お詫び:音声ブラウザ用簡易ページは現在機能しません。このまま、通常のページをご覧ください。

日本共産党

  • 文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大

ENGLISH PAGE

赤旗

2001年7月2日「しんぶん赤旗」より

東京都議選の結果と教訓

全都党・後援会決起集会での報告

日本共産党議長 不破 哲三

 7月1日に開かれた「七・一参院選勝利 全都党・後援会決起集会」で不破哲三議長がおこなった報告(大要)は次のとおりです。


 みなさん、こんにちは。党員のみなさんも、後援会員のみなさんも、本当に都議選では、連日連夜の奮闘ごくろうさまでした。(拍手)

選挙の結果をどう見るか

 このたたかいは、きわめて重大な選挙戦でした。私は、ともにたたかった一人として、都議選の結果をどう見るか、どんな選挙戦だったのか、そして、たたかいの教訓と到達点は何なのか、そういうことについてお話ししたいと思います。

 まず、選挙の結果をどう見るかという問題ですが、開票のあと、党の中央にも、東京のみなさんはもちろん、全国からもずいぶんたくさんの電話やファクスがありました。ああいう結果でしたから、どうしてこんなことになったんだという、しった激励じゃなく、しったの電話が多いかと思ったのですけれども、私たちの予想に反して、多数は激励型のものでした。ともかく、"たいへんな政治状況だ、がんばってくれ"というものが圧倒的に多かったのです。なかには、"なんで十五議席にも減らしたのか"という怒りの声ももちろんありましたし、"得票率で勝っているのに、なんで議席で負けたのか"という電話もありました。

 ここには、こんどの選挙の結果のたいへん大事な問題が含まれていると思います。

議席の後退と得票率の前進一一両面をきちんと見る

 私は、議席の大きな後退と得票率の前進、この両面をきちんと見ることが、こんどの選挙戦の政治的な中身と結果をつかむ上でたいへん重要だと思います。

 得票率で前進したということは、首都東京での政党間の力関係で、去年の総選挙で押しこまれていたところを一歩押し返した、つまり、力関係を前向きに変革してゆく第一歩の道を開いた、ということであります。得票では、現に各政党のなかで、自民党に次ぐ第二党であります。このことが、参院選を展望しても、たいへん重要な意義をもつ成果であることは間違いありません。

 ではそれがなぜ、議席の後退という結果になったのか、ここにきちんと分析しないといけない問題があります。

 マスコミでも、開票の翌朝の新聞は、「民主大幅議席増、共産大敗」といった、うわべを見ての評価が圧倒的でした。しかし、少したつと冷静な分析がマスコミのなかでも目立つようになりました。

 とくに私が注目したのは、開票の翌日の日本経済新聞の夕刊でした。

 「前回の衆院選で東京都の絶対得票率トップだった民主党『絶対得票率』というのは有権者対比の得票率のことです(不破)は六・七%に急落し、共産、公明両党にも抜かれて四位に後退した。......

 民主党は九議席伸ばしたものの、絶対得票率は前回衆院選の一六・九%から十ポイントも低下した。当選した二十二人のうち十八人は最下位当選で、七月の参院選に不安を残す結果となった。

 共産党の獲得議席数は前回都議選(二十六議席)よりも十一議席減ったが、絶対得票率は前回衆院選(八・四%)に比べて、〇・七ポイントの減少にとどまった。多くの選挙区で最後の議席を民主党と争って敗れたことが、絶対得票率の減少幅を上回る議席数の大幅な減少につながった。......

 相対得票率投票総数に対する得票率のこと(不破)で見ても、......共産党は同一・三ポイント増の一五・六%、公明党は、同二・四ポイント増の一五・一%にそれぞれ上昇したが、民主党は前回衆院選(二九・〇%)の半分以下の一三・五%まで落ち込んだ」(六月二十五日付夕刊)

 翌日の毎日新聞の朝刊も、とくに民主党について、得票率の分析をしていました。「前回衆院選の東京全小選挙区、比例代表東京でともに『第1党』だった民主党は、都議選で得票率を半分以下に落とした」(六月二十六日付)。

 大事なことは、マスコミも冷静になってくると、得票率の問題に分析の目を寄せてくるという点であります。

野党で唯一得票率をのばし、民主党との関係も逆転した

 この得票率については、「しんぶん赤旗」二十七日付の記事のコピーをお配りしてありますので、見ていただきたいと思いますが(図表参照)、大事なことは昨年の総選挙での後退を押し返して、われわれが14・3%から15・6%へ、1・3ポイントの得票率の増大をかちとり、政党の力関係のうえで新しい前進の方向をきり開いたという点であります。

 投票率が下がりましたから、得票数は若干下がりましたが、"小泉人気"のもとで、野党として得票率を伸ばしたのは、日本共産党が唯一であります。

 民主党との関係で見ますと、総選挙では、民主党が百六十五万三千票、共産党は八十一万七千票で、八十万票以上もの差がついて民主党に得票で負けていました。今度の都議選の得票は、共産党は七十四万八千票、民主党は六十四万七千票で、十万票を超える差をつけて逆転したのです。

