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日本共産党

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赤旗

自由意見(比較的長文なもの)

自分の学校は私服登校で派手でなければ服装も髪型も得には言われないので納得していますが他の学校の生徒は髪の長さを細かく言われると言っており特に男子生徒が髪の毛を伸ばせないと言っていたので良くないと思いました。

学校は学ぶために来ている所なので服装や頭髪くらいは自由にさせて欲しいです。学年主任が一番校則について言ってきていて、すれ違う度に目が怖くて本当にストレスです。早く校則が変わることを願っています。

制服には大きな矛盾が生じている。自分で考え判断しなくてはいけないのに自分が制服を着ているなんて、校長先生の祝辞の時笑いそうになってしまった。自分が考えていたことをそっくりそのまま校長先生が言ったからだ。

海外で当たり前にオッケーされていることが、日本ではダメとなっていて、アメリカから来た英語の先生にビックリされました。日本の学校の校則のお陰で治安が良くなってるところもあるかもしれないけど、ちょっと厳しすぎるんじゃないかと思います。

私立の学校や高校は自分で選んで入れるのだから、犯罪などではない限り基本的にどんな校則があってもいいと思う。しかし公立の小学校や中学校などは選べないので、時代に即していない校則などは変えていくべきだと思う

自己責任にしたらいい髪色やピアス、靴下の長さまで制限されて注意される自分たちも、わざわざ指導する先生たちもいい気持ちではないと思うし仕事も増えるだろうになんで変えないのか疑問でしかないです。

冬服を着るときに、一番上のボタンを留めるという校則があり、クラスメートで、お下がりがきつく、一番上のボタンが、留められないために、毎日先生に叱られている子がいて、暑いし、別に留める留めないは、好きにしてもいいようにしたほうがいいと思っています

校則に限らず、入試や就職などで、個性を大事にと言いながら、個性を潰すようなことをしていて、矛盾していると思わないのかといつも苛立つ。ただ、生徒の健康のため、安全のための校則ならもちろん守るし、いいと思う。校則を設けるなら、守る側である私たちが納得出来る理由を話してほしい。

自分たちの校則を自分たちで変えられない意味が分からない。社会に出たら自分たちのルールは自分たちで決めるのが当たり前。子供は大人に従うために生きているのか、大人はそんなに偉いのか、校則の在り方を全国の全ての学校で一から見直すべき。

学校という数百人規模の小さな組織で校則を決めるから厳しくなる。同じ地域にある公立中学校でも、学校によって校則の厳しさが違う。いっそ、全国規模で考えれば色々な意見に影響されて多少緩くなるのでは。

私の高校では、校則の運用が緩かったものと認識しているし、校則違反に当たる行為も黙認されていたものが多かった。一般論としては、校則について議論する機会を持つことは、自らが所属するコミュニティの規則について議論することであり、民主的な組織運営の練習にはなるのではないかと思う。

髪型自由 なぜ肩についたら結ばないといけないのか ピアス 穴くらいはいいと思う ツーブロは本当にいみがわからない 勉強はするから校則をもっと自由にして欲しい 自分の個性が出せなくて自分に自信が持てない

スカートの長さは極端でかなければ少しくらい短くても良いと思う。携帯電話の使用は授業中は原則として回収するのであればまだ分かるが、休み時間も使えないと親などとの連絡が取りづらく不便。携帯電話を校内で使用しているのが先生に見つかると1週間の没収処分や謹慎処分がくだされるのは考えて欲しい。

まだ成長途中にある子どもに適切な助言を加えていくのは大人がやるべきことであるとは思うが、それが校則のように不適切な手段で決められたり不適切な内容のものであったりするのは子供に対し悪い影響を与えていると思う 校則の内容や制定方法は民主主義にかかわる重大な問題であるとも思う

校則っているかな?その人その人の好きな髪型、服装、持ち物を持って何が悪いのか分からない。きっと校則が無かったらみんなもっと楽しい学校生活が送れるはず。私がもし学校の校長だったら真っ先にいらない校則は破棄してしまうと思うけど、先生はなんの疑問も持たずにいるのが何でかなと思う。

校則はなくていいと思う 私は巻き爪だし、他の人もなにか抱えてるかもしれない。そういう人にとって校則はあってほしくないものだと思う。実際、巻き爪でローファーを履いて通学するのはとてもきつい。校則でこんなに悩まされるのは普通に考えておかしいと思う。

いわゆるブラック校則というのは時代錯誤である。バイトは家の事情があれば許可するというバイト許可制は許可を申請しに来た生徒の家が経済的に困窮している、ということを周りに伝えなければいけない。

従順な人間を生産したいのであれば、ある程度守りやすいルールを定め、無意識のうちに守らせ続けるのがいいと思う。 あまりにも厳しいルールを定めると反発することを覚えるため。

中学では,先生に校則の理由を聞いても,「理由があるから校則になっているんだ。」と言われ,理由を具体的に答えてくれなかったことが多かったです。そういう理由が答えられない校則が少なくなって欲しいです。

最低限のマナーを守ってという意味で校則が存在していると思う。将来性を考えたら必要なものもあるが、必要ないとか制限しすぎているとこうものは変えていける後押しが必要だと思う

嫌って訳では無いけど色とか髪型とかは自由にして欲しいと思います。派手なのはさすがにダメだと思うけど髪型を決めてしまえば自由ではなくなってしまうし、セーターや靴下の色も自由にして欲しいです。

別に校則があったからといって、生徒の権利はあまり侵されないと思う。死ぬわけでもないし、苦しむわけでもない。あと、関係ないが、サイトに校則反対の意見しかのってないが、校則があっても良いというような意見も少しはのせるべきでは?

