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2012年11月6日(火)

福島・南相馬の声 届け!

体験記

青年ボランティア

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胸の内に耳傾けて…

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 東京電力福島第1原発事故で当たり前の生活が奪われた悲しみ。長引く仮設暮らしによる過酷なストレス―。日本民主青年同盟による第5次全国青年ボランティアセンター(8月21日〜9月3日。福島県南相馬市)では、家屋を片付け、救援物資を届けながら、要望を聞く支援をおこないました。どんな声が寄せられ、どんな思いでとりくんだのか。日本民主青年同盟中央常任委員、中川亜美(つぐみ)さんのリポートです。


 「何かしたい」という思いで全国各地からボランティアセンターに242人の青年が集まりました。仮設住宅12カ所、約300世帯の声を聞きました。

 南相馬市は、福島第1原発から北方向に位置し、大きく三つの地域に分かれています。南から原発20キロ圏内がすっぽり入る小高区、30キロ圏内に位置する原町区、いちばん北にあるのが鹿島区です。(地図)

 原発事故が起きた直後の2011年3月12日の夜には、20キロ圏内に避難指示が出されました。20〜30キロ圏は昨年9月まで緊急時避難準備区域とされ、病人、要介護者、子どもは原則として居住しないこととされていましたが、いまは解除されています。

 南相馬市の仮設住宅は、原発からもっとも離れた鹿島区に集中してつくられています。

涙ぽろぽろ流し

 聞き取りは、仮設住宅を一軒一軒訪問しておこないました。生活の不満や要望を聞くとともに、時間をかけて相手の不安な思いや願いをうかがいました。「若い人と話すだけで元気になれる」と言っていただきました。

 ある仮設住宅に住むおばあさんとお話ししたときのことです。ご近所の方ととても元気にお話しされていて、「お疲れさま」と声をかけていただいたので、「あとでお米を持ってうかがいます」とあいさつしました。

 しばらくして、支援物資のお米を持って「仮設での生活はどうですか?」と尋ねると、そのおばあさんは震災当時のことからポツポツと語りだしました。「本当にボランティアさんには感謝しているんだよ」…。話しながら涙をポロポロ流している姿は、外で話した印象とはまったく違いました。こちらもかける言葉が見つからず、黙ってうなずくことしかできませんでした。事態が深刻化していると体感しました。

 どの仮設住宅に行っても、涙ながらに当時のことを話してくれる方や、部屋にあげて歓迎してくださる方がいました。

家族とバラバラ

 長引く仮設暮らしに疲れ切った姿も見られました。

 「被災前は一緒にくらしていた家族とバラバラ。そのうちお互いに定住してしまえばもう一緒にはなれないと思うと寂しい」

 「田んぼや畑で仕事がしたい。一日の楽しみがない」

 「生活の全般困っている。仮設は狭い。隣近所の声を気にしながらの生活はストレス」

 「今の生活の文句を言ったところで、どうしようもない」

 被災者の状況を目の前にした青年たちは、被災した人たちがいまも苦しみを抱えていると実感し、「自分にできることは何か」「この問題をどう伝えていけばいいか」と模索と葛藤を続けました。

 昼間の活動で聞いた話や思ったことを交流する夜の交流会では、「地元に帰って福島のいまを伝えたい」「被災地のためになる仕事に就きたい」と、自分の将来と被災地での経験を重ねて語る青年たちがいました。

 11月4日、「もやもや ふっとばしまスカッ!! 福島青年大集会2012」が福島市で開かれます。いまの福島を多くの人たちに見て、聞いて、感じてほしい。そこから福島の青年とともに復興を考え、原発ゼロの思いを発信し、安心して暮らせる日本をいっしょにつくっていきたい。そういう思いで私も集会に参加します。

(つづく)

 


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