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2012年10月19日(金)

きょうの潮流

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 1913年9月4日の朝、社会運動家の木下尚江は、病の床に伏す田中正造にあいさつしました。「いかがです」▼身も心も、足尾銅山の鉱毒から住民を救うたたかいにささげた、あの田中正造です。まくらについたまま軽くうなずく正造。やがて、まゆの間に深い谷のようなしわを刻みながら語ろうとします。「これからの日本の乱れ―」▼うららかな日差しの同日午後、正造は71歳の生涯をとじました。木下尚江が残した正造の臨終の記録を読むとき、やはり考えてしまいます。正造が語りきれなかった「これからの日本の乱れ」について▼彼の死後、日本はさらなる戦争国家の道をつきすすみました。あげくに、侵略の野望に血塗られた大日本帝国は滅び、人々は憲法9条の平和国家の道を選び取りました。しかし戦後、足尾鉱毒事件のような環境破壊をくり返して住民と国土をむしばみ、いままた9条を亡き者にして戦争する国へ戻そうと企てる勢力が…▼田中正造は、国の行く末を見通すかのように「非戦」「無戦」を唱え、すべての軍備の廃止も説きました。彼の死から来年で100年。1世紀間の「日本の乱れ」と正造の考えを重ね合わせると、日本共産党の存在が思い浮かびます▼命がけで侵略戦争に反対した党。第5回中央委員会への報告は、「1世紀近い歴史で試された党」の自覚を深め、「憲法9条を守るたしかな力を大きく」とよびかけました。そんな党を語るとき、田中正造の名を借りても、失礼にはあたらないでしょう。


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