の日米同盟」を宣言するにいたりました。

 一方、一連の派兵は、03年12月から始まったイラク派兵の至上命令が「全員無事帰国」だったように、“血を流さない”ことが大前提でした。「海外で武力行使しない」という憲法の“歯止め”があったからです。

 このあり方を変えるためにどうするか。安倍氏は前出の著書で、「今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない」として、米国に自衛隊の“血”をささげるため、憲法解釈変更による「集団的自衛権の行使」を掲げました。

 第1次安倍政権下の07年5月、名うての解釈改憲派を集めて「安保法制懇」を発足させ、集団的自衛権の行使容認や海外派兵での武器使用基準の変更などに着手しました。

 この野望は安倍首相の退陣でいったん途切れましたが、第2次政権下で再開された安保法制懇は昨年5月、海外での武力行使を全面的に解禁する報告書を首相に提出しました。

 首相はこれに基づいて同年7月に「閣議決定」を行い、今年2月からの自民・公明両党の与党協議を経て、「閣議決定」を法制化する戦争法案の閣議決定に達したのです。

 戦争法案は、集団的自衛権の行使容認にとどまりません。自衛隊の海外での活動の地理的な限定をなくし、従来は除外していた「戦闘地域」での活動や「妨害排除」のための武器使用も可能にしています。米国のあらゆる戦争に参加して、「切れ目なく」自衛隊員の血をささげる内容になっています。

「夏までの成立」へ暴走

 安倍氏は、集団的自衛権の行使容認で日米が「対等」になるかのような幻想をふりまいてきました。

 第2次政権の構想(「新しい国へ」)で、こう述べています。「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等になることです」。しかし実態はどうでしょうか。

 「日米ガイドラインの作業が始まるまでに間に合えばいい」

 戦争法案の与党協議の座長を務めた高村正彦・自民党副総裁がこう述べていたように、戦争法案の検討は当初から、日米軍事協力の指針(ガイドライン)再改定と一体で進められていました。

 新指針は「日米同盟のグローバルな性質」を強調しました。カーター米国防長官は4月27日の記者会見で、「新指針は地理的な制約がなくなった」「日米が世界中のどこでも、ともに行動できる」と述べ、自衛隊が米軍とともに地球規模で行動できるようになったとの認識を示しました。

 新指針では、米国の任務は従来通りにとどまっている一方、自衛隊の活動は地球規模に無制限に広がりました。日米が相互に「助け合う」などというものではありません。米側が新指針と一体の「戦争立法」で求めているのは、自衛隊を米軍の地球規模での補完部隊にすることです。

 海外派兵における憲法の“歯止め”は、アメリカいいなりだった歴代自民党政権の、主権国家としての“最後の矜持(きょうじ)”と言えるものです。

 これすら投げ捨て、自国の若者の命をささげる法案の成立時期を国民より先に米国に公約する、「夏までの成立」という公約を果たすために、過去、数国会、数百時間にわたって議論してきた一連の海外派兵法、有事法制を「一括法」として処理する―。こんなやり方をまかり通らせてはなりません。

図
(拡大図はこちら)

 

        戦争法案までの経緯

 1991・4 機雷掃海で自衛艦をペルシャ湾に派遣

   92・6 国連PKO法成立

   97・9 日米軍事協力の指針(ガイドライン)改定

   99・5 周辺事態法成立

 2000・10 「アーミテージ報告」で憲法解釈の変更を要求

   01・10 テロ特措法成立

   03・6 有事法制成立

      7 イラク特措法成立

   07・5 第1次安倍政権発足で安保法制懇が発足

   13・2 第2次安倍政権で安保法制懇談が再開

   14・5 安保法制懇が報告書提出

      7 安倍政権が集団的自衛権行使容認の「閣議決定」

   15・4 ガイドラインを再改定

      5 安倍政権が戦争法案を閣議決定


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