 では、得票でこういう逆転をしながらなぜ議席で民主党以下に減らしたのか。実際、私たちが失った十一議席のうち、十議席までは民主党、あるいは民主の推す生活者ネットワークや無所属の候補に競り負けたのが現状であります。なぜ全体的に票を減らしている民主党に、議席を争う競り合いで負けたのか。これは、より突っ込んだ分析が必要な問題であります。

 そういう目でこの選挙戦全体を振りかえってみたいと思います。

どんな情勢のもとで選挙戦をたたかったか

年前の26議席特別の政党状況と抜群の得票率のもとでかちとられた

 まず最初に、これは六月十八日の党の幹部活動者会議で話したことですけれども、四年前の都議選でわが党が二十六議席を得た、その政治的中身をまずきっちりつかんでほしいと思います。

 あのときは得票率21・3%というたいへんな得票を得て、私たちは二十六議席を獲得しました。東京の党の国政、地方を含めての選挙戦全体のなかでも、これはたいへん突出した得票率でした。私が、東京での大躍進としてたいへん強く記憶しているのは、一九七二年の総選挙のときのことです。当時は東京は十の選挙区に分かれていましたが、そのすべてでわが党が当選し、しかもそのうち五選挙区ではトップ当選でしたが、そのときでも得票率は19・7%でした。四年前の都議選では、それよりもはるかに大きな得票を得たわけです。

 その政治的な背景はなにかというと、もちろん党自身のがんばりがいちばん大きな力としてありました。同時に、そのときの政党情勢が非常に独特でした。民主党はまだできたばかり、大合同以前の旧民主党で、東京では十分な地位を確立していませんでした。だからわが党が八十万三千票を得たこの選挙で、民主党は三十八万九千票と、半分以下の票しか得られませんでした。新進党は解体過程にありましたし、社民党も、村山内閣の右転回のたたりで解体過程にあり、新進党、社民党ともに、約七万票しか得られなかったのです。

 こういう状況のもとで、自民党と公明党以外の政党全体に投じられた票の55%が日本共産党に集中したのです。当時、民主党、社民党、新進党、太陽党、ネット、新社会党と、六つの政党がありましたが、その六党の得票の合計票が約六十五万票で、わが党が得た得票が六党全体を大きく上回る八十万票。そういう特別な政党情勢のもとでの勝利でした。

選挙戦で直面した四つの問題

 しかし、それ以後今度の選挙戦を迎えるまでの四年間に、本当に激動的な政治の変化がありました。とくに今度、都議選をたたかううえで難しい条件としては、四つの問題があったと思います。

第一 石原都政への対応

 一つは、二年前に石原都政が成立したことです。この石原都政は、東京都民の自民党政治にたいする批判を背景として生まれたものでした。生まれた知事は、自民党のなかでも一番のタカ派の政治家でしたが、無所属だということで自民党政治にあき足らない多くの都民の支持を受けました。実際の政治のなかでも、一方では、自民党の政治の枠を超える若干のことをやるが、他方、鈴木都政、青島都政から受け継いだ「都民に冷たい政治」は、引き続き強行するという特徴をもっていました。

 この石原都政にたいする日本共産党の態度を都民にどのように説明して選挙戦に臨むかは、なかなか難しい問題でした。

 そして、最初の時期には、「冷たい政治」の側面だけをとりだし、石原都政批判を前面に押し出して選挙宣伝や論戦をやったこともありました。

 しかし、現状は自民党都政の時代とは違うわけです。自民党都政の時代には、「冷たい都政」は、自民党政治の都政での現れそのものであり、それへの正面からの批判は、自民党をはじめ、「冷たい政治」に同調する政党への批判にそのままつながりました。しかし、石原都政は、ともかく都民の自民党批判の流れを受けて、「無所属」を名乗り、自民党政治の枠内に入らない一定の政策も実行している、そういう都政にたいする批判ですから、こういう批判だけの説明では割り切れない問題があるのです。

 また、そういう立場からの都政論では、「冷たい都政」の応援団になっている諸党が全部、石原都政の陰に隠れてしまい、都議選の中心問題であるかんじんの政党対決が見えなくなってくるという問題もありました。

 この点では、私たちは、もともと青島都政であれ石原都政であれ、無党派の知事が誕生した時は、日本共産党としての態度を表明しています。石原都政の場合にも、この政治家はタカ派で知られた人物だが、都政に関しては、われわれは都民の利益を基準にして対応するということを最初から言明していましたし(九九年四月、石原知事当選のときの記者会見での不破発言)、都議団は現実にそういう対応をしてきました。

 ですから、石原都政に対する態度の問題につきまして、(イ)いいことはいい(ロ)悪いことは悪い、また都政が取り上げない問題でも、(ハ)都民の要求がある問題は、共産党が独自にがんばって実現する、こういう三点で整理してそれで訴えるという方向を、明確にしました。この結論で意思統一したのは、今年の二月ごろだったと思います。

第二 政党の力関係の変化総選挙の得票では民主党がわが党の2倍以上

 第二の、より大きな問題は、政党の力関係が四年前とはまったく違ってきたことです。とくに、昨年の総選挙では、民主党が得票で東京の第一党に変わりました。共産党の得票(比例区)が八十一万七千票だったのにたいし、民主党は百六十五万三千票、つまり四年前の都議選の三十九万にくらべて、得票を四倍以上にのばしたのです。わが党の得票はほぼ都議選当時の水準を維持する、こういう力関係の変化でした。