どうしてこの校則があって、こうだから守らなくてはいけないという説明が成されないのは納得できない。私たちが信用されていないように感じる。先生に聞いてもはぐらかされることが多い。明らかに時代に合っていない校則もあるし、現代に合わせた校則に改定すべきだと思う。

生徒からすると必要のない細かい校則もあるので、無駄な校則は減らして欲しいと思います。生徒の個性を無くそうとすることは必ずしも良い事とは限らないと私は日々感じています。

校則に文句を言う権利を有するのは、学校側の視点まで踏まえて変えようとする者だけだと思う。規則を守るという義務を果たさずに検査された時だけ怒って権利を主張するのは筋違いである。また世の中は怒りを煽って義務を果たさぬ者にさえ権利の主張ばかりを後押しする風潮があるようで心配だ。

恋愛関係なく遊んだり、喋ったりしたいです。ピアス開けたいです。髪を染めるのはどっちでも大丈夫です。登校、下校する時の靴の色を自由にしたい(理、黒靴下に白の靴はダサいから)

中学生にもなると、周りからの評価的な視線「見られる自分」が気になるお年頃になります。校則をただひたすら書き連ねたものを配布するのではなく、「何故その校則が必要なのか。」生徒が、保護者が、納得できるような理由がほしいです。理由もなく制限するのはどうかと思います。

全体的に少し厳しいと感じた。学校のイメージダウンは学校側にとって嫌な事なのはよく分かるが、それによって生徒が自由にできないのは違うと思う。自分は髪を染めることなどは反対なのだが、髪の長さや髪型を自由にできないのは少し厳しいと感じた。

髪型に関する校則をゆるくして欲しい。たしかにアレンジ重視の奇抜な髪型はいけないと思うが、ポニーテールやお団子はOKにしてほしい。むしろポニテやお団子の方が、髪がすっきりして授業も集中できる。

小学校は比較的自由だったので、中学校に入学してその窮屈さに驚いた。入学時には論理的な必然性がない思いつきのような校則にかなりの反発を覚えたが、今ではその気持ちは小さくなっており、大人に簡単に抑えつけられることにだんだんと慣れていっている自分が怖い。私達の主体性を奪っていると思う。

私の学校の他の生徒は、学校(校則)が嫌で退学しました。黒染めの強要、その生徒だけの特別指導などなど、彼はとても苦しんでいたと思います。そのような辛い経験をする生徒を減らしていってほしいし、僕自身も校則改革を研究して頑張ります!

校則があるから今のような平和な学校生活がおくれてるから今更どうこう言うものではないと思う。不満があるなら高校生なら勝手に辞めればいいと思う。自分に合った高校に行けばいいと思う。

バイト禁止は正直意味がわからないです。確かにバイト時間で勉強時間や、プライベートが削れるのはわかります。ですが将来働くにおいて、バイトと言うのはとても貴重な経験になると思うし、その人の自由だと思います。そういう観点から見ると校則はとても縛りが強いものだと思います。

校則を守ることは、社会に出たときのルールを守る練習だと捉え、納得するようにしていますが、先生によって指導しない先生もいらっしゃったり、反論しそうな生徒には指導しない先生がいたりと、細かい校則のせいで不平等になっています。

私は服装や髪型などに特にこだわりがないので、校則に関して特に興味を持って来なかったが、何かしらの理由で不快に感じている人がいるのであればその理由を聴き、お互いに納得のできる結論を出すべきだと思う。

校則は、将来困らない最低限の物だけにしてほしい。校則を決めるなら、それに対する真っ当な理由を説明してほしい。校則を決める場合は生徒に匿名アンケートを実施してほしい。

古い校則をそのまま使い続けているのはおかしいと思います。校則が多くあることで生徒として先生達に信用されてないと深く感じてしまう事がありました。こうした考えの生徒は多くいると思うので教育委員会でも話し合って????校則をつくるか校則の見直しを検討して欲しいです。

ある程度の校則はあった方が、規律ができるし清潔感もあるので良いと思う。しかし、頭髪などの個人が生まれながらに持っている特徴をわざわざ申告したり、強制されることは、人権の問題にも繋がると思うので改善していくべきだと考えます。

校則は生徒それぞれに個性というすごい良いものがあるのにそれを潰して良くないと思う、しかもツーブロックに関しては意味や納得のいかないルールというのも非常に嫌だし僕の周りの人も校則は必要最低限でいいと言っていました、

自分を守ってくれると聞かされていたのに、全く守られている気がしません。むしろきつくて学校に行くのが鬱です。ほかの学校はと抗議したら罰せられ、全く私の考えていた高校生活とは違いました。がっかりです。

古臭い考えに囚われて、いつまでも因習を続ける現在の学校教育現場はかなり多いと思われる。生徒のことを学校のイメージと一緒くたにして、まるで商品のように飾り付けるのはやめて欲しい。集団だからと個人の自由を潰しやり方は何も良い事を生まないと私は思う。

校則は先生個人の判断で評価してはならないと思う。私達は、みんな同じ校則を与えられているのだから、先生も一人一人を差別しないで判断して欲しい。また、校則によって生まれたいじめがあることを知って欲しい。校則を守ることは悪いことじゃないのに守った結果、外見を見て友達や周りの人から嫌味を言われる人や、コンプレックスを隠せずに学校に行けない人の気持ちは理解しているのだろうか。その上で、このような校則を未だに続けているのだろうか。

先程も述べたように、個性だ何だ述べるのであればもうすこし自由にやってもいいと思うしやりすぎは良くないが、もう少し私たちの個性は守られ、育てるべきであると思う。もしそれが私たちを守るルールであるなら、何を、どこを守っているのか教えて欲しい。個性を潰すようなルールやマナーはいらない。(犯罪はダメ)

制服は指定されたものでもいいとは思うがスマートフォンの使用禁止は時代もどんどん変わってきているから変えてもいいと思う。バイトの禁止はバイトをすることで成長できる部分も沢山あると思うからバイトの禁止という校則は無くして欲しい。

正直言って、制服登校はダルい。私服登校アリとかにしてくれると、もう少し経済的にも助かる。自分は、スカートの他にスラックスも買っているのでそれを考えると私服の方が安く済む。

校則が厳しすぎると思う。少しは必要に感じるが、あったところで意味の無いと感じるものも多々ある。そういったものは必要性を感じないし、生徒のなかでも検査時にしか校則を守らない人もいて意味が無いので、取り消すべきだと思う。

