授乳と議会と地域活動?! 子育て議員座談会

『女性のひろば』2019年1月号より

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(写真左から)秋山もえ 上尾市議・埼玉県議予定候補、宮里 歩 北谷町議(沖縄県)、かもしだ芳美 東久留米市議予定候補(東京都)、司会・岡嵜郁子(1970年生まれ。埼玉・戸田市議5期をへて現在日本共産党中央委員会自治体局次長。1児の母)

 2018年の国会で「政治分野における男女共同参画推進法」が成立しました。政党の候補者選定の自由を確保しつつ、候補者数をできる限り男女同数にするように各政党に努力を促す理念法です。政策決定の場に女性が半数いて当事者の声を政治に反映できるよう、政党が努力するのは当然のことです。日本共産党はこの法案の成立を機に、実質的な男女平等の実現にいっそう努力したいと決意しています。政治の最前線でがんばる3人の地方議員・候補者のみなさんが語り合いました。

鴨志田 はじめまして。1月に出産予定で、4月に東久留米市議選に挑戦します。

秋山 妊婦さん! がんばってください! 私も最初の選挙は妊娠中でした。選挙がたたかえるのかと躊躇する気持ちもあったのですが、地区委員長の「おめでたいことだよ」と言う言葉で吹っ切ることができました。

岡嵜 それから11年。今や3児のママですね。

写真・宮里
(写真)みやさとあゆみ
1979年生まれ。フェアトレード団体で国際貢献活動にかかわったのち、2013年補欠選挙で北谷町議初当選。3期目。特技はイラスト、ネパール語、英語。家族は夫と長女(1歳)

議会控室を託児所に

宮里 保育園に通っている1歳の子どもがいます。乳児のころは、ファミリーサポート(育児の援助を受けたい人と行いたい人が助け合う仕組み)という町の制度を利用して、議員活動と子育てを両立しました。

秋山 議会のときはどうしていたのですか?

宮里 議員控室を託児室として提供してもらい、ファミリーサポートの方に来てもらっていました。休憩を利用しておっぱいをあげて、楽しかったです。

みんな すごーい!

岡嵜 子連れで議会に出席して注意をうけた女性議員(無所属)の報道が議論をよびましたが、宮里さんの場合は事前に相談して、議会の応援も得て乗り切ったんですね。

宮里 両立できるのかとても不安だったので、出産する前から議会事務局に相談していました。それで託児スペースを議会としてつくろうということになりました。

みんな すばらしい!

宮里 はい。珍しいケースらしく、全国から取材が相次ぎました。

秋山 ほんとにすばらしいです。私は出産後1カ月で復帰しました。まだ首もすわっていない赤ちゃんを抱っこして有権者回りをしたことも。産後まもない時期に無理をしすぎたと反省しています。がんばらないことは、がんばることよりも難しくて、勇気がいることなんですね。議員と子育てを両立しようとがんばりすぎてしまう。そこを自己変革するのが一番大変でした。

岡嵜 鴨志田さんは産後まもなくの選挙になります。くれぐれも無理しないでくださいね。

鴨志田 ありがとうございます。政治を変えたいという思いがすごくあるのに、なかなか一歩を踏み出せない自分が歯がゆいなと思っていたころに立候補の要請をいただきました。妊娠したばかりだったのですが、「こんな自分でよければぜひ」と。みなさんに前向きに受け止めていただいて、かっこいい組織だなってうれしくって。

みんな よかったー。

写真・鴨志田
(写真)かもしだよしみ
1983年生まれ。契約社員などを経て東久留米市公立保育園で非正規職として勤務。保育園父母会などの活動に参加。家族は夫と子ども2人。もうすぐ3人目を出産

自民党に投票していた

鴨志田 34歳にしてこんな大きな決断をするとは思いもよりませんでした。会社員だったころは駅でビラを渡されるのがいやで避けていました。自民党に投票するような若者の一人だったんです。

岡嵜 そんな鴨志田さんが日本共産党員になることを決断したのは─?

鴨志田 子どもたちを保育園に預けているなかで、保育園の民営化問題と向き合うことになりました。民営化を強行する市の姿勢に疑問を感じて市議会の傍聴に行くようになり、日本共産党の原のりこ市議(=当時。現在は東京都議)と出会いました。傍聴している市民は、原さんが質問を始めると上を向くんです。有権者の声をしっかりと議会に届けるみんなの味方がここにいる。うなずきながらメモをとっている市民の姿が焼き付いています。

岡嵜 それで共産党に出あったのですね。

鴨志田 はい。それまでは政治は遠い世界だったし、保育園の父母会も敬遠していました。子育てと生活でいっぱいいっぱいで、余裕がなかったから。でも、私があまりに大変そうに見えたのか、ゼロ歳児クラスの父母会のお母さんたちが私を飲み会に誘ってくれたんです。あったかいなあ、人とつながりあうっていいなあと思うようになって、保育運動にかかわるようになりました。