 この力関係のもとでは、並大抵のことでは、われわれは民主党と議席を争う選挙区で負けてしまうということになります。前回の都議選では、民主党が立った二十七選挙区のうち、共産党の得票は二十一選挙区で民主党の得票を上回っていました。得票が民主党以下だったのは、台東、三鷹、府中、町田、小平、西東京の六選挙区だけでした。ところが総選挙の票になりますと、わが党の票は全選挙区で民主党の票を大きく下回りました。

 わが党が議席をもっているところで、民主党が議席をもっていない空白区は東京に十五区もありましたが、そこでわが党にかわって新議席をねらおうとする。これにどう打ち勝つか、民主党を東京の得票第一党にした「風」を選挙戦のなかでどう乗り越えるかということは、こんどの選挙戦のたいへんな問題のひとつでした。

第三 特別の意図をもった公明党の反共戦略

 三番目は、公明党の反共戦略です。公明党は日本全国で反共攻撃の中心部隊として、とくに自民党と連立内閣をつくってからは、悪政の擁護の第一線部隊として、攻撃をわが党に集中する、こういう活動をいたるところでやっています。

 さらに、東京にはそれをいっそうはげしくする独特の事情がありました。公明党は前回二十四議席の当選でしたが、選挙後に一人亡くなって二十三議席になりました。今回はその二十三議席を確保することを目標にしましたが、同時に、都議会で「第二党」になるという強烈な要求をもっていました。二十三人の候補が全員当選しても、それだけでは第二党になれません。二十六議席をもつ日本共産党の議席を二十三議席以下に落とすことによってはじめて第二党になれるのです。だから、共産党の議席をへらすこと自体を、選挙戦の大目標とし、自分が立たない選挙区でも共産党候補を落とすことを反共作戦の大きな柱にしたのです。

 ですから「ハイエナ攻撃」をはじめとする共産党への中傷ひぼうの宣伝や、卑劣な謀略ビラなど、いつもの手段に加えて、共産党追い落としのために、自分が立たない選挙区での票を操作する、要するに共産党と争っている他党の候補に票を回して彼らの議席を確保する、そういう反共作戦を全東京的な規模でやったことが、今度の選挙戦の特徴でした。

 私たちは、四月七日に全国の都道府県委員長会議をひらきまして、参院選挙に向かっての二つのかなめ――公明党の反共攻撃をうちやぶるたたかいと、野党のなかで民主党などと対比しながら、わが党の真価を光らせる活動、これをどちらも長い目でみた長期戦略にかかわる大問題として提起しましたが、これがとりわけ重大な意味をもったのが、東京の選挙戦でした。

第四 "小泉人気"との対決

 最後に、四月の後半になって、自民党の総裁選の結果とともにあらわれてきたのが"小泉人気"との闘争という問題でした。

 それまでは、自民党は森政権のもとでは極端に支持率が低落し、"自民党公認ではたたかえない"と自民党都議がいたるところで弱音をはくといったほどの状況でしたが、小泉内閣の成立とともに、いわゆる"小泉人気"が起こって、それにたいしてどう立ち向かうかということが、都政の選挙ではありますが、これが国政選挙なみに最大の問題になりました。

選挙戦とその結果を分析する

 私は、この四つの問題をかかえて今度の都議選をたたかったということをよくみて、たたかいの経過をふりかえる必要があると思います。一つは、石原都政にたいする態度、二つは、政党間の力関係がかわって、民主党が、去年の総選挙ではわが党の二倍以上の得票を持つ第一党になったこと、三つは、公明党の東京独自の戦略もくわわった特別の反共作戦、最後に"小泉人気"との闘争、これらが、私たちがたたかいをすすめた状況でした。

 そして、それに立ち向かいながら、東京の党組織、後援会、支持者のみなさんは大いに力戦奮闘しました。そして、たたかいの結果は、それぞれの分野で歴然とした前進を記録するものでした。

政策活動では

都民要求を徹底してふまえて

 政策活動では、私たちは、都民要求を徹底してふまえ、都民の利益の立場から、都政の方向を争うということに徹しました。福祉の後退という問題は、「冷たい都政」の最も深刻なあらわれであると同時に、生活の現実のなかから、都庁自身の世論調査のなかでさえ、都民の最大の要求となっていた問題でした。同時に、ここには、いまの政党関係――わが党だけが都民の利益と公約を守り、他の党すべてが公約を投げ捨てて石原都政の福祉切り捨ての提案に賛成したという事実、しかも、そのことが都民生活にたいして致命的な深刻な打撃をあたえたという点で、いまの政党関係を浮き彫りにした集中点でもありました。この点をとらえて、福祉の復活という問題を重視して取り組みました。

 同時に注意したいのは、党が、都民のより広範な要求にも目を向けてきたことです。今回の都議選では、都議団が三月の都議会で提起した予算の組み替え要求がたいへん大きな力になりましたが、この組み替え要求は六十四項目にわたるもので、福祉の復活と同時に、各分野の多面的な要求をとりあげたものでした。都委員会が発表した重点政策も、各分野に目を広げて都民の要求を提起しましたし、告示前のビラでも、告示後にまいた二つの法定ビラでも、福祉復活の問題を政党関係もふくめて重視すると同時に、各分野に目を向けた宣伝をやりました。