なんのためにあるのかを、明確にするべきだと思います。学校は勉強をしに行く場所ではないでしょうか。社会に出ればどんな服を着るべきか、TPOを自分で考え行動しなければならないのに、学校ではなぜそれを学ぶことができないのかとても不思議です。

学生生活はほんとに貴重なものなのに、それを校則というもので縛り、必要のない校則まで存在し、それを守らないといけないというのがほんとに嫌です。ほんとに早くこの校則を変えて欲しいです。

本当にやめて欲しいです。制服とか高いだけで夏は暑いし、冬は寒い。女子はスカートで男子はズボンというのも疑問です。なぜ女子はスカートにしなければならないのでしょうか。機能性にも問題があります。

校則の理由などを細かく親にも教えて欲しいしそれが必要か時代に沿っているのか毎年審議するべきだと思う。古い学校ほど昔ながらのやり方で誰も改革しない。それがうちのやり方だと思っていてそれが変だと言うことに気づいていない。

「男女どちらかはしてもいいのに男女どちらかはしてはいけない」という校則を作ることによって不満も出てくるし、LGBTQの人にとっては、より生きづらい環境になっています。早く直してください。

個性個性というのであれば髪の毛の色やピアス、スカートの長さを自由にして欲しい。あと、携帯も課題の調べごとや思い出作りのためにOKにしてほしい。先生も同じ校則で過ごすんだったらちょっとだけ納得するけどそーじゃないから余計に疑問に思ってしまう。

制定する意味があり、理由が納得できる校則や決まりについては従うつもりだが、意味がなく、説明もろくにされないのに従うことを強制されるのは嫌だ。個人的に、守らないと勉学に支障が出る項目は制定、指導してもいいと思う。

本当に校則を緩くして欲しい。昭和のカチコチの脳みそから令和の校則にかえて欲しい。今は令和です。昭和でも平成でもありません。そして、校則を破ったら?反省文と説教とかってあるけれど、だいたい先生方が言ってる説教のお話は、人権侵害です。日本の公民や政治を教える立場の人間が人権を侵害して良いのかとても疑問です。

もし私が校則のある高校に通っていたら、制服や決まりに沿った服装や行いで、生徒の集団に中に溶け込んでいたと思うし、校則があることで、安心できる事も沢山あったと思います。でも、そればかりが大切だとは思えなくて、自分らしさが潰されてしまうほどの厳しい校則や決まりは、生徒さんにとって辛いものにしかならないんじゃないかって思います。

私の通う高校は、比較的、理不尽な校則は少ないと思っています。しかし、校則の改善に努めようという気配は一切ありません。これだけ話題になっても、校則を改善しようという動きは、まだ社会に浸透していないという事でしょう。

SNSで、ジェンダー平等などの社会問題が話題になる事が多い今のうちに、この校則は改善の余地があるのだと、全国の教育委員会や教員の方々に気がついていただければいいなと思っています。

ストレートヘアーじゃないとという圧があったのにストレートパーマを当ててはいけないという矛盾と、自分が否定されているような感覚があった。それに、制服は男女別だったが、スカートが嫌いな女だった私にとって、スカートを強制されるのは嫌だった。また、登下校は必ず制服だったため(制服は洗えないのに)、部活帰りは、汗の匂いのまま制服を着なければならず苦痛だった。

理不尽な校則はなくなってほしい。LGBTとかLGBTじゃないとかではなく、一人の人間として過ごしやすい学校生活を送りたい。自分の特徴である、髪や眉毛など自分自身を校則に反するからとダメという烙印を押されているような気になる。「LGBTだから」ズボン/スカートにしても良いではなく、最初から自分で好みの組み合わせで買うことができるようにして欲しい。

校則や制服がない学校だが、荒れていなかった。意味のない制服校則は即刻廃止すべき。県立高校だが制服校則もなく、休み時間に勉強したり近くの商業施設にお昼を食べに行ったり、いろいろ自由にできた。時間割も一人一人違うように定められた。単位制だったので、自分が学校でまなびたいことだけ学ぶことができた。それでも大学に行きたい人は大学に行っていた。校則や制服がないことで進学実績が悪化するとはとても思えない。日本の多くの高等学校が思考停止だと感じる。

高校の決まりは明文化されていないものも多いです。例えば私が通っていた高校では、体育の授業の時は時間割に書かれている授業開始時刻の5分前には必ず全員集合という決まりがありました。この決まりを知ったのは入学後で、生徒手帳にも時間割にもどこを探しても書かれていないものの、「五分前に間に合わなければ減点」の罰則がありました。
明文化されていないが故に決まりの運用は各教員の裁量となっていて一貫しておらず、入学してからしばらくは数々の書かれていない「決まり」と「罰則」を知るのに苦労したのを覚えています。
明文化されていない決まりは、書かれていないがために変更を要求することも、外部の目と共に再検討することも困難です。必要以上に多い「暗黙の決まり」は真面目な学生にもストレスです。決まりは予め周知され、明記され、誰の目にも明らかなものであるべきだと私は思います。

校則はある程度必要なのだと思う。いじめや誹謗中傷等の他人の尊厳や健康に害を成す事があってはならないためだ。しかし今の校則は完全に自分の尊厳や健康に害を成すものになっている。これはいじめと何ら変わらない。髪型、服装が少し派手だからといって全員勉強に興味が無いのか。ピアスをしているからといって全員犯罪を犯しているのか。街に出て派手な格好、ピアス等をしている人を多く見かけるが、そのような問題行動をとっている人等は一人もいなかった。仮に犯罪を犯す人がいてもそれは服装が派手だからではない。その事実は学校側も知るところであるはずだ。にも拘らずそのような校則があるというのは教師側か子供は何もできない管理すべき存在だと思っているからだ。子供にどんな力があって何ができるのかわかっていない、いや、わからないふりをしているのかもしれない。管理が楽だから。また意見表明できる場を全く設けようとしない。それらは立派な人権侵害だ。

