現場Note

広島・被爆遺構――「あの日」語る建物守れ 運動続く

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写真部 細川豊史

 広島の被爆から75年。同市指定の被爆建物は、原爆ドームをはじめ86件残され、被爆の痕跡を今に伝えています。再開発や老朽化などで被爆建物が次々と取り壊される中、「あの日を追体験する建物を残すべきだ」と、国、県、市に求める市民運動と、広範な市民世論が力となって、保存・活用の道が開かれてきました。現在も、貴重な遺構を守る取り組みが続いています。

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旧陸軍被服支廠 県が解体方針

 爆心地から約2.7キロ南東にある旧広島陸軍被服支廠(ししょう)。94メートルもの長さの、れんが造りの建物が4棟(1棟は国、3棟は県所有)あり、被爆建物として最大級。大きく曲がった鉄扉が、爆風のすさまじさを物語ります。

 同施設は、旧日本陸軍の軍服、軍靴などの戦地への供給拠点で、軍都広島を象徴する建物でもあります。

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 県は昨年、1棟だけを保存して2棟を取り壊す方針を表明。保存を望む世論が高まり、松井一実広島市長も保存を求める中、県は解体を1年先送りしましたが、解体方針を変えてはいません。

 長年、被爆建物の保存を求めてきた「原爆遺跡保存運動懇談会」の副座長で県原水協代表理事の高橋信雄さん(81)は、保存・活用を検討してこなかった県の怠慢を批判します。「被服支廠の保存は、近隣諸国との歴史認識の共有、連帯にとっても大切です。県や国に重ねて要請したい」と語ります。

旧呉服店 多くの観光客

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 平和記念公園内で唯一の被爆当時の建物、同公園レストハウス(旧大正屋呉服店)は、96年に市が解体しようとしましたが、市民運動の力で阻止。保存・復元工事が行われ、今年7月1日にリニューアルオープン。多くの観光客でにぎわっています。

旧広島大理学部1号館 OBら守る

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 旧広島大学理学部1号館は、90年代に同大学移転後の再開発で保存が危ぶまれましたが、大学OBも立ち上がるなど運動の結果守られ、2013年には市が国から無償譲渡を受けました。

旧日銀支店 市が文化財指定

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 爆心地から380メートルと近いものの、堅固で保存状態がよい旧日本銀行広島支店も、同支店の移転(92年)後、市民運動の力で守られました。市が重要文化財に指定し、日銀から無償貸与されています。保存・活用方針の策定が課題です。