ビラ活動で新境地を開いた

 ここで一つ、東京都議選での大きな前進として強調したいのは、ビラの問題です。

 法定一号ビラと法定二号ビラについて、都委員会では「ビラ革命」という言葉が出たという話をあとで聞きました。この二つのビラの反響はかつてないものでした。法定第一号ビラは、地区・支部へおろしてまきはじめたその日から、都委員会に反響の電話がなりっぱなしで、都委員会は、そのままでは仕事ができないので、ビラの反響を受け付ける専門の電話を特別に設置して対応したとのことです。そういう手ごたえが、まきはじめたその日から強烈に感じられたというのは、初めてのことでした。法定二号ビラについても、同じような反響がありました。

 この二つのビラで大事なのは、内容と同時に、大きな活字――しかも小学校の教科書で使っている活字を使い、必要と思われるところにはルビまでふったことです。これが、たいへん喜ばれて、若い人たちのあいだでも読みやすいビラだという歓迎の声が広まったと聞きました。

 党中央委員会でも、都が切り開いたこの成果を活用して、六・七月号外は、大きな活字で書くことにしました。こうして大きな字で書きますと、文章の量もへりますし、いや応なしにわかりやすいことを書かざるをえなくなるのです(笑い)。わかりにくい入りくんだ議論というのは、大きな活字にはなじまないわけで、そういう点で内容的にも訴える力がより強いものになります。これも今度の都議選を通じて大きく発展した経験でした。

石原都政と"小泉人気"にたいして

 石原都政への対応という問題でも、日本共産党の態度を、「いいことはいい、悪いことは悪い」というように整理したことは、「冷たい政治」の推進役としての他党の役割をあぶりだすうえでも大きな力になりました。確かに、いろんな「冷たい行政」の根源は都政当局にありますが、しかし、青島都政の最後の段階でやったように、各党派が自分の公約に忠実な態度を取れば、当局がどんな冷たい提案をしても、公約に照らしてこれは否決されます。それだけに、公約を投げ捨てて、賛成に回った諸党派の責任は、極めて重大であり、明確なものです。ですから、私たちの石原都政への対応で党が明らかにしたこの態度というのは、党派間の問題でも、他党の態度をあぶりだすうえで大きな力になりました。

 なかには、「是々非々主義」というのをまねはじめた党もあります。自分は「横取り」をいつもやっているのに、他党にたいして「横取り」と無責任な悪口をいいたがる政党です。しかし、この党は、石原都政にたいして、「非」を「非」だと、いったことがない。いつも「是是是是」ばかりの党ですから、言葉だけモノマネしても力にはなりません。しかし、そういう党が出てくるぐらい、石原都政にたいするわが党の対応は現実に政治的な力を持ったのです。

 "小泉人気"にたいしても、私たちは小泉「改革」の内容が、いかに国民にとって有害なものであり、破滅的なものであるかを事実をあげて具体的に論証しながら正面から対決する、こういう態度をきっちりととりました。民主党をはじめとする他の党派は、「改革」の中身は結構だが、小泉内閣にはその実行力はない、それなら「改革」の看板は同じなのだから、私たちにまかせなさい、というのが精いっぱいでした。その議論がうまくいかないと、同じ「改革派」として「応援しますよ」ということになってしまいます。

 こういう対照的な態度をとったなかで、日本共産党が得票率を前進させ、民主党が得票率を後退させたということは、小泉政治に対応する態度の検証としても、たいへん重要な成果だったと思います。

 私たちは小泉「改革」についても、国民の利益という立場から、それが増税の痛み、社会保障切り捨ての痛み、そして失業と倒産の痛み、これを耐えがたい形で国民に負わせるものだということを、徹底的に追及しました。都議選は直接国政を争う選挙ではありませんでしたが、このとりくみは、手ごたえ十分だったというのが、多くのみなさんの共通の実感ではなかったかと思います。

民主党との関係 なぜ一連の選挙区でせりまけたか

 二番目に、民主党との競争的対決といいましょうか、国政ではともに野党ですから、私たちは「競争的論戦」といっているのですけれども、これがどうなったかという問題です。

民主党の得票は平均で45%に激減した

 さきほどいいましたように、私は六月十八日の東京の幹部活動者会議で問題提起をし、去年の総選挙での民主党の得票をあげて、確かに小泉政権になって民主党への「風」は落ちているが、多少落ちたからといって"侮ってはならない"ということを強調しました。

 昨年の総選挙ではわが党の二倍以上の得票を得ていた民主党ですから、その得票が半分になっても、都全体でみてまだわが党の得票の上にある勘定になる、しかも、民主党の議席獲得作戦に脅かされている現職区がいろいろあるけれども、そのかなりの部分で、民主党の得票が半分になっても得票ではまだ勝てないという状況があるし、公明党が党略的な応援に出ることも十分にありえる、これらのことを頭に入れる必要があるということを提起して、その面でのたたかいの方向づけを強調しました。

 私たちは、民主党との関係では、都政で公明党や自民党とまったく同じ立場で「冷たい政治」の推進役になっていることへの批判と、国政でも野党としての立場を捨てて、小泉「改革」の事実上の応援団になっていることへの批判とを結びつけて、批判と論戦を展開しました。