校内スマホ使用禁止とする学校をどうにかしてください。先日、私の高校に●●●●という講師が来て情報モラル講演会を行いましたが、その内容は疑うものばかりでした。その講師はスマホを校内や修学旅行などで使うと損害賠償で訴えられるとか、「斎藤さん」と言うアプリを子どもがスマホにダウンロードしていたら親が逮捕され書類送検されるとか。根拠のない嘘の話ばかり。
また弁護士ドットコムの記事の見出しだけを使い、自分の都合の良いように記事内容部分は話をねつ造していました。「インスタのストーリーズ掲示板転載は「肖像権侵害」地裁が発信者情報開示を命じる」という2020年10月の記事でしたが。かなり問題あるのではと思います。それらの話を信じてしまった生徒の感想は目も当てられませんでした。スマホは危ない、訴えられる、だから持たせない、校内使用禁止、そんなことをこの時代にまだ言っている講師と、こんな人物を招いて50分間もウソの話を聞かせる学校にウンザリしました。

生徒のためにあるべきであるから、もっと生徒が意見を簡単に発信できるようにしてほしい。また、先生がどこかに書かれているわけではない独自の決まりを作ることをやめて欲しい。さらに言えば私たちは校則がなくてもやっていけるようになるべきだと思う。

窮屈なので変えて欲しいです。
少しの自由も欲しいです。
守るとこは守ります。
でも今のままだと守る気全然でません。
もう少し私たちの事も考えるべきだと思ってます。

僕は教師による罵声や怒号が飛び交う学校に行けなくなりました。本来はすべての子供の学ぶ権利が保障されるべきはずですが、公立の学校でルールや価値観の押し付け、従わないものへの暴力は明らかに憲法違反だと思います。政府が憲法違反、それに対応す流ように公共の教育機関も憲法違反では、日本は崩壊への道を行くことになることを危惧しています。

確かに校則は学校のルールだから大切
だが、下着の色を指定したり髪の毛の長さを制限したりするのはよくないと思う。なぜなら髪の毛や下着は個人の自由だと思うから
でも髪の毛長すぎるのは良くない
露出のある下着はダメだと思う。それは男性の性的感情を高めてしまうから
また電車通の人は痴漢されやすいから

少しずつ校則が変わって欲しいと思っています。理由は今の校則は私たちの自由や個性を奪い、学生を昔の考えや偏見で縛っているからです。私の学校に下着を確認するなどの校則はありませんがニュースなどで知った時はゾッとしました。私たち学生は悪い印象を持たれやすいけれど、そこまで厳しくする必要はないと考えています。校則を変えることは簡単では無いと思いますが、全国にある「ブラック校則」がなくなり、学生もきちんと理解できる、納得出来る内容の校則に変わればいいなと思います。

「三ない」は県教育庁が道路交通法を不当に侵害する人権問題であり、他都県では撤回しているのに茨城県だけ撤回しないのはおかしい。そんなに「三ない」を撤回したいなら、公共交通機関をいちいち時刻表を調べることなく気軽に乗れる位緊密でなければならない。それもできず、一日路線バス4本しかないような交通行政では「三ない」破りをするしかない。何故県教育庁ごときが法律違反をするのか?16歳になれば自動二輪・原付免許を取得できると道交法では定められているのに。校則が法律を制限するなんて独裁も甚だしいです。
(年齢は大幅に上回っていますが、未だに法律違反を働く茨城県に怒りを禁じえず回答しました。)

校則を定めるのはいいのですが、それを守らせる根拠を科学的か論理的に定める必要があると思います。
個人間のやりとりだったら、ある程度は口約束や妥協で何とかなると思いますが、
学校規模となるとそうはいきません。
校則を守る(守ってるか確認するために権利を侵害する)ことによって、ただただルールによって不利益を被るものが少なくなって欲しいです。

制服も「ジェンダーレス」や「トランスジェンダー」の方向けという名目で一部学校では、女子向けのパンツスタイルも認められましたが、
個人的にはそういう枠組みにカテゴライズすることなく、
シスジェンダー女性もパンツスタイルを認められて欲しいですし、シスジェンダー男性でもスカートが履けるなど、
性に囚われず希望する制服を着ることができる環境を理想としています。

主に制服についての校則で悩んでいます。当時の担任と話をしても入試が関わるから制服は着たほうがいいと言われました。本来は生徒や規律を守るためにあったはずの校則が、最近は多くの生徒をきつく縛っています。LGBTQへの対応や理解もまだまだ校則には反映されていません。そのため、学校という場所自体に嫌悪感を覚える人もいると思います。大人はこういった現状を調査した上で早く私たちを楽にしてほしいです。人生の半分以上を学校で過ごす子供たちにとって校則も生活の一部です。しかし、その一部によって自分を苦しめてしまう現実もあります。制限のある自由や押さえつけて自分のアイデンティティを見失ってしまうような教育はいつの時代もあってはならないはずです。なのに、同じルールに沿って生活していたはずの大人は、自分たちの時はそうだったし、大人になってその校則はあったほうがいいと思ったから、と全く違う時代の学校にいる私たちの理解を中々得られない状態となってしまいました。これは大きな問題です。私たちの将来の生き方に、良くも悪くも影響があります。その内の一つが制服なのです。校則の見直しを必ずしてほしいと思います。

いい意味でも悪い意味でも、ルールがあるからこその今の日本の国民性だと思う。震災時やコロナによってその協力的で集団主義な国民性が現れたが、厳しすぎるルールで人権が侵害されたり、自分の意見を言えなくなるほどに同調圧力が生まれてしまうのは良くないと思う。周りの目を全く気にせずにわがままに生きるのではなく、周りと共生していく力を保ったまま、より個人の自由や幸せを追求できる世の中になるように学校機関の校則が民主的に決められれば良いと思う。

