2012年5月17日(木)
きょうの潮流
イスラエルのバイオリン奏者イブリー・ギトリスさんは、ことし8月で90歳になります。個性にみちた演奏を聴かせ、「鬼才」とよばれて久しい▼よく日本にくるギトリスさん。7年前、長野の木曽町を訪れています。演奏会で、愛器ストラディバリウスを別のバイオリン「木曽号」にとりかえ「浜辺の歌」を弾きました▼鬼才は、「すばらしい」を連発して木曽号をほめたたえました。木曽号は、「東洋のストラディバリ」とよばれる世界の第一人者、陳昌鉉(チンチャンヒョン)さんが作り、木曽町に贈った逸品です▼陳さんの悲報が伝わりました。82歳。日本の植民地だった韓国の、農村の生まれ。6歳で、薬売りが行商の合間に弾く音を聴いたのが、バイオリンとの「初恋のような出会い」です。14歳で日本へ渡り、働きながら学びます。が、望んでいた教職の道は「君は朝鮮人だから」と閉ざされました▼ある科学者の「名器ストラディバリウスの音は再現できない。謎、神秘だ」との話をきき、製作への情熱がめばえます。たどりついた土地が、バイオリン工場のあった木曽です。掘っ立て小屋に住み、川の砂利すくいで食いつなぎ、独学で製作にうちこみました▼名器づくりの謎は、自然の中にもあったようです。小川のせせらぎ。鳥や虫の鳴き声。陳さんは、木曽で「自然に問い、自然に学んだ」といいます。木曽号は「優しい音がする」、とギトリスさん。自然と同じように人を癒やす名器作りに人生をささげた陳さんへの、最高の賛辞かもしれません。