 こういうたたかいの結論として、選挙結果に現れたのが民主党の支持率の激減であります。総選挙ではわが党にたいして二倍以上の票差を持っていた民主党が、都議選の得票では全体として逆転しました。立候補した選挙区だけについて、総選挙での得票と今回の得票とをくらべてみると得票は、半分以下の45%にへっています。

 選挙区別にみますと、新宿、江東、品川、大田、豊島、北、板橋、練馬、足立、葛飾、江戸川、八王子、北多摩一区の十三の現職区では、得票でも民主党に勝って、議席を守りました。なかでも、江東、足立、葛飾、豊島、北多摩一区では、民主党の候補者を落としての勝利でした。

 それから、議席には結びつきませんでしたが、墨田、荒川、西多摩でも民主党を上回る得票を得ました。つまり、十六の選挙区で、私たちは民主党の票を上回ったのです。

 ここで、特徴的なことは、いまあげた十六の選挙区は、西多摩を除いて、すべて公明党が候補者を出しているところばかりだということです。

「民主に塩を贈る」当落を左右した公明党の反共戦略

 それだけ多くの選挙区で民主党を上回りながら、なぜ、かなりの数の選挙区で民主党に競り負けて、議席を失ったのか。そして、全体の議席合計でも、民主党に負けたのか。

 ここには、さきほどいいました公明党の反共戦略がはたらいています。

 国政では、民主党は野党です。公明党は与党です。しかし、共産党追い落としのためには、与野党の国政上の対立をこえて、必要ならば民主党にも票を回す。こういうことを非常に大規模にやったのが、こんどの選挙戦での公明党の動きでした。このことは六月十八日の会議でも警告しましたが、その後マスコミが一致してそれを裏付けました。

 マスコミとして一番最初に書いたのは、選挙最終日の六月二十三日の朝日新聞でした。公明党の選挙戦略について、「『敵』は共産 追い落とし必死 公明、民主にも塩」という記事が出たのです。この記事は、公明党が第二党になるためには、共産党を落とす必要がある。最初は共産党候補と競(せ)る自民党の候補を応援して、自民党に票を回す作戦だったが、"小泉人気"で自民党の勢いがあがってくると、共産党と議席を争うのが民主党や生活者ネットワークになってきた。それで、「民主党や東京・生活者ネットワークの候補らが、最後の議席を共産党と争うところ」では、「公明党が水面下で共産党のライバルに塩を贈る動きが出始めた」というもので、「塩を贈る」とは票をまわすことです。

 「朝日」の記者が取材したところでは、ある選挙区では選挙中盤、民主系候補に公明党市議から、「最大で4千票ぐらいはある。でも、実際に回せるのは千票か2千票ぐらいになりそうだ」と伝えられたということまで出ていました。

 選挙中にこの報道をしたのは、「朝日」だけでしたが、選挙のあと、東京新聞と毎日新聞の記者座談会のなかで、どちらも、そのことが指摘されていました。毎日新聞では、「文京、台東、立川、小平など10近い選挙区で」それがおこなわれたと、「塩」を贈った選挙区名やその数まで書いての指摘でした。

 マスコミも報道しているこの事実は、得票の面からもきわめて明りょうに裏付けられます。

 民主党と共産党がともに議席をめざして争った選挙区について調べてみますと(図表参照)、公明党が立候補しているところでは、二十の選挙区でたたかって得票面で、わが党が勝ったのが十五選挙区、負けたのが五選挙区でした。つまり、公明党が立候補していて、公明党票が公明党候補に投じられているところでは、だいたいはわが党の得票の方が民主党の得票よりも多かったのです。

 公明党が立っていないところ、これは十一選挙区ありましたが、そこでは十一選挙区のすべてで民主党の票がわが党を上回っていました。ここには、民主党が無所属で出た渋谷区、民主党がネットを推した日野の二つの選挙区も入っていますが、その全部で、わが党は民主党あるいはその応援している候補に得票で負けたことになります。

 この十一の選挙区のなかに、わが党の現職候補が落選した八選挙区がはいっているのです。港、文京、立川、西東京、北多摩三区、北多摩四区、それに、いまあげた渋谷と日野です。

 民主党の得票の減り方をさらに見てみますと、選挙区全体の平均では、得票は総選挙の半分以下の45%に落ちています。得票が55%減ったということです。ところが、得票の減り方が20%台、30%台にとどまっているところがある。いまあげた選挙区の大部分はそれに属しますが、減り方が20%台、30%台というところには、民主党が現職の議席を持っていた台東、小平、府中も含まれています。毎日新聞は、そのうちの台東と小平について現実に票を流した選挙区としてあげていました。

 ともかく非常に広範な選挙区で公明党の票が回され、わが党が最後の議席を争っていた十を超える選挙区でその「塩」が当落を左右したということは、まちがいなく推定される事実だと思います。
 こういう反共謀略が、この選挙のかげで非常に強く働きました。ここに、私たちが得票の総数で民主党に勝ちながら、また政治の勢いでも民主党に勝ちながら、最後の競り合いで議席を失った非常に重要な原因がある。このことを、はっきり見る必要があります。