宮里 私も共産党とはずっと無縁だったんですよ。東京で国際貢献活動をしていたころ、ニューヨークで起こった同時多発テロの余波で、イラクでネパール人が12人殺害されるという事件が起きました。当時私はネパールの方とおつきあいしていたのですが、その彼が事件に抗議をするデモの最中に殺されてしまった。銃弾4発を受けて。立ち直れなくて、ずっと泣きながら仕事をしていました。8年後にネパール人の彼─今の夫と出会いました。2人で沖縄に帰ってきて、婚姻届けを出すために役所にいったときに、顔見知りだった日本共産党の中村重一北谷町議(=当時)とばったり出会ってしまった。(笑)

岡嵜 運命の出会いですね。

宮里 戦争につながるものは絶対に許さないという怒りがすごくあった。ネパールは内戦状態が続いていましたし、沖縄に帰ってきたら爆音はひどいうえに辺野古に新基地をつくるという。重一さんと語り合ううちにそれらが自分のなかでつながったんですね。政治活動はおろか、学校クラスの書記すら断った私だったのに、入党を決めました。
 立候補を決断したのは、「戦争は絶対にしてはいけない」という苦しいほどの思いを伝えることができるのではないか、という思いでした。補選の告示10日前でした。

岡嵜 そうでしたか。みなさんなるべくしてこの道に進まれたのですね。

写真・秋山
(写真)あきやまもえ
1976年生まれ。大東文化大学国際関係学部でウルドゥー語専攻。2007年埼玉・上尾市議に初当選。3期目。2019年統一地方選で埼玉県議選に挑戦。家族は夫と子ども3人

お母さんは夢を追う

秋山 私は千葉・木更津のパン屋の娘です。親は消費税に苦しめられていました。経済的余裕のない家で、私は自衛隊を希望したけれど視力が悪くて入隊できませんでした。そこで泣く泣く新聞奨学生となり、通った大学の平和学の授業で初めて日米安保や沖縄戦を知りました。民青同盟が主催した日米安保を考える企画に参加してすごい感動して。「もえちゃん、いっしょにやらない?」「やります!」って(笑)。その後、日本共産党と出あい、戦前からずっと戦争に反対していた政党があったんだ、日本にこういう人たちがいたんだ、ってもう衝撃で。
 共産党と出あって私は日本で生きられると思ったんです。がんがん主張するタイプなので、日本には居場所がないと思っていたんですね。党の専従職員になって7年後、立候補の要請を受けました。同世代の若者や子育て中の人たちに政治に関心をもってもらえるきっかけになったらいいなと決断しました。

岡嵜 4月には県議選に立候補予定ですよね。

秋山 ええ。息子の高校受験と重なるので悩んだのですが、息子は「ぼくは自分の夢を追う。お母さんもそうしたらいい」と言ってくれました。夫も「党の同志として君は出るべきだと思うよ」と背中を押してくれました。私の選挙区は11年も共産党の県議が不在です。住民にとってあまりにも不利益な状況が続いているので、なんとしても県議会に行く決意です。

家族との時間

鴨志田 みなさんはご家族との時間をどのように確保されているのですか? 土日はなかなか休めないし、勉強しなければいけないことがたくさんあって、家族との時間をもつことができないのが悩みです。

秋山 私は休むときは休むと割り切るようになりました。子どもたち一人ひとりとデートする日を決めてるの。その日はお母さんあなたと一日一緒だから楽しみにしてね、って。夫がやきもちやいて、「いいなぁ、結婚したのおれなんだけどな」って嘆いている(笑)。オフと決めたら、前もって「休みます」と公言し、会議とか宣伝とか中途半端に予定を入れない。

宮里 久しぶりにお休みがとれて家族とドライブしていたときに仕事の電話がかかってきたんです。夫はずっと我慢していたんでしょうね…。「体はあっても心がここにない」と言われてしまって。

岡嵜 議員の仕事は際限がないので、秋山さんのようにオンとオフをうまく切り替えられるといいですね。女性が政治参加をするためには、男女の固定的な役割分担を解消していくことも不可欠ですよね。

秋山 夫は家事がまったくできない人でした。第2子まではワンオペ育児で苦労しましたが、3子以降夫が劇的に変わって今や家事育児はすべて彼が担っています。子どもたちの存在と時間が彼を変えてくれたし、私もちょっと厳しく育てました(笑)。私はこの人は変われると思ったから好きになったの。女性をばかにしないし、対等に話せる人でもある。だから結婚生活が続いています。

鴨志田 いいなあ。私もそうなれるかなあ。
 駅で宣伝していていやがらせされることがあるんです。落ち込んでいると小4の娘が「私もしょっちゅうイヤだなって思うことあるけど平気だよ」って励ましてくれて。おかげで私も立ち直りが早い! 夫や子どもたちの支えでがんばれるかなって思っています。

支えられて

岡嵜 すてきなお話ですね。子育ての苦労は尽きないと思いますが、困っていることはありますか?

