私の「WithYou」 社会に、農村に、ジェンダー平等を 紙智子さん

参院議員・参院比例予定候補(活動地域 北海道、東北)

「私のWithYou」インタビューシリーズ第2回は参院議員の紙智子さん。2019年参院比例予定候補です。初質問で大臣も涙する追及をした紙さん。#WithYouの先駆けともなった国会内外でのたたかいもありました。

紙智子さんインタビュー写真
 

――2001年の初当選から18年間、農水委員会で28代、25人の農林水産大臣とわたりあってきた紙さん。北海道の出身ですね。

はい、道産子です(笑)。実家は札幌近郊で、米、麦、デントコーン、キャベツ、大根、白菜、リンゴ、梨、梅…なんでも作っていました。働く馬がいて、ヒツジ、ニワトリ、ブタ、犬や猫もいて、朝、小屋からそうっと卵をとってくるのは私の役目で(笑)。大人に交じって、田植えもしたし、草刈も稲刈りもやりました。秋、手作業で刈り取った稲束を親たちが高いハサに掛けていく。子どもは下から渡す役でね。一日働いてふと見上げると、田んぼの向こうに大きな夕日が沈んでいくんです。

厳しい労働で父親は痩せに痩せていました。母親も木枯らしが吹く中、町に白菜を売りに行きました。夜、心配して待っていると、真っ暗な道を「全部売れたー!」ってほっぺたを真っ赤にして帰ってくるの。

そんな両親がよく言っていたのは、「これで採算さえ合えばなぁ」ということでした。農業は大好きだけど、生活は苦しい。私は4人きょうだいの末っ子(兄3人)なんですが、子どもたちが高校に行くようになると現金がいるでしょう。採算が合えばなぁ、という親の言葉。こんなに一生懸命働いているのになんでかなぁ、という思い。それは私の原点かもしれません。両親は私が高校に行くころ離農して、ゴルフ場で働きながら私たちを学校に行かせてくれました。

候補者、参院議員として全国の農村を回り、同じ苦労をしてきた方々とたくさんの出会いがありました。「昔は自民党も農業の問題を語りに来たもんだ。いまこうやって来るのは共産党だけだ」と言ってくれる保守の方。ある山間地の小さな集まりで、町長さんがこうおっしゃいました。

――農業っていうのは田舎の問題じゃない。都会の人も含めて、食糧と命を支える国政の基本だ。農業を国民全体の問題に押し上げてくれ。それがみんなの共通の思いになったとき、共産党は伸びるよ。

2001年、参院で初当選して「何がやりたい?」と聞かれたとき、迷わず「農水!」って(笑)。

写真 祖母、母と4人きょうだい。左端が紙さん

(写真)祖母、母と4人きょうだい。左端が紙智子さん

 

――そもそも紙さんが共産党に入党したのは?

入学した北海道女子短大で、学生自治会や民青同盟が学費値上げ反対の運動をしていたんです。親に学費をだしてもらっている上に「寄付金のお願い」が家に送られるのが申し訳ないなあと思っていたから、私も運動に参加し、生まれて初めて署名集めに団地を回ったりしました。

小笠原貞子さん(日本共産党副委員長、参院議員、95年没)の演説会に誘われていってみたら、共感できる話ばかりでびっくり。だけど、戦前、命がけで戦争反対を貫いた党、というのは立派な人がやるものだと思っていたんです。そうしたら、学生仲間に「私も党員だよ。いっしょにやろう」って言われて「え、そんな気軽なものだったんだ?!」(笑)って。

自治会や民青の活動を始めた頃には父から「共産党なんかやるなよ」と釘を刺されました。短大卒業後、白衣をつくる会社に勤めたのですが、会社をやめて民青同盟の専従者になるとき、東京に出て民青中央委員会に勤務することになったときなど、父とは何度もぶつかりましたが、だんだん「それで食ってけるのか?」「体には気を付けなさい」と…。母はいつも「智子がやりたい、って言ってるんだから、いいっしょ。若いうちに何でも経験したらいい」と助け船をだしてくれたんですよ。

86年、31歳で初めて参院比例で立候補しました。全国を回って最終盤、北海道にもどってきたら、事務所の人から「今日は紙さんの実家前の公園に宣伝カーをつけるよ」と言われて、ええ!そんなの聞いてないっ!(笑)。行ってみたら家の前に親せきのおじさん、おばさん、ご近所の方がいっぱい待っていてくれました。両親が声をかけてくれたんです。

父が初めてマイクを握って、「自分は娘たちのやることに反対してきたけれど、心の中では、言っていることは正しい、と思ってきた。子どもたちの姿を通して、共産党の人たちは私利私欲なく、昼となく夜となく世の中のために駆けずり回っているのを知った」と話してくれました。涙が止まらなくて、コンタクトがどこかにいってしまって(笑)。

1921年(大正10年)生まれの父は、20歳で召集され、航空隊の整備係として台湾で終戦を迎えました。若い特攻隊員が水杯を交わし、翌朝、敬礼して飛行機に乗り込んだこと、その姿があまりに痛ましかったことをよく話していました。戦後まもなく、札幌で共産党が演説会をやるというのを知って、実はこっそり覗きに行ったことがあったんですって。会場は小学校の体育館で、扉の隙間から見ていた父を「入って来なさいよ」って呼んでくれたんだ、とずっと後になってから話してくれました。農家だった父は当然のように選挙になれば地域で自民党の応援をしていたけれど、平和への思いはとても強かった。きっと今も父のような“保守” “自民党員”の方がたくさんいらっしゃると思うんです。