公明党反共攻撃と"票の積み増し"工作

 三番目に、公明党の反共攻撃との闘争です。私は、この面でも、今回の都議選は、東京のこの数年来のたたかいのなかでも抜群の成果をあげたと思います。

反共宣伝・選挙妨害との闘争で抜群の成果

 たとえば、彼らは共産党攻撃のために都知事と組んで「ハイエナ」攻撃ということを仕組みました。これにたいしてわれわれはこれに徹底的に反撃し、最後には、外から来た応援部隊はまだそれを言うが、東京の地元の公明党・学会はなかなか口にできないというところまで追い込みました。

 公明党の代表である神崎氏も、四月に名古屋で全国遊説の第一声をやったときには東京でのビラを振りかざして「ハイエナ」攻撃をやりましたが、かんじんの東京にやってきたときには、もう「ハイエナ」の問題は口にできませんでした。それぐらい徹底した反撃をやりました。

 さらに、公明党の拠点とされていた墨田区の文花団地にたいして宣伝活動をやったときにも、相手側が反論できないところまで具体的に追いつめ、この活動は「しんぶん赤旗」でも報道されて、全国を大きく激励しました。

 それから、これはたまたまおきたことでしたが、おもしろい経験なので紹介しておきますと、六月十七日に小泉首相が東京各区を回ったとき、墨田区でちょうど私の演説会とぶつかったのです。場所も同じ場所でした。わが党が二、三十年来使っている場所に自民党が乗り込んできて、私のすぐ後で小泉演説があるということになりました。

 私が演説している最中、小泉演説を聞くつもりで集まる人たちが、外側にだんだんだんだん増えてくるのが、見ていて分かるのです。そこへ公明党の宣伝カーがやってきて、私が演説している前に来たらいきなりボリュームをいっぱいに上げ、しかも車をゆっくり走らせるという、傍若無人な妨害をやったのです。

 私は、「市民道徳、政治道徳のない政党というのはああいうことをやるんだ」という批評をして、話をつづけたのですが、こういう無法な選挙妨害は、彼らにとっては日常茶飯事のことです。

 ところが、時と場所が悪かったのです。私の演説を聞きにきている人たちだけではなく、小泉演説を聞きにきている人たちの面前でやった。演説が終わってからある人が共産党の選挙事務所を訪ねて、「私は自民党の支持者だ。公明党が無法なことをやるという話は聞いていたが、目の前で見たのは初めてだ。あんなものは政党じゃない。がんばってくれ」と激励して帰りました。そこにはまた、当然、自民党の本部の手勢もいれば、マスコミも来ています。その面前でやったわけですから、批判の声は広くあがりました。

 いつもなら日常茶飯事でやっていることでも、広い目のあるところでやると無法は通用しないことを、彼らも悟らざるをえなくなったようです。翌日、当の候補者が共産党の選挙事務所に来てさんざん謝り、「私がわびに来たことを不破先生によろしく伝えてくれ」とまでいって帰りました。これも前例のないことですが、結局、彼らがやっていることが本当に無法で、仲間の自民党の陣営にも通用しないということを、絵でかいたような形でしめしたものでした。

 最後は、さきほど若林都委員長が詳しく説明した、選挙戦最終盤の謀略ビラとの闘争です。これは、広範にまく用意をしながら、わが党の反撃の構えと実際の反撃の中で、ごく部分的にまいただけで中止してしまうというところまで押さえ込みました。

 去年の総選挙のときの経験を思いだしていただければおわかりのように、最終盤に用意したものをやめさせるところまで追い込むというのは、東京のたたかいの大きな成果だと思います。

 そういう点で、全国を励ます実績――公明党の反共攻撃を打ち破れるという成果をいろんな面であげたことは、非常に貴重なことだったと思います。

「全員当選」の秘密人為的な"票の積み増し"が歴然

 「しかし、それでも全員当選しているじゃないか」という疑問は当然あります。

 私は、今度の選挙を通じて、公明党の「全員当選」についても、そのからくりが浮き彫りになったことが、非常に大事だと思います。

 去年の総選挙の東京での公明党の得票は、第五党にまで落ち込みました。そういうなかで迎える今回の都議選で、共産党と争いながら全員当選をかちとるために、公明党は、自分たちの異常なやり方が表に出てもやむをえないといった、かなり乱暴なやり方をしたように思います。

 公明党・学会が選挙に勝つために「票の移動」をやるということは、かなり以前から問題になってきたことですが、今回の都議選では、得票の「人為的な積み増し作戦」とでも呼ぶべき工作のあとが、各選挙区の得票の動きに歴然と現れました(図表参照)。

 まず目黒区の得票をあげます。目黒では四年前の九七年の都議選で公明党が得た票は二万三千五百八票で、トップ当選でした。その目黒で、去年の総選挙の得票は一万一千三十八票、一万二千票以上、53%もの得票が消えたことになります。ところがその目黒で、一年たったことしの都議選での得票は、二万二千百二十票、ほぼ四年前の水準に復活しています。つまり一年間に得票が倍加したということです。

 つぎに中野区の場合です。九七年の都議選では、公明票は二万二千四百七十一票を得てやはりトップ当選でした。それが去年の総選挙では一万五千四百九十九票、得票が三割も減りました。ところがことしの都議選では二万七千二百五十票と、四年前以上の水準に戻りました。去年の総選挙票に比べると、76%もの票が"積み増し"されたことになります。

