現場Note

大正関東地震の教訓に立って、最新の知見を知らせ、生かす

原 千拓(社会部科学班)

原 千拓(社会部科学班)

 1923年9月1日に神奈川県西部で発生した大正関東地震から今年でちょうど100年がたちました。関東一円を襲ったマグニチュード(M)7・9の巨大地震による関東大震災は、死者・行方不明者10万5000人以上と、日本の自然災害史上で最多の犠牲者を出しました。科学班所属の私は、大正関東地震はどんな地震だったのか、その発生メカニズムや最新の地震研究について取材しました。

 科学班では、細胞や遺伝子、原子といった微小な世界から生態系や異常気象、地球外生命探査、宇宙の成り立ちなど様々なテーマを取り上げます。取材で各分野の専門家から直接話が聞けることが最大の魅力だと感じています。専門家の特別講義を独り占めしている感覚で、質問と応答を重ねる中で、自身の世界観が広がり学びが深まる、とても貴重な体験です。

関東の地下──ひずみの蓄積

 大正関東地震の研究は初取材で、東北地方から都内に移住した私にとって、関東の地下は未知の世界でした。しかし、研究者の「世界でも特殊な構造で、さまざまなタイプの地震が予想される」という話を聞いて一転。「なんてやばい場所なんだ! なぜこんな所に首都ができてしまったのだろう」と衝撃を受けました。関東の地下は、関東地方を載せた北米プレート(岩板)の下にフィリピン海プレートが沈み込み、さらにその下に太平洋プレートが沈み込むという、複雑な構造を持つというのです。

 フィリピン海プレートと太平洋プレートは、年間3~10㌢㍍の速さで日本列島に近づいており、これらの境界部や内部では「ひずみ」が蓄積。ひずみが限界に達し、もとに戻る際の弾みで地震が発生します。こうした地震はプレート同士の相互作用で発生するため、関係するプレートが多いほど発生する地震の数も種類も多くなります。なかでも代表的なものが、大正関東地震と同じタイプの地震です。

 大正関東地震の震源域は、陸の北米プレートと相模トラフ(海盆)から沈み込むフィリピン海プレートの境界です。同じ震源域で起きた1703年の元禄関東地震は、大正よりも規模が大きい地震だったと推定されています。専門家はM7級の地震の発生頻度は、これまでの100年間よりも今後の100年間で増える傾向になると予想しています。

 首都圏では、大正当時はなかった多くの高層ビルや大型の架橋などが点在し、東京の人口はこの100年間で400万人から1400万人へと増加しています。現在の関東でM7級以上の地震が発生した際、大型構造物や密集した住宅街にどんな被害が及ぶのか不安がよぎります。沿岸域では津波が発生する恐れもあります。大正関東地震では、残っている記録から最大で約12㍍、各地に6~7㍍の高い津波が押し寄せたと伝えられています。

壮絶な津波被害──忘れえぬ光景

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(M9・0)による津波被害の壮絶な光景は忘れることはできません。宮城県石巻市にあった実家は、港から約400㍍離れた場所にあり津波に遭いました。母は津波に追われながらも自宅の2階に避難し津波を免れましたが、近隣では亡くなった人もいました。父は北上川沿いで津波にのまれましたが、なんとか自力で民家に泳ぎつき九死に一生を得ました。

 当時、山形県内で教員をしていた私は、両親の安否を確認するため実家に向いました。石巻市内は、がれきや真っ黒な海底の泥に覆われ硫黄の臭いが漂っていました。実家の近所では家が道路を塞ぎ、逆さまになった車が庭に漂着していました。実家に近づくと泥がひざまでぬかるみ、倒壊した家や電柱に注意しながら歩かなければいけませんでした。

 この東北地方大震災で2万人以上が犠牲になりました。また津波は世界最悪レベルの東京電力福島第一原発事故を引き起こし、事故から12年半たっても県内外に多くの人が避難したままで、深刻な事態は続いています。原発に「絶対安全」などありえず、世界有数の地震・津波国である日本で原発だのみはできないという、最大の教訓が示されました。

進む調査・研究──防災・減災に

 取材を通して、〝巨大地震は繰り返し発生する〟というメカニズムを前提に関東の地下の状況や過去の大地震の形跡について様々な分野から調査・研究が行われていることを知りました。一つは、GPS(全地球測位システム)を使った最新の観測法です。プレート間の変動をなんと、1年あたり数㍉㍍の精度で計測できるというのです。解析結果から、大正と元禄の関東地震の際にすべったプレート境界の主な領域や、その領域では現在、ひずみの蓄積が進んでいることなどが分かってきました。

 また地下の断層を捉えるために、宇宙線ミューオンを利用した新しい観測方法の開発を目指す研究チームもいます。宇宙線ミューオンは、地上に降り注ぐ素粒子の一つ。物体を透過する能力が高く、ピラミッドのような巨大な構造物でもレントゲン写真のように透視することができます。その性質を利用して、地下にある詳細な断層の情報をつかもうという試みです。

 海底においては、地震や津波の高さなどをいち早く正確にとらえるために、高感度の地震計と水圧計が北海道から房総半島沖、紀伊半島沖と四国沖に設置され、観測網の整備が進められてきました。

 「巨大地震がいつ起こるかの予測は難しい」と専門家はいいます。一方で、これまでの研究や調査から、どのような地震・津波が起こり得るかはわかってきており、その被害予測は、次来る巨大地震に対する備えにつながると力を込めます。研究成果に基づいた知見から防災・減災の取り組みの必要性を訴える専門家たちの言葉に重みを感じます。

軍事ではなく災害に強い国づくりこそ

 関東大震災の教訓を忘れず、災害への備えを怠らないため9月1日に「防災の日」が定められました。関東大震災では「朝鮮人が暴動を起こした」、「社会主義者が内乱を企てている」などのデマが広がり、多くの朝鮮人や中国人、社会主義者たちが虐殺された事件も史実として決して忘れてはいけません。

 過去の地震や津波、豪雨などの災害からの教訓をどう生かすか、多発する災害から国民を守る政治の役割が重要になります。しかし、岸田文雄政権は、5年間で43兆円という軍事費拡大を狙い、全国の約300の自衛隊基地に国土が戦場になる可能性を前提にした施設の強化や敵基地攻撃兵器を保有する大型弾薬庫の建設など、戦争ができる国づくりを進めようとしています。

 地震のほか、近年の梅雨期や夏には、線状降水帯による豪雨や大型台風が頻発し、全国各地を襲い被害をもたらしています。そんな時にさらに地震が発生したらと考えるとぞっとします。こうした自然災害は、未然に防ぐことはできません。今、日本に必要なのは、軍事力を強めるよりも災害に強い国づくりが、いの一番だと感じています。防災・減災を軸としたまちづくりや、地震研究、防災技術に予算を回し、被災しても安全・安心な手厚い避難サポートが受けられる、街が被災しても復興できる、家を失っても再建できる、生業が続けられる、以前の日常を取り戻すことができる対策が求められています。

 「赤旗」記者の力と知恵を合わせて、地震や津波など自然災害の科学的な理解や最前線の研究、過去の災害からの教訓、被災者に寄り添いながら暮らしや生業を取り戻すための施策などあらゆる角度でとらえ、多くの人たちに伝えていきたいです。

(はら・ちひろ)

『前衛』2024年1月号から