宮里 子どもが小児喘息で毎月のように入院します。母を早くに亡くし父は施設に入っていて両親の助けが得られない。親族とファミリーサポートに協力をお願いしてなんとか乗り切っていますが、病気のときに預け先がないことがこたえます。

秋山 議員になりたてのころはきつかったです。休みをほとんどとらず、赤ちゃんを寝かしつけてからファミレスへ行き朝の3時、4時までかかって議会の質問を作っていました。支部のみなさんも乳児を抱えた議員は初めてだったのでどう接していいかわからなかったのでしょうね。私も党の仲間のちょっとした言葉に傷ついていました。先輩議員に、支部を信頼してきちんと話し合ったほうがいい、絶対に乗り越えられるから、とアドバイスしてもらって、泣きながら胸にしまっていたことを全部言いました。支部のみなさんは「前の議員と同じことをあなたに求めていた。ごめんね」って。本当にありがたかった。私が議員として活動できるのも支部のみなさんの応援があるからこそ。いまでは支部と私は一心同体です。

女性議員半数に向けて

鴨志田 アメリカの中間選挙では、女性の当選者が史上最多となりましたね。

岡嵜 女性と若者のパワーが爆発した選挙でしたね。一方、日本の女性議員の比率は世界193カ国中162位(衆議院)と遅れは深刻です。地方議会の女性議員の比率は都道府県議10・1%、市区議14・95%、町村議9・93%です。

秋山 まだまだ少ないですね。私も任期中に出産した上尾市初のケースでした。ニュージーランドでは首相が出産して産休を取り、国民も自然に受け入れていますよね。子どもができると「がんばってるね」という人と「議員なのに」という人がいます。議員になって一番心苦しいのは、妊娠出産で議会を休まざるをえないとき。とりわけ、重要な政策決定の場で自分の意見をいかすことができないときは妊娠した自分を責めてしまう。本当はおめでたいことなのに…。議会に出席できなくても、賛否は表明できるという方法を制度として確立できないものか、と。

岡嵜 出産可能年齢の女性の政治参加の道を閉ざさないために何ができるのか。考えてゆきたいですね。

鴨志田 日本共産党は女性の党員、議員も多いですね。

岡嵜 ええ。草の根の支部に約5割の女性党員がおり、国会議員は約3割、地方議員の4割弱が女性です。

秋山 私の仕事を子どもたちはどう感じているのか、なかなか聞けなかったのですが、あるテレビ番組に出たときに、インタビューされた娘が「(お母さんは)楽しそう」って答えてて、そんな風に思ってたんだ、よかった、と。
 議員だから子育て大変だね、って言われるけれど、働く女性はみんな大変なんですよね。マタニティハラスメントも横行しているし孤独な子育てを強いられて苦しんでいる人も多い。

鴨志田 民営化される保育園の市民説明会に行ったときのことは忘れられません。お父さんやお母さんたちが涙ながらに「民営化はやめてください」と訴えているのに、まったく市民に心を向けない市側の対応は衝撃でした。選挙で何も変わらないと思っている人も多い。でも、一票が1人の意志となって伝わることを私は保育運動で知りました。だからあきらめない。

秋山 当事者だからこそ、待機児童問題や延長保育、病児保育問題の切実さがわかる。保育や子育て施策を充実させて、という私たちの要求は市民生活と直結しています。同時にすべての問題の根幹である異常な長時間労働・低賃金という働き方を強いる社会を変えてゆきたい。

議会も社会も変える

鴨志田 『女性のひろば』、愛読しています。9月号の「世界の子育て」(ロンドン在住の小野浩子さんエッセー)で、小野さんが娘さんに「こんなママでごめんね、もっといいママになるからね」といったら「ママは、そのままの、ママでいいよ。そのままが一番好きだよ」と言われたというところで涙腺が崩壊。しばらく涙が止まりませんでした。電車の中だったのに。

秋山 泣けるなぁ。『女性のひろば』は私のトイレの友。ちょこちょこ読むのにちょうどいいですよね。私の愛の99・8%は子どもたちに注がれているのですが、実は一日休みをとって、夫とデートする日を作りました。パパとママではない二人に戻る日も必要だと思って。(笑)

宮里 私もうまくバランスをとってゆきたいです。
 地方議会に女性がまだまだ少ないというお話でしたが、北谷は19議席中女性は5人(うち2人は日本共産党)です。子育て中の議員は私だけですが、とてもあたたかい雰囲気です。私が出産したとき、ちょうど議会中だったんです。「宮里議員に赤ちゃんが生まれました」と議会で報告され、全議員が議場で拍手してくれました(一同 わあー、いいなあ!)。女性が増えると議会も変わっていくと思います。

岡嵜 女性が政策決定の場に出て責任をもって働いてゆくためには、党も社会も支えてゆかねば。中央委員会には地方議員を直接サポートする議員相談室もあります。気兼ねなく相談してくださいね。

 

「女性のひろば」2019年1月号
 

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