 「聖教新聞」の五月二十三日付に東京で開かれた、創価学会の六月度全国総県長会議についての記事が出ていました。そこで東京の七つの選挙区の代表が決意表明をしているのですが、ここで決意表明をする区が創価学会では「重点区」として扱われるのだと聞きました。この七つの重点区のなかに、得票の異常な"積み増し"の例としていまあげた目黒と中野が二つとも入っています。

 重点区というのは、選挙作戦の得票の"積み増し"のさい、とくに重点的に上積みするという意味での重点区だということが、これで、よくわかりました。
 七つの選挙区とは目黒、町田、荒川、豊島、足立、中野、墨田の七区ですが、この七つの区の得票を合計してみますと、九七年の都議選では二十万九千七票でした。それが去年の総選挙では十三万四千四百五十九票に、三分の二以下に減り、ことしの都議選ではそれがまた二十二万千六百四十八票に65%もの票の"積み増し"となっています。実際の力が弱くても、そこに票を"積み増す"ことで当選者を確保する、この秘密のしかけが、票の動きの中で浮き彫りに見えてきます。

 この七つの重点区というのは、一区一区の得票を調べてみると、総選挙なみの得票だったら、落選するか、足立のように一人しか通らないかという選挙区、あるいはわが党が議席をもっていないところでも、共産党と最下位を競り合うことになるような選挙区(墨田や荒川)ばかりです。それを"人工的な積み増し"で勝利できる選挙区に変えてしまう、こういう"積み増し"工作を非常に大規模にやっているわけです。七つの重点区以外にも、票の増減の大きいところ、つまり40%以上の票が動いているところは、世田谷とか北多摩一区とか新宿とかいろいろあります。

 これが彼らの選挙工作です。この工作は、東京の圏外をもふくめた、より広域的な工作だとみるのが、妥当なところでしょう。

 ただ、こういう工作をやっても、首都東京での公明党支持票の低下傾向というのは覆い隠せません。

 彼らが東京で最大の議席を得たのは、十六年前の八五年の都議選でした。九十五万票で二十九議席を得ました。

 しかしそれが、これだけ統計数字の上に歴然と現れるような票"積み増し"作戦をやっても、現在では、得票は七十二万票、議席は二十三議席に低下しているのです。これを人工的な"積み増し"得票で支えているのだが、実際の力は、もっと低いところにもう落ち込んでいると見るべきでしょう。

 これが公明党と創価学会の実力の実態だということを見定めて、私たちはこの問題でもより攻勢的に立ち向かっていく必要があると思います。

 以上が今度の選挙戦のなかでわれわれが経験したことのまとめです。

全国的な意義を持つ都議選の教訓

四つの中心的な教訓

 このたたかいのなかには大きな問題点もあれば、教訓もあります。全体が新しい挑戦でした。党中央委員会も東京都党に協力しながら対応を模索しながらたたかってきたという面もありました。

 しかし、その総結果として、私は、全国的意義をもつ多くの重要な教訓を得たと思います。

 一つは、"小泉人気"にたいして、国民の要求をふまえ、わが党の改革の基本路線を堅持して対決すれば、共感を広げることができる、ということです。これは、大きな教訓です。

 第二に、民主党の「風」は、最近のいつの選挙でも問題になりますが、東京では、小泉「改革」にたいする姿勢への批判と、地方政治での役割への批判とを結びつけて、民主党の「風」に現実に打ち勝ちました。公明党のああいう謀略的な応援がありながら、得票では全体としてわれわれが民主党を上まわるという成果を得ました。これも大きな成果です。

 第三に、公明党の反共謀略との正面対決を通じて、これを打ち破ったという実績を現実につくり出した。これも大事であります。

 そして、最後にその全体の総決算として、あらゆる困難な条件にかかわらず、東京の共産党が、昨年の総選挙から、得票率を前進させた。他の諸党は小泉与党の自公両党を除いてすべて後退した。こういう成果をあげました。

 得票第二党といっても、私たちが全選挙区で立候補しているのにたいし、民主党、公明党は立候補しなかった選挙区もありますから、実際の力関係をはかるにはそのことを考慮にいれなければなりませんが、参院選を攻勢的にたたかいうる条件を、政党間の力関係の面できずいたことは、確かな事実です。

 私は、全力を尽くしての奮闘だったからこそ、こういう教訓を生み出しえたのだと思います。その善戦健闘は、評価される値打ちがあります。

 私はここで、東京のみなさんの奮闘と、全国から支援をよせられた多くのみなさんの努力に敬意を表し、党中央としての感謝のことばをのべたいと思います。(拍手)