体育の先生は体育会系だからなのか、決まりに対して頭ごなしに従わせようとする人が多い。ヒモ靴の外履きじゃない生徒は体育祭に出さないぞ、と脅迫された。夏服冬服の切替時期指定など、暑い寒いは人によって感覚違うから無理やり指示されたくない。先生からみんなと同じ格好をしないとイジメられるぞ、とまるでそういうイジメを肯定するかの様な事を言われた。先生に手を振っただけで叱られた。自分がやった事じゃない問題に対して、親に心配をかけない為に自分が全部悪かった事にしなさいと言われ、親にも言わないよう口止めされて先生を信用出来なくなった。

下着の色が校則違反だった場合、男子がいたとしても、その場で「その下着の色ダメだよ」と言われた人がいた事があります。その子は勿論女の子です。
思春期に人権ないんですか?
もはや、精神的なDVだと思います。
ただ、その先生だって言いたくて言ってる訳じゃないと思うんです。
それに、注意する先生だって辛いかもしれないし、言われた生徒も辛いです。
男子がいる前で注意されるんですから。
そもそもそんな校則が無ければ、誰も辛い思いしなくて済むんです。
誰が聞いてもおかしい校則は、徹底的に消すべきです。
例えば、下着、靴下、ゴムの色等です。
これらを縛る理由は、授業の集中力が切れるからだそうです。
そんな事で切れると思いますか?
生徒をナメすぎです。
ゴムの色が赤でも、靴下が黄色でも授業に集中しようと思えば集中できます。
中高生は、思春期です。お洒落したいと思い始める時期なのに、こんなしょうもない理由で、縛られるのは凄く腹が立ちます。
本当に私の通ってる中学校は、生徒のことをきちんと考えてくれているんでしょうか?
校則って何の為にあるんですか?
生徒を縛る必要ありますか?

プールの塩素によって髪の色が落ちている人がいると言う事実が広く知れ渡ったら、と思う。中学、高校で合わせて何度髪を染めているのかを聞かれたかわからない。髪色のせいで距離を置かれる事や、先生から問題児なのではないかと思われる事もあった。
実際、髪を染めていると勘違いされて、先生から怒鳴られ、謝罪を要求された先輩もいる。
この理由を建前に髪を染める人が出てくるかもしれない。それでも構わない。非はその人にあるのであって、嘘をついていない人に罪はない。
勿論、髪質も人それぞれなので、プールに入っても全く髪色が落ちない人もいる。
しかし私みたいな生徒への配慮も必要だと感じている。

校則はいらないと思う。その方が先生たちは服装チェックとかの時間がもっと他の時間に当てられる。指導もいらなくなる。
私服だと経済格差とかお洒落じゃないからとかでいじめられるとかいう人もいるけれど、いじめがないように(道徳とか、いじめについて、人権についての)授業をしたり、いじめアンケート定期的にとったり、いじめがすぐみつかるような透明性のある学校づくりをするのがいいと思う。(校則が厳しい学校は地域、保護者などに閉鎖的な感じがする)
校則の書き方ですが、○○しない、○○は認めないのような否定表現より、○○して、○○はOKのような肯定表現にした方がきく方も気持ちがいいし、よく伝わると思う。
この前テレビで、小中高生が通うフリースクールが紹介されていたのですが、そこでの唯一の決まりは何も禁止しないということ。すごく良いと思った。これを聞いて日本の校則は禁止ばっかりなんじゃないのかと思った。このフリースクールの決まりが他の学校にも採用されてほしい。アンケート結果がでたら、改善案をつくり、是非文部科学省、教育委員会などに提出してほしいです。

自分の学校は自由な校風とは言えど、多くの人がそれほど学校の改革に積極的ではなく、長いものには巻かれろ自民党に拍手パチパチ的主義者が多く、その点は残念だと思います。また、世の中には数多くのブラック校則があると聞きます。生徒が直接声を上げることは腰が引ける人もいると思うので、それらの小さな声を聞き、掬い上げ、「こんなひどい校則があるんだ、なんとかしようじゃないか」と世の中に発信することも大事だと思います。日本共産党の弱者に寄り添う姿勢には感動します。周りになんと言われようと、私は日本共産党を応援しています!

校則があってもいいが、時代に合わない校則やなくしても誰も困らない校則を生徒達が全て決められるなら100歩譲って校則はあっていいと思う。
学校は生徒がいなければ成り立たないのだから、生徒が主体となって決めた方がいいと思う。自分達の学校は自分達で良くできるという意識が育つと思うから。

今は校則どうこう言っている場合じゃなくて新型コロナウイルスについての校則を取り入れるかどうか、また、取り入れる場合、どのような校則を取り入れるかについて子ども目線のアンケート調査をするべきだと思います。校則とご時世についてあまり理解していないアンケート調査だったので日本の政治活動に対してさらに落胆しました。しかも、アンケート調査の内容も子どものことを本当に考えているのかが伝わらない内容でした。最後に、子どもの意見を聞いてくれる機会をつくっていただき、ありがとうございました。もう一度アンケート調査をする場合はTPOをよく考えていただきたいです。

学校の先生は髪を染めたり、ツーブロックにしたり、化粧をしているのに生徒がしては行けないのはおかしい。
社会に出て困るから、と先生はよく言うけど、今のデジタルな社会でネットを使えない方が困るから、校内での携帯の使用を許可すべき。
服装は自分で天気とか体調によって判断するべきだから、先生が決める必要はない。大人になって自分の服を自分で決められない方が困る。