父の思い出を語る紙さん

 

――JCP WithYouチームは、紙さんが民青同盟の専従の頃に「女だから・女のくせに」の証言活動をやっていたことに注目しました(笑)。

そうなんです。80年代に入って、女性差別撤廃条約の批准、男女雇用機会均等法をめぐって議論が高まっていたころでした。若い女性が職場や学校のいろんな差別、息苦しさを自分たちの実感、自分の言葉で証言しよう、ととりくみました。私も子どものころ、学校で借りた本を読んでいると祖父から「女のくせに! 本なんか読まんでええ、母さんの手伝いをせえ」と言われていたことを紹介し、その「女のくせに」をタイトルに入れて「女だから・女のくせに」のパンフレットにまとめました。

デパートで働く若い女性が1カ月に2回くらいしか休みがとれない、「男女平等に」といって生理休暇もなくなってしまった、という話。「お茶くみはなくなったけれど、かわりに残業が増えて体が辛い」「就職のとき、転勤・出張ができないなら昇進はないと言われた」といった声がたくさん寄せられました。

差別をなくすというのは、生理休暇も母性保護もなくして女性が男性並みに働くことではない、今でいう「8時間働けばふつうに暮らせる社会」を女性も男性もいっしょにつくっていくことだ、でもそのためには女性自身が声をあげなきゃいけない――そんな話をよくしました。「女の館」なんてネーミングで(笑)、たくさんおしゃべり会をしました。

写真 家の前で母と。小学校5年生のころ

(写真)家の前で母と。小学校5年生のころ

――国会でも、北海道・航空自衛隊の女性自衛官への性暴力問題に超党派でとりくみましたね。

2007年、事件当時20歳の原告が、酔っ払った上司に夜中に呼び出されて性暴力を受けた強かん未遂事件を裁判に訴えました。彼女は、呼び出されて加害者の部屋に出向いたことを「職務規律違反」とされたり、男性上司に被害を打ち明けて一時仕事場を離れたことを「職務離脱」と言われるなど、被害者でありながら「トラブルメーカー」に仕立てあげられ、退職を強要されました。典型的な被害者への貶めです。

彼女は退職を拒み、現職のまま国家賠償を求めて裁判をたたかいました。弁論で、彼女は「自衛隊は私を退職させることで、今回の強かん未遂、勤務中の飲酒、退職強要、パワー・ハラスメントを隠そうとしました。問題を被害者である私になすりつけて、事実を隠そうとしました。(中略)私の事件を通して、私のような思いをする女性が二度となくなるようにしたい。私の踏みにじられた人権を取り戻すため、同じ経験をした女性たちに勇気を与えるため、たたかいます」とのべて、満席の傍聴席から拍手が起きました。

現職自衛官が国を相手にたたかう――誰も歩いたことがない道を歩んだ彼女の勇気を思うと、今も胸がしめつけられます。あのとき党派をこえて広がった支援の運動は、まさにいまでいう#MeToo、#WithYouでした。07年7月、札幌地裁で全面勝訴して、国は控訴を断念しました。

国会でもこの問題をとりあげました。防衛庁のセクハラに関するアンケート(98年)で、自衛隊の職場で上司から性的関係の強要を受けたことがあると答えた女性が18.7%。強姦、暴行、未遂を含む経験がある人が7.4%にものぼっていたんです。ところが、セクハラで精神的ダメージをうけて1カ月入院、退職せざるをえなかった女性の事案でも、加害者は停職わずか1日。上司も注意だけ、という甘い処分でした。しかも防衛省はこのセクハラ調査を1回しかやっていなかったんですね。他省庁に比べても貧弱な対応だと追及して、その後、08年に2回目の調査が実施されています。

――農家のジェンダー平等、女性の地位向上も大切な課題です。

ほんとにそうなんです。生産の現場はもちろん、産直や加工、農家民宿、農家レストラン…どこにいっても、女性のがんばりが輝いています。それなのに、中小業者と同じで、農家も妻の給与が必要経費として認められません(所得税法56条)。妻の働きが夫の所得に合算されてしまう――まるで明治時代でしょう? この所得税法56条の廃止、国民健康保険の傷病手当・出産手当の拡充も農家の女性の強い要求です。

2019年からの10年は国連「家族農業の10年」です。世界の食糧生産の8割を担っている家族農業に光があたっているんですね。家族農業を応援する政治に変えていくことと併せて、それを支える女性の地位向上が大事です。「農家」という言い方は、家族農業応援には意味があるんだけれど、それによって女性独自の課題が見えなくなってしまってはいけない、という問題意識も共有されるようになってきました。農協や農民連(農民運動全国連合会)も、女性を「〇〇さんちの嫁さん」でなく、会員として登録しよう、と呼びかけています。私たち日本共産党も、国会内外で“農村にジェンダー平等を!”と訴えていきたいと思います。

歯止めのない自由化路線を走る安倍政権にたいして、「日本農業新聞」のモニター調査(4月25日)でも、安倍政権の農政を「評価できない」という回答が約7割に上っています。国民の命を支える第一次産業を守るために、一日も早く安倍政権を退陣させたい。日本の農林水産業のすばらしい底力を生かす政治へ、力いっぱいがんばります。

ベンチに座って微笑む紙さん

前へ

愛知「ハラスメント撲滅プロジェクト」初トーク集会を開催 6月2日

次へ

ジェンダー平等へ パンフレット発行