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2013年3月25日(月)

原発事故さえなければ

避難生活に疲れた夫は…

「関連死」、遺族が提訴

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 東京電力福島第1原発事故は「収束」とはほど遠く、被災者の命が失われています。度重なる避難、放射能の不安が重くのしかかっています。「原発事故関連死」が広がり、遺族は裁判に立ち上がっています。(藤川良太)

 警戒区域の福島県浪江町に自宅がある女性(64)は二本松市に住宅を借り避難生活を送っています。夫は原発事故後、自ら命を絶ちました。

 「何とかしたいけど、どうしていいのか分からなくて、やるせない気持ちになったんじゃないか」。女性は、悔しさをにじませます。

 女性は寝るとき、布団の中からでも夫が見える場所を選んでいました。夫が避難生活で元気をなくし、不眠も訴えていたからです。でも、止められませんでした。

崩れた将来設計

 一昨年7月23日の早朝、一度、目を覚ますと夫はまだ布団のなかに居ました。再び眠りに落ち、起きたのは午前6時30分ごろ。すでに夫の姿はありませんでした。「郡山市に避難している友人のところに行ったのかな」。以前にも早朝から何も言わず出かけることがあり気に留めませんでした。

 異常を感じたのは、その日の夕方。夫がなかなか帰宅せず、郡山市の友人に連絡すると来ていないと伝えられました。次男に電話し、警察に届け、捜しました。いつもは持っていた携帯電話を親族が鳴らすと、机の下で呼び出し音がなりました。夫は飯舘村の真野ダム近くで遺体で発見されました。橋から身を投げ、即死でした。

 2人は、長男を早くに亡くし、孫を引き取り育てていました。「一人前にする」。この夫婦の思いを原発事故は打ち砕きました。

 孫は、車の整備士になるために専門学校に進む夢を2人に語っていました。夫は「手先が器用だから大丈夫だ」と目を細めていたといいます。

 原発事故後、3人は、高校卒業後の進路を話し合いました。夫婦は仕事を失い自宅に戻るめども立たず将来設計はままなりませんでした。「どうしたいんだ」。夫が聞くと孫は答えました。「俺が就職するから」

 「学校だけは出してやろうといつも話していた。でも原発事故で一瞬にして崩された」と女性。孫が学校を出た後、温泉でゆっくり手足を伸ばそう。夫婦のそんな思いは、もうかないません。

薬切れ体調悪化

 避難所を転々とするなか、寒さや気の休まらない環境に、明るかった夫は徐々に会話が減っていきました。糖尿病を患っていましたが、薬も切れ症状は悪化。女性らが将来の不安を口にすると自らに言い聞かせるように話しました。「浪江にはもう帰れないんだ」

 仕事は福島第2原発で資材を扱う会社に勤めていました。女性は「原発のことはよく知っていたからもうダメだと分かっていた」といいます。

 女性は昨年9月、東京電力に対して損害賠償請求訴訟を起こしました。「原発事故さえなければ、普通の生活を送れた。遺族に対して誠意をもって寄りそう形で救済を早くしてほしい。家族を奪われた人が一緒に立ち上がってもらえればと思って提訴した」


福島県の自殺者は

 内閣府によると、2011年から13年2月までの福島県内の自殺者数は1023人。うち東日本大震災関連(11年6月〜13年1月まで)は22人としています。ただ、原発関連の自殺者数の統計はありません。


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