校則は、生徒を守るためにあるというのは、理解できるが、置き勉をしてはいけないなどの校則はどうもおかしく感じてしまう。当然、期末テストなどの勉強の時は、持って帰らないといけないけど、遠くからも来ている人がいる中教科書、ファイルを持って帰れというのはおかしい。実際、自分も含めた多くの人が教科書などを隠れて置いていってる。
当たり前という一言で、何かを強制することは憲法19条が定めた思想・良心の自由を侵してることになるし、頭髪等を出さして、生徒の個性を奪うことは、多様性を学べない。これは、23条の学問の自由にも反すると思う。しかし、校則がおかしからと言って、自分たちの主張を先生たちに押し付けるのも間違っている。だからこそ、お互いが思い思いに意見をぶつけて話し合える環境がとても大切。例えば、生徒会など。そして皆んなが楽しく学校生活を送れること。生徒だけが幸せで先生たちが不幸せな環境などおかしい。
あと教育の基本を定めた教育基本法の精神を遵守することが必要だと思う。僕は、現在の教育基本法は、国という単位ばかりで人間(個)というものを見ていない。2006年に全面改正された教育基本法は、衆議院も参議院も強行採決により制定されたと聞く。今の教育基本法は、そもそも、日本国憲法にも反している。これがあるからブラック校則も残り続けるのだと思う。だから1947年に施行された旧教育基本法を復活させるべきだ。旧教育基本法は、国を国民あっての国だと言ってくれている。特に前文の「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成に期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化を目指す教育を普及徹底しなければならない。」という一文はブラック校則を無くすための重要なアイテムになると思う。そして1条の教育の理念も忘れてはいけない。1947年と2006年の教育基本法は全くの別物だ。長々と書いてしまったが僕が言いたいのは以上です。

教育として、ある程度の校則は良いと考えています。
でも、髪型だったり、冬夏の服装だったり、窮屈だと思う事が多々あるのも事実です。
自分の容姿くらい好きにさせてくれればいいのにと思います。
制服に関しては先程の部分に書かせていただきましたので、詳細は書きませんが、ジェンダーレスでなくてもスカートは嫌だだとか。ズボンは嫌だと思う子も少なくないと思います。
自分のように、容姿にコンプレックスがある子は髪型を自由にすることによって補ったりしている子もいると思います。
化粧、ピアス、髪染めなどは少し話とずれますが、校則から外れればいいのにと日々思います。

いろいろ校則についての不満はあるのですが、ピックアップして書かせていただきます。"中学生らしい"髪型であるかどうか。という校則にうんざりしています。とくに中学生らしい髪型の定義も示していないのに、一丁前にツーブロックだけ異常なまでに禁止するのは何故でしょうか。毛量の多い人なんて大変でしょう。私は女ですが、髪のボリュームを抑え、スッキリ見えて清潔感のある髪型が学校で禁止されるのは意味が分かりません。中学生らしさを強要するよりも、清潔感のある身だしなみを教えるほうが、社会に出る時にも役立つはずです。化粧だってそうです。TPOを考慮していない、派手な化粧などは指導が必要ですが、自分のコンプレックスを隠す程度の化粧は良いのではないでしょうか。血色が悪く見えるのを色付きリップでカバーしたり、眉毛を整えたりアイプチで目の開きを良くしたりするだけでも印象は変わります。なんといったって、学生自身の気持ちの変化になります。年頃になると、自分の外見に悩んだり、自身のコンプレックスを気にすることが多いです。生徒が頑張って変わろうと努力しているというのに、校則というもので子供の向上心に傷をつけてしまうのは凄く酷いことだと思います。決まりを守ることは大切ですが、その"決まり"が本当に必要であるのかをもう一度考えていただきたいです。もし間違っていたらきちんと指導するのが大人の役目、間違えないように厳しく拘束するのは違うのでは?

校則や決まりは時代が変わるごとに変わっていくべきものだと思う。例えば、髪型や服装に関していえば、「男子だから、こうじゃなきゃいけない」「女子だから、これはダメ」など、性の多様性に反しているととても感じる。ただ、そういうことを先生に伝えると、「そういう生徒は届け出を出せ」などと言うことが目に見える。なぜ、全体に自由を与えるということにならないのだろうか。少数の人たちが特別な行動を取らなければ、落ち着いて生活を送れないなんて、差別的な社会だなと感じる。大人達が子供達に「こんな社会を変えていかなければならない」と教えているのに、その社会を作っているのはその大人達という馬鹿げた状態に今の多くの学校はなっている。大人の人たちが僕たちにそれを変えさせる機会を与えてくれないと正直、僕たちは辛い。今年で、高校を卒業して校則からは解放されそうだが、これからの後輩達のためにもいち早くこの状況を変えたい。

先生は自分が絶対正しいみたいな顔をして「校則を守ることは大人になってから役に立つ」と言うけれど、呆れる
例えば、ツーブロックを校則で禁止しといて大人になってから何の役に立つ?
でも頭のおかしい一部の先生と教育委員会は
「自分の頭で考えろ」「ダメなものはダメだ」の一点張り、「自分の頭で考えても分からないから質問してる」といったら無視。
こんな大人の相手をして、言うことを聞いてれば真っ当な大人になれない。将来上司などの権力が自分より上の人に都合よく扱われる。最後には周りから、単純なやつだから何か言えば何でもやってくれると思われる。これは父親の友達の体験談だ
こう言うことがないためにも校則はもう一回慎重に見つめ直して、一部の先生、教育委員会の人たちに分かってもらいたい。

学校では『個性を大切に』と言いながら生徒の個性を出す物(髪型や髪色、ピアス等)を制限しているから言っている事とやっている事が矛盾していると思う。先生方に髪を染めたりなど何故ダメなのか聞いても「決まりだから」としか答えないから、生徒が納得出来るような答えを生徒手帳などに書いて欲しい。大人は学生らしくとか言ってくるけど、そう言ってる人も学生らしさとは何かとか誰も答えられないので、『学生らしく』なんて言葉で片付けないで欲しい。
そもそもなぜツーブロックがダメなのか。憲法第13条の幸福追求権で髪型の自由は認められているはず。教育基本法1条には人格の完成って書いてるけど、そもそもツーブロックとそれ関係ないし。校則より法律の方が上だし、この校則はあまりに不合理だから適用されないはず。事故に遭いやすいから等と言っているが、そもそもツーブロックは社会的に清潔だと言われている髪型であるため、明らかにおかしい。校則だのなんだの言っている学校は、教育者、教育機関としての資格はないと思う。

ニュースでよく見るけど髪型を奇抜にしてきて指導されてから「校則がおかしいのではないか」と主張するのはおかしいと思います。しっかりと校則を守った上で主張していくことが大切であり、それを何でもかんでも自由と主張し自分たちで自分たちの生きかたを狭めてしまっていると思う。ブラック校則などは廃止すべきではあるがある程度の校則がないとそれを守れないようでは社会に出て何のルールも守れないと思うので校則自体はあっていいのかなと思います。

私の学校は全日制の頭髪以外校則ないので、自由な服装や制服のスカートやズボンに縛られません。制服があると女の子は女でいなくちゃいけないし、男子は男子でいなければいけないので個人の尊重ができていないと思います。
服装は自分の個性の表しなので自由にしたほうがよい。また、メイクなども今後身につけていいかなければならないので多少のメイクは良しとするべき。私の学校はOKな学校です!