東京の経験と教訓は全国に確信をひろげている

 実は東京都議選の結果と教訓については、六月二十九日の都道府県委員長会議で、一足先にほぼ同じ趣旨の報告をいたしました。そうしたら各県の委員長がすぐ帰ってその内容を報告する会議をもっているのです。その反応がよせられているので紹介します。感想をよせた同志には、支部長とか選挙区の候補者とか、県の常任委員とか地区委員長とかいろんな方がいますから、いちいちだれとはいいませんが、埼玉からは「がっかりしていたけれど、報告を聞いて、攻勢的にたたかえば前進できるという確信を得た」、「議席減だけに目を奪われていたが、結果の分析の中身が、胸に落ちた」、奈良からは「分析を聞いて武者震いがした」、福岡「実にすっきりした。これでたたかえる」、広島「きびしいぞ。構えなければと思っていたが、そうではない。がんばればものすごい選挙になる」、長野「議席の後退だけに目を奪われていた。都議選のようにたたかって、民主党に打ち勝てば、比例でも選挙区でも新しい展望が開ける」、千葉「学会の卑劣なやり方についての党中央の分析はすごい。結果を議席だけでなく、得票からも見る。その大事さが胸に落ちた」、神奈川「惨敗でがっくりしていたが、報告を聞いて大いに積極的に評価していいものとわかった。気を取り直してがんばる。公明党はそこまでの工作をやるのか。反共反撃をもっと本格的にやらなければいけない」、などなどです。

 やはり東京のたたかいの経験とそれを総括した報告から、これだけの確信を全国で得ているということは非常に重大なことだと思います。

 東京で、このすべての教訓を生かして、参議院選挙での躍進を勝ち取ろうじゃありませんか。(拍手)

参院選の勝利をめざして

 いよいよ参議院選挙の公示まであと十一日です。「"小泉人気"を恐れるな」というのが、私は都議選でこれとのたたかいを体験したみなさんに共通する確信だと思います。

 経済では、私たちが強調してきた国民への「痛み」という問題は、テレビのワイドショーのなかでまで、大問題になりつつあります。同時に、これが国民に「痛み」を与えると同時に、日本経済の土台を掘り崩す、不況をさらに深刻にする、痛みが長期の激痛になる、こういう声が経済の専門家のあいだでも、だんだん広がっています。

 だいたい、こういう深刻な不景気なときに、景気対策を投げ出したうえ、自分の手で景気をもっと悪化する方向に推進しようとする、こういう政府は、日本の歴代のなかでも前例がないのです。

 わが党のこれと対決する姿勢が、大いに国民の共感をえる条件はますますひろがっています。

 外交面でも、日米首脳会談が昨夜おこなわれました。「聖域なき改革」というが、二十世紀の最悪の遺産である日米軍事同盟と基地体制はまったくの「聖域」にする、小泉内閣のこの姿勢もあらためて鮮明になりました。

 それにたいして、民主党その他は、「改革」の中身の間違いは批判しない、実行力だけを問題にする、だから、いくら対決しようと思っても、結局は応援団になってしまう、このこともいよいよ明らかになりました。

 これと正面から対決してきた日本共産党の値打ちがいよいよ光り、しかも、そのことが分かりやすくなってゆく情勢が広がっていると思います。

 いま、二中総で決定した「日本共産党の訴えと重点政策」、さらにそれをまとめたビラがいま、みなさんの手元にいっておりますが、これが非常に大事です。それで、ちょっとその特徴に注目願いたいのですが、この政策のビラも、小泉内閣がこういっているからと、それにたいして反論し、その範囲で対決の方針をのべるというだけの組み立てにはなっていないのです。そうではなく、日本の国民がいまぶつかっている問題、日本がぶつかっている問題をとりあげて、日本共産党は、こういう打開策をもっている。それにたいして小泉内閣はこういう対策をいっているがこれは、こう破たんするものだということを説明しています。

 つまり、話を小泉「改革」がどうかという議論だけにせばめないで、いま、日本がぶつかっている大問題にたいする日本共産党の打開策、「日本改革」そのものを正面から押し出し、それを訴える。ここに、わが党の「重点政策」やそれをまとめたビラの特徴があります。

 私自身、いろいろ各地で演説会をやって、驚いていることが一つあるのですが、東京でも五月の武道館での演説会で、台湾問題を話しました。わが党が台湾問題で、どんな国際的な役割をしているかという話をしたのですが、これは、別に、小泉内閣のやり方に対応して、どうという話ではないのです。日本や世界がいまぶつかっている問題について日本共産党は、こういう方針をもち、こういう活動をやっているんだという話なのですけれども。

 この話が、どの地方の演説会でも、たいへん大きい反響があるのです。これは、日本がいまぶつかっている問題について日本共産党はこういう改革をやるんだと、その基本を問う大きな姿勢がいま非常に大事になっていることを示すものだと、そのことからも痛感しました。

 政党間の論戦についていえば、民主党の「風」に打ち勝って、得票の面で民主党を大きく乗り越えることが可能であることは、もう、みなさんのたたかいで実証しました。

 公明党についても、その反共戦略の実態は、都議選でとっくり見極めたところであります。そして、いくら反共攻撃をもちだしてきても、国民に痛みを与える「冷たい政治」の担い手だという正体を国民の目から隠すことは絶対にできないわけです。私たちはそういう立場で、彼らのどんなたくらみにたいしても、立ち向かう必要があります。

 みなさん、都議選でのみなさんの奮闘は、さきほどご紹介したように、中身を知れば知るほど、全国に、参議院選挙にむかって、前向きにたたかう大きな攻勢的な自信を与えています。その源泉となった東京都議選をたたかいぬいたみなさんです。その成果と教訓をふまえ、緒方再選を必ずかちとると同時に、比例での得票を飛躍させて、日本共産党の全国的な躍進にたいする首都東京の責任を果たそうではありませんか。(大きな拍手)

 以上をもって、報告を終わります。(長く続く拍手)

党紹介