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2013年10月11日(金)

「古典教室」第1巻を語る

マルクスを読み いまに生かす

社会変革決める「上部構造」の闘争

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 2010年12月から約1年続いた「綱領・古典連続教室」のなかの「古典教室」第1課『賃金、価格および利潤』(マルクス)と第2課『経済学批判・序言』(同)が1冊の本になりました。講義を担当した不破哲三さん(党社会科学研究所所長)と、石川康宏さん(神戸女学院大学教授)、山口富男さん(党社会科学研究所副所長)の3人に本の魅力などを語ってもらいました。


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(写真)神戸女学院大学教授 石川康宏さん(左)、党社会科学研究所所長 不破哲三さん(中央)、党社会科学研究所副所長 山口富男さん(右)

全体の特徴 

マルクスの声が聞こえる

 ―今回の『古典教室』全体の特徴からお話しください。

 不破 「連続教室」は、日本共産党綱領と科学的社会主義の理論そのものとをあわせて勉強しようというのが大きな特徴で、志位和夫委員長が党綱領、私はマルクス、エンゲルスの古典をテキストに講義を担当しました。党本部の中央会場をネット通信で全国につなげるという方式で、申し込みは2万人を超えました。

 その講義を3巻にまとめたわけで、そのさい「まえがき」に書きましたが、とくに四つの点を考えました。

 第1は、テキストの問題です。マルクス・エンゲルスの科学的社会主義の理論のあらましを勉強してもらおうとなると、その構成部分全部を考える必要があります。いままでマルクス主義の構成部分というと、世界観(哲学)、経済学、未来社会論(社会主義論)の三つが大事だと言われていましたが、私はそれに革命論をくわえて「四つの構成部分」とし、その全体をわかってもらうように、テキストを選びました。

 第2は、今度の講座は初歩の人も多いと思い、古典そのものをいっしょに読みながら解説していこうと考えました。

 第3は、その古典が書かれた当時の世界の歴史と、マルクス・エンゲルスの思想の発展の歴史、この二つの面で歴史の流れをつかんでもらうことに力を入れました。私自身、初めてマルクスを読んだ時、そこがわからないで苦労しましたからね。

 最後に、古典が日本共産党綱領にどう生きているかです。この理論を今日の日本と世界に生かし、私たちの活動の指針にしているのが綱領ですから。

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(写真)新日本出版社・1600円(税別)

 山口 今回の『古典教室』は、要を成す命題や用語を全部マルクスの言葉で説明する立場が貫かれていて、「マルクスの声が聞こえる」ように読める面白さがあります。「マルクスは初めて」の人を含めインターネット通信を使って2万数千人という規模で行った、そういう新たな舞台で生まれた古典研究の一つの成果だと感じます。

 不破 いま世界の共産党の中でマルクス・エンゲルスを直接読む、それをいまに生かすつもりで読んでいるという党は日本共産党以外にないのです。綱領と古典を両方つかみながらの、これだけの規模の教室というのは、党の歴史でも初めてのことでした。

 石川 不破さんの『マルクスは生きている』は、唯物論、資本主義、未来社会論の順での解説でした。今回、資本主義論を最初にした狙いはどのあたりに?

 不破 いまの社会をどう見るかから入るのがわかりやすいと思ったんです。それで『賃金、価格および利潤』を最初のテキストにしました。

第1課『賃金、価格および利潤』

価値論・搾取論ふまえ賃金闘争の戦術提起も

 ―1課の『賃金、価格および利潤』に入りたいと思います。

 山口 これは、マルクスがインタナショナルの評議会で、経済学を知らない人でもわかるように話を組み立てて行った講演で、不破さんは講演が生まれた経過をインタナショナルの議事録で追っていますね。

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(写真)不破哲三・社会科学研究所所長

 不破 1982年にイギリスに行ったとき、ちょうどマルクス没後100周年の前年で、テレビでもマルクスをやる、マルクス本が出るという時期で、本屋へ行ったらこの議事録6冊がそろってあった。これはと思って買ってきたのです。

 これを読むと、各国のストライキの支援などを議論している最中に、ウェストンという人が労働組合無用論を言うのです。討論しようとなって、その後、マルクスが2回にわたって反論の講義をする、その経過が全部、議事録でわかります。その時の報告文書が『賃金、価格および利潤』なのです。

 会合に集まっている人たちは、経済学の知識もほとんどない人たちばかりです。そこで、マルクスがいま書いている最中の『資本論』のエキスを話し、賃金闘争や労働組合の意義をとき、労働者階級の本当の解放の道は何かまでわからせるのですから、本当にみごとな講演でした。

 山口 翌年開いたインタナショナル最初の大会・ジュネーブ大会で、労働組合についての決定が採択されますが、そこでは「労働者階級の完全な解放」という任務までうたわれましたね。

 この講演は、ともすれば経済学の入門書ということで、価値と剰余価値のところ(第6章〜11章)を一生懸命に読むが、賃金闘争論(第12章〜14章)は流し読むことになりがちですが、もともと、たいへん実践的なたたかいの課題に対処する講演だったのですね。

 不破 この国際組織の評議員は、イギリスでいうと労働組合の幹部で、後にはずっと体制寄りになる人たちも多いのですが、こういう人たちも、インタナショナルでマルクスとともに活動するなかで、“社会主義が当然だ”という方向に変わってゆく、マルクスの講演はその一つの転機になったといえますね。

 いま、後半部分はあまり熱心に読まれなかったという話が出ましたが、価値論を基礎に搾取の仕組みを話したところで終わりではなく、マルクスは、そこから賃金闘争はいかに必要か、労働者は資本のその搾取にたいしてどうたたかうべきかを詳しく説明しています。こういう話は、『資本論』にもどこにも出ていません。この講演でしかやっていない話なのです。

 戦後、日本で労働組合運動が復活したときに、このテキストで勉強した組合幹部が、資本家との交渉にそれを使って「価値通りの賃金をよこせ」といったりしたことがよくありました。

 しかし、マルクスは、そんなことはいっていないのですね。マルクスは、「労働力の価値」は好況不況を通じての労賃の平均値なのだから、どんな経済情勢のもとでも頑張ってたたかわなければダメだ、「景気がいい時に、うんととっておかないと、不況の時に損するぞ」ということなど、非常に実践的な形で、問題を提起しています。

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(写真)石川康宏・神戸女学院大学教授

 石川 その種の議論は、いまでも賃金論の分野にけっこう残っているんですよ。本来払われるべきものが労働力の価値であって、現実がそこに追い付いていないから、そこを埋めるのが賃金闘争だという筋立てですね。

「時間は人間の発達の場」未来社会の方向を示す

 山口 古典教室の中でも反響が大きかったのは、労働時間の短縮をめぐって「時間は人間の発達の場だ」というところ、ここに、資本主義社会の変革と社会主義社会の実現を展望する一つの重要な原動力があるというところです。

 石川 党綱領改定の時に議論したところですね。

 不破 これは、労働時間の短縮と「人間の発達」の問題で、マルクスが『資本論』の草稿を執筆しながらずっと追究し続けた中心問題の一つでした。マルクスは、ごく初期には、人間生活から見た未来社会像を、人間が分業にしばられなくなって“朝は狩りをし、昼は釣り、夕方は牧畜をして、夜は哲学にふける”といったイメージで描いたこともありました(『ドイツ・イデオロギー』1846年)。しかし、『資本論』の草稿を書き始めた50年代ごろからは、人間が自由に発達できる社会というイメージが中心になってきて、その自由が労働時間の短縮によって実現されていくという展望を経済学の中でずっと追ってゆくのです。

 65年のインタナショナルのこの講演では、「時間は人間の発達の場だ」という明快な言葉で、未来社会の大きな方向を労働者に向かって話した、これが大事なところだと思います。

 石川 マルクスの経済学研究は、インタナショナルで労働運動の先頭に立った活動と切っても切れない関係にある。そこが非常に教訓的ですね。

資本主義観、革命観の転換の時期の講演だった

 不破 マルクスの活動からいうと、1848年にヨーロッパ各地で起きた革命当時の労働者組織はその後みんなつぶれて、57年に恐慌がきたときには、組織も運動もほとんどない状態でした。それでも、マルクス、エンゲルスは恐慌が起これば社会的激動が起きて必ず革命になると考えて待ち構えていたのです。しかし、恐慌は来たが革命はどこでも起きなかった。これは2人にとって大きな経験でした。

 その中で各国の労働運動がしだいに発展して、イギリスを中心にインタナショナルができる。マルクスはそこへ参加して、たちまちその指導者になってゆきます。この時期が、やはり革命観の転換が起きた時期だと思います。革命は労働者階級が無準備のままで始まるわけではないということですね。

 もう一つ、資本主義観の面では、彼は『共産党宣言』(48年)を書いたときから、恐慌は資本主義が最後の局面にきたことのあらわれだと見てきました。利潤率低下の法則の科学的な根拠を見つけたとき、マルクスはその法則の中に恐慌が起きる根源を見て、1回の恐慌で革命が失敗しても、次にはもっとひどい恐慌がきて社会は変革にむかうという理論だてをしました。

 ところが、65年、この講演をやる少し前に、『資本論』の第2部の最初の草稿を書いているときに、恐慌の起こり方がそうではないことを発見しました。恐慌というのは資本が循環的に発展していく一局面であり、1回ごとに資本主義の危機を深めるのではなく、前よりも高いところで経済的発展がすすむ新しい循環の出発点になるということをつかむのです。ちょうど、その頃はヨーロッパの資本主義が大発展に向かい出した時代でしたから、この新しい見方は経済発展の現実にあうのでした。

 この見方の転換は、この講演にはっきり出ています。そこでは、恐慌が変革の転換点だという言葉は一切なくて、恐慌のときに労働者が賃金闘争をどうやるかが問題だといっています。体制変革の運動は、そういう闘争を積み重ねるなかでの労働者の自覚の発展を基礎にして発展するという論理も組み立てられています。

 恐慌論の仕組みを発見したところで、資本主義の見方も、革命の見方も変わったわけで、それが講演に具体的に示されました。これが経済学にまとまるのは、もうちょっと後、『資本論』第1部(67年)のなかででした。

 そういう意味で、マルクスの理論の発展の中でも、たいへん大事な位置を占めていることを痛感しています。

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(写真)山口富男・社会科学研究所副所長

 山口 階級闘争論が軸にあって理論の発展が行われるという一つのあらわれだと思いますね。

日本の異常な低賃金を一掃し抜本的に引き上げる闘争を

 山口 マルクスがイギリスの10時間労働法(工場法)を「社会的バリケード」と意義づけたことについて、第1課の最後に「補論」と「補注」があって、ていねいに説明されています。

 石川 学習会では「こんな少子化を続けたら社会が壊れるのはわかっているのに、なぜ財界はそんなことをするのか」という質問をよく聞きます。結局、これは資本に期待しても無理なことで、労働者や市民のたたかいにより健全な発展の軌道をつくるしかない。資本の論理を労働者の側が制御する力を持たないとダメということですね。

 不破 そうですね。マルクスは『資本論』で、工場法は労働者が資本家を規制するルールをかちとったものだ、という意味のことを繰り返し言っています。実際、イギリスでも、半世紀にわたる労働者の闘争が、国を動かして法律で資本家に労働時間短縮を強制したのですから。「社会的バリケード」という言葉もそのなかで出てきたものでした。

 石川 賃金をめぐっては、日本の非正規労働者が自分と家族の労働力の再生産費すら受け取っていないということが、マルクスへの疑問として話題になることもあります。

 山口 労働力の価値には、最低限の生活に必要なものという要素と、社会的・文化的要素の二つがあり、文化的要素は闘争でしか決まらない、とマルクスは言っていますね。

 石川 あわせてこのあたりのマルクスの議論では、「労働力の価値」も社会的・平均的に計られているということを押さえる必要がありますね。

 不破 日本のいまの派遣労働者などは、最低生活さえ割っているわけです。こういう状態が何十年も続き、また広がると、これが日本の労働者の当たり前の歴史的生活状態だということになって、労働力の価値そのものに響いてくる危険さえ感じます。こんな異常な状態を一掃して、賃金を抜本的に引き上げる闘争を、労働組合だけの問題にとどめず、日本の労働者階級の賃金水準、いわば国民的な生活水準を決める闘争という覚悟でたたかわなければいけないということです。

 石川 税金、国家予算の源泉が剰余価値だというところも重要ですね。そうして吸い上げられた予算を、たたかいの力で社会保障や医療などに使わせていくことは、労働力の再生産費としてこれを取り返していく意味をもつわけです。

第2課『経済学批判・序言』

マルクスの自己紹介をどう読むか

 ―では、第2課にはいりましょう。

 山口 第2課では『経済学批判・序言』(1859年)を取り上げています。ここでマルクスは史的唯物論について系統的に説明しているのですね。

 不破 ここで述べられている史的唯物論のマルクスのテーゼに「階級」がでてこないことが、実は、昔から悩ましかったのです。『共産党宣言』(48年)では、「社会の歴史は階級闘争の歴史だ」といっているのに。

 マルクスは手紙でも書いているのですが、保守色の強いドイツの経済学界に最初の経済学的労作をもって登場するにあたって、最初から色眼鏡で見られて無視されないように、史的唯物論の定式にあたっても、注意深い工夫をしたのですね。だから、「階級」とか「搾取」「社会主義」などの言葉は使わないで中身を表現したのだと考えて、ようやく腑(ふ)におちました。

 山口 そこで『古典教室』では、経済学批判の序言でのマルクスの自己紹介を、革命家としてのマルクスの活動歴を補いながら読んだわけですね。

 石川 他方で『共産党宣言』の執筆者であることを、マルクスがあらためて確認している文章などもありますね。

 不破 面白いと思ったのは、エンゲルスとマルクスの出会いです。エンゲルスも、ヘーゲル哲学の信奉者という同じところから出発するのですが、イギリスで資本主義の現実と労働者階級の闘争の実際にふれて社会主義に入るのです。マルクスの方は、ヘーゲルの法哲学の社会観を頭にたたきこんで、ライン新聞の編集長になって、そこで経済現象にぶつかり、ヘーゲルの知識では足りないとヘーゲルの法哲学を読み直すのです。『ヘーゲル国法論批判』には、マルクスの体験にたった社会論とヘーゲルの社会論がぶつかって、社会観がひっくり返っていく様子がよくでています。

 だからマルクスが史的唯物論に到達したときには、社会をとらえる諸概念が相当整理されている。エンゲルスはイギリス資本主義をよく知っているし、プロレタリアートの運動家との交流もある。そういう2人の合作で史的唯物論ができあがったというのは、たいへんうまい歴史的遭遇だったと思います。

史的唯物論は戦前の日本社会でどんな役割を果たしたか

 山口 第2課では、マルクスの自己紹介につづいて、史的唯物論が日本の社会でどんな役割を果たしたかを見ています。その中で、戦前の日本の支配的な歴史観として「軍人勅諭」に注目したのは重要ですね。

 不破 この点ではよく「教育勅語」が問題になるのですが、「教育勅語」には天皇制の歴史は一言しか書いてないのです。ところが、「軍人勅諭」は天皇中心の見方で日本の歴史がずっと書いてあり、軍隊だけでなく中学校からそれをたたき込まれ、それで歴史を覚えたのです。だから、私は、これが戦前の日本の国民的な歴史観の基本になったことは間違いないと思っています。

 山口 天皇絶対の歴史観が支配的だったそういう時期に、野呂栄太郎たちの史的唯物論による自主的な日本歴史の研究が始まった。その意義が対比してよくわかると思いますね。

 不破 日本の戦前のマルクス主義研究は、スターリン以前の国際的なマルクス主義研究を吸収しながら、自主的に発展したのです。

 日本のマルクス主義者が独自に日本社会を研究して引きだした日本社会変革の方針が、後から出たコミンテルンのテーゼ(1927年、32年)と一致していたということは、意義ある歴史だと思います。

土台と上部構造の相互作用で社会変革をとらえる

 山口 史的唯物論の六つのテーゼのところでは、社会変革の運動の位置と役割が浮き彫りになったと思います。

 石川 二つ目のテーゼにかかわって、土台が上部構造を「規定する」とだけ表現すると、経済決定論だという誤解を導きやすいところがありますね。そこはエンゲルスが晩年の手紙で語った、不等な力の「相互作用」という表現で補うことが必要だと思っています。

 不破 講義では、六つのテーゼに分けて説明しましたが、マルクス自身は、史的唯物論の定式全体をまったく行を変えないで、最初から最後まで一続きの文章として書いています。これは意味があると思います。彼がここで一番言いたかったのは、社会変革はどういう力によって生まれ、どういう過程で実現するか、という問題だと思います。

 経済的土台において生産力と生産関係の矛盾が発展して、生産関係が生産力の「桎梏(しっこく)」(注)になったときに社会革命の時代が始まる、これは土台の問題ですね。では、社会革命はどこで決着がつくかといえば、上部構造で決着がつく。これは、社会の変革では上部構造が主要な役割をになう、ということです。

 (注)桎梏 手かせ足かせのこと。『資本論』にも出てきますが、マルクスは、生産力と生産関係が矛盾に陥ることを、この言葉で表現しました。

 そのうえで、もう一度、「社会構成体は、すべての生産力が発展しきらないうちはけっして没落しない」と変革と土台の関係に戻りますが、ここで指摘しているのは、変革が問題になるのは、経済的土台にこれだけの変革が生まれるときだという物質的諸条件であって、その条件を活用して現実に社会変革が実現するかどうかは、人間の活動、つまり上部構造での諸闘争によって決まるのです。経済条件での矛盾の成熟は革命の必要条件であって、十分条件ではない。ここでは、革命論を軸にして、経済決定論にはなりようのない明確な書き方をしているのですね。

 石川 資本主義が発展するほど上部構造が巨大になり、支配階級が国民多数を自分にひきつけようとするという不破さんの指摘は、現代の社会を見るうえで重要ですね。財界も選挙で多数を獲得しないと支配が成り立たないわけで、メディアと教育をつかって国民多数をある種、洗脳せねばならない。そのためにメディアなどを巨大化させていくわけですね。

 不破 マルクスは最初、イギリスで労働者が選挙権を得れば労働者の権力ができると思っていたわけです。しかし、選挙制度の改革が進み労働者がみんな選挙権を持つようになると、資本家にとっていかに労働者をつかむかが大事になってくる。

 マルクスの時代は、資本家階級が組織されていません。それに比べ、いまの日本の大企業・財界は労働者よりはるかに組織され、階級的意識をもっていますよ。労働者階級の抑え方もマルクス以後に発展していく。だから資本主義が発達するに従って、上部構造で決着する仕事が大規模になるんですね。

 石川 生産関係が生産力発展の「桎梏」になるという第3のテーゼの解説で、現代の桎梏として地球温暖化や原発の問題をあげられてますが。

 不破 どちらも、まさに利潤第一主義、資本主義的生産関係の害悪です。放っておけば絶体絶命の危機です。資本主義という社会体制が存続する資格があるか問われるのは、恐慌以上にこの問題だと思うんです。

 石川 しかし、原発は資本主義の枠内で廃炉にしていける展望がありますね。それを恐慌のように資本主義である限り避けられないものと同じに扱うことができるでしょうか。

 不破 たしかに資本主義の枠内でもそれらに一定の枠をはめることはできます。そして社会がそういう力をもったときには、社会そのものも変わってきます。マルクスはそのことを、『資本論』第1部の最後のところで、労働者階級が「訓練され結合され組織される」という言葉で表現しました。「原発ゼロ」の闘争でも、地球温暖化に歯止めをかける闘争でも、利潤第一主義に枠をはめてゆく成果とともに、労働者階級と人民がそういう力量をもった勢力に発展してゆくこと、主体的条件が鍛えられる。そこに資本主義の「桎梏」を打破するうえで一番大事なポイントがあることをマルクスはあの言葉で強調したのだと思います。

史的唯物論の典型示した日本社会の歴史

 石川 史的唯物論のテーゼを説明した後で、不破さんは、日本がマルクスのいう社会発展の諸段階をへてきた典型的な歴史をもった国だと書いていますね。段階から段階への移行も、外部からの影響ではなく社会内部の力で発展をやりとげてきた、と。

 不破 たいていの国は、社会の発展段階が飛んでいるのですよ。たとえばゲルマン民族は、共同体社会の時代にヨーロッパに乗り込んできて、ローマの奴隷制帝国時代の経済的・文化的遺産を全部引き継いで、封建制の社会関係をつくり、ドイツやフランスの封建国家つくっていったでしょう。ゲルマン民族自体としては、共同体社会から一気に封建制社会に飛躍したのです。

 日本では、共同体社会から古代国家に移った。これはギリシア=ローマ型とは違う“まるごと奴隷制”を土台にした国家でした。そこから国内的な変化をかけて封建制社会に移ってゆく。この社会が完成するのには、ずいぶん長い時間がかかるのですが、徳川幕府時代にまでなると、幕末に日本に来たイギリスの初代大使が、まるで中世のイギリスとそっくりそのままだと感嘆の声をあげたほど、ヨーロッパの封建制と同じ体制に到達していました。

 それで明治維新以後は資本主義社会への転換でしょう。まるで教科書のように、マルクスが概括した社会発展の段階をすべて経ているわけで、こういう歴史をもった国は世界にほかにないのですよ。

 山口 『古典教室』でそのあたりを読むと、マルクスが社会発展の諸段階を説明したとき、これは「大づかみにいって」の順序だと断り書きをした意味がよくわかりますね。

 不破 一つの問題は、日本の歴史であらわれたのは、共同体そのものが首長に従属するという“まるごと奴隷制”で、ギリシア=ローマ型の奴隷制ではないことでした。私はこの問題では、19世紀の末、マルクスの死後のことですが、シュリーマンがトロヤの発掘で、ギリシアの古い時代の歴史をひらいたことから奴隷制の見方に大きな変化が起こったと思っています。つまり、ギリシアには、われわれが知っている奴隷制時代の前に、ミケーネ文明という一時代があったことがわかりました。そこでは、古代日本と同じように“まるごと奴隷制”の社会だったのです。それが崩壊した後、その文明的遺産を受けついでギリシアの奴隷制社会が生まれたわけです。

 そういうことがわかった目で世界を見ると、“まるごと奴隷制”という社会段階は、中国、インドなどの古代のアジア諸国や古代のアフリカ諸国など、世界中で発見されました。ヨーロッパの侵略で崩壊したインカ、アステカ、マヤなどもやはりこの型に属する古代国家だったとみられています。

 石川 奴隷制というとスパルタクスの反乱のようなイメージがあって、それを基準にして日本の歴史を説明しようとすると無理が起こってくるわけですね。

 不破 私はむしろ、ギリシア=ローマ型の奴隷制の方が、ギリシアの歴史が生み出した一変種ではないか、という感じを持っています。ああいう社会体制は、ほかではなかなか見つからないですから。

 山口 話を聞きながら、『古典教室』には、過去・現在・未来の人間社会の比較論がかなり多くあって、マルクスの理論を人類史の視野で大きくとらえさせる工夫があることを強く感じます。そういうこともふまえながら、21世紀という時代、人類の本史にむかって足を踏み出すかどうかという時代を、人類史的な視野で見てゆきたいですね。

 ―第2巻、第3巻刊行の際にも、また、よろしくお願いします。


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