校則が必ずしも悪いというわけではない。ピアスなどのアクセサリー類は実際に危険である。廊下を走ってアクセサリーが引っ掛かり耳がちぎれるなどのことも考えられる。
制服の着用義務もありがたいと思っている人もいる。すべてが私服だと馬鹿にされると思っている貧困層もいることを共産党のくせになぜわからんのか?
ツーブロックや髪染が禁止も納得がいく風紀が乱れるのだ。風紀が乱れれば、学生の本文である勉強が学校でしづらいと感じる本末転倒だ。
校則を変えるのもいいがもっとするべきことがあると思う。

社会でルールを守れるようにするための校則かもしれないがそれを重視しすぎて先生と生徒が対等に話せず生徒の個性を消していきみんなが同じように生きなければいけないようになっている。いじめがないように皆同じように個性を殺すようにしてるのかもしれないがそれは逆効果で少し違う人がいるだけで変な人と判断するようになっていくと思う。そうすれば硬い頭の人間ではなく人間の多様性を受け入れれるような柔らかい頭の人間が増えていくと思う。ルールを守れるようになるのは大切だが違う校則を作っても出来ると思う。学校の校則は効率が悪いと思う。
厳しすぎてもいけないとは思うけど意味の分からない校則(ツーブロック、下着の色の指定など)は別になくてもいいと思う。そのような格好をしてはいけない理由を述べて欲しいし、実際にその格好をして事故にあった生徒がいるのかどうかも知りたい。日本ももっと多様性を受け入れていくべきだと思う。従来の型にハマりすぎている。

こどもはもっと自由にのびのびと自分のために勉強するべきであるので、見た目は自由でいいはずだし、常識てきな知識があればよいとおもう。しばられていきるからこそ抜け出したくなって荒れる子たちがいるのだと思う。自分で考えて積極的に行動する力をつけるためにも日本には必要だと思う、海外の教育制度などを見習ってほしい。

子供にも自由権というものがあると思うが、校則によって全てではないがその権利が侵害されていると言えると思う。
その事を議論せずに暗黙のルールの様にしているのは
自由権を侵害しても大丈夫ということを容認していると捉えられると思う。
この事は子供の力だけでは殆ど変えることができないと思うため、
大人の協力も不可欠である。
しかし大半の大人は協力に反対的であると私は認識している。
小さな声を大きな圧力でかき消すのは
良くないと思う。
長文となってしまい申し訳ありません。

校則や決まりについておかしいと言えば、先生からの評価が下がり、内申点が下がり、自分の高校の進路にも影響すると思うと、声をあげられません。
中学生の時、先生に服装を注意され、クラスメートからの攻撃が起こりました。不必要な決まりによって同調圧力が強まり、少しでも決まりを守れていない人がいれば攻撃するという形ができあがります。おかしな校則に対する意識を生徒も先生も変える必要があると思います。

ある程度の校則は理解出来るけど、ツーブロック禁止や頭髪チェックで地毛が茶色や天然パーマの生徒を無理やり黒髪やストレートに直すのはその生徒の人権に関わる問題だと思う。それと、日本は堅苦しく、メイクや髪型、ピアスなど、それも生徒の自由、個性を広めるものだと思うからそれほどキチキチと切羽詰まった校則は無くしてほしいです

オトナはみな「個性は大事だよ」と口ではそう言うもの髪色は黒しか認められない、靴下の長さは~~など個性を全て捨てているように見えます。生徒が無意味な校則を変えようと先生に掛け合っても先生は大人のそれらしい事情をこじつけて生徒の意見に聞く耳を持ちません。
先生は「よりよい学校にするために?」なんてお決まりの言葉を並べますが、実際にどこがどう変わってそれはより良くなったのかどうかちゃんと生徒に明らかにしてほしいものです。

未だに昭和のようなことをしているのかと感じる。ある教師が集会で言っていたが「自分は校則はいらないと思う。」と言ったくせに変えようと努力しない。そして個性を尊重とか言っているが校則で個性を潰している。学校はいつまで昭和なんだよ。時代にそぐわねえだろ。校則の替え方ぐらい載せとけよ。教師は生徒より華美な髪型・服装だし、生徒がそれをすると怒るし、いやお前が言うなって話だろ。

校則って...子供の個性をほぼ消してる様なものじゃないですか?誰しもファッションやメイクに興味出るじゃないですか。それを「子供だから、」「する必要がない」とか、必要~云々じゃなくてもっと個人の個性を大切にして行く必要があると思います。
あと私の学校では他のクラスに行っては行けない。と言う校則があるのですが先生に質問してみました。そしたら「他のクラスに混じって分からなくなるから」「他の学年とトラブルになるから」「迷子になるから」と言われました。トラブルに関してはそれこそ先生方が止める事なのに面倒くさがってるのかな、と思うこともありました。先輩に聞かなければ行けないことなどもあるのに他のクラスに行ってはいけないと言う校則のせいでそれこそトラブルになったらどうするんでしょうか。なのでその様な意味不明な校則は必要ないと思います。

まずツーブロック禁止ってなんででしょうね。学校側も私達が納得できるような説明もしませんし。まず1番有力な情報だと事件等に巻き込まれる可能性があるため。こんなの偏見ですよね。ならもう日本にツーブロックの人いませんよねって話です。実際そんな髪型がイラつくが動機な事件なんてほぼないですしまず学生がそんな髪型が原因で事件に巻き込まれる訳ないと思います。完全にそんな事件ないとは言い切れませんが確率的にはものすごく低いと思います。髪型の校則でどれだけの人が苦しんだかと思うと少し胸が苦しくなります。あと清潔感が悪いという理由もありますがニキビの方が不潔だとも重います。でも学校側は生理現象だから仕方ないとか変な言い訳するのでしょうね。多分学校側は私達生徒共がどんなに口を出そうと変える気はないと思います。所詮ガキのほざきのように聞こえてるでしょう。なぜなら過去にも生徒が学校側に意見を言い結局スルー。いじめの案件もスルー。ダメですね。この学校はなんなのでしょうか笑

校則は学校生活をより良いものにするためにあるべきだと私は考えます。
だから、精神的にも成長する過程で、個性をも抑え込まれてしまうような校則があると、個性がなくなってしまうし、人の感情表現が乏しくなってしまうように感じます。
だから、高速を今一度見直すべきだと考えます。
私の高校では英語でディベートするときの話題として校則の話を選んだりして話し合うことがあります。実際に男子の髪型の縛りが緩くなったりもしました。もし校則について何か発信しようとしているなら、「高速を変えなさい」「校則を撤廃しなさい」ではなく「その校則は自分たちに合っているか考えてみよう」というような発信の仕方がいいと思います。

教員は校則に対しておかしな点を感じていたとしても上司からの圧力やそう決まっているからという理由で生徒にそれを強要したり体罰を加えるという事があると思う。また体罰や暴言が犯罪になると分かっていないような教師もいる。生徒側から抗議したりしても変わらないことがとても多いので、全国の校則の内容を制限する法律の制定や学校を管轄する自治体単位で教員の意識を変える研修を行うなど行政の主導する抜本的な改革が必要だと感じる。

昔は性別に囚われてた時代だったが、今は違う。今は、私たちの時代、個性や自由とはなにかを追求する時代、自分らしさを互いに尊重し合う時代...など、生き抜くためには、時代にあった校則や決まりでなければいけないと思う。様々な人がいるからこそ、世界が作られていくのだから、それには"自分らしさ"という個性が1番大事になってくる。
日本共産党の皆様、このようなアンケートをお作り頂き、ありがとうございます。どうか私たちの学校の校則や決まりを変えてください。そして、個性を出し合い、お互い尊重し合い、平和で自由な日本を作ってください。応援しています。

恋愛禁止や頭髪の指定、本当にいつの時代って感じです
私はジェンダーの1つがあるのですが、男子と仲良くするだけで注意されるのは本当に嫌です
友達かそうじゃないかぐらいは見分けてくれないかと思います
恋愛禁止の理由が、「勉強や部活と両立が出来ないから」なんですが、それはその人の努力次第だし、そうやって決めつけるのはどうかと思います
個性を尊重して欲しいなと感じます
あんまり干渉しすぎると良くないというのが分からないのでしょうかね

制服、鞄、靴(白い靴)揃えるのにお金がかかる。
学校は勉強しにきているのだから、髪型の指定とか、靴とか、制服とか、その他の校則は、あっても、勉強できなくなったりしないから必要ないと思う。

小学校を卒業して、中学校に入ってから校則が一気に厳しくなった。
小学校の時は理由が教えられたのに
中学校は大人が子どもを管理しようとしているようにしか感じない
決まりが沢山ある。学校にいる全員が安心できる決まりに変えたい。
髪染めやピアスなどをするのは学生らしさではないというのは分かっているのですが、靴下の長さや、髪の長さ、髪型、下着の色などで学校の名前が汚れるなどというのは理解できません。他の学校では指定していないところも多いです。中学生とは違い、善悪の判断は付くはずの高校生ですのでもう少し自由を与えてくれてもよいのではないでしょうか。

自分の学校はないけど、ほかの学校はひどいらしいことは知っていた。
不条理なものは変えるべきだ

ある学校で生徒会長をしているものです。
本校の校則には、「本条項の最終決定権は、本校長に帰属する」という条文があります。
校長が学校の最高責任者であることは重々承知していますし、校則においては、それと同じくらい生徒の権力も認められています。生徒会執行役員が、議事を基本取り扱っていて、そこでの決定権は、まずまず覆りません。しかしどうでしょう。それが各学級に降りていったたとき。「校長」が下すはずの「最終決定」を、担任や担当教員がしているではありませんか。教科のことならそんなことはもちろん構いません。しかし、校則に書いてあるのは結局形骸化しているのです。「校長」が「最終決定」の判断を下したなんて話は聞いたことがありませんし、一般教員がほとんどを掌握していると言っても過言ではありません。
それなら「校長の代理人として教員の決定を聞くべし」と条文を付け加えればいい。
結局、生徒会活動のことなど眼中にないのだ。と思われても仕方ないような穴だらけです。そんな基礎的なこともできないで、決定権は自分にあると勘違いし、天狗になっている教員が非常に哀れに思える。これは法律でも同じではないだろうか。決めるものが自ら律されにいくような構図でもないと、結局は人間ですから、チカラにすがるのです。もちろん判例はあるかもしれませんが、標本的、統計的にとらえたらそれが一般論でしょう。
生徒の心情を完全に無視しているようなきまりは、断じて許せませんし、それは国政においても相違ありません。
政治的思想はどうであれ、憲法の前文に書いてあるように「国民の代表者」として、そして憲法15条第二項に書かれているように「全体の奉仕者」であることを忘れずに、給料をいただいてほしいと思います。納税世代でもないものが生意気ではありましたが、議員さんであれ公務員さんであれ、あるべき姿。つまり「きまり」で定められた姿から、一時たりとも離れず、常時意識し、「きまり」をつくり、「きまり」を全うしていただきたいと存じます。
以上。長くなりましたが、よろしくお願いいたします。

女子にもボーイッシュな格好をしたい人がいるはずで、おそらく教師陣に性障がいのことを話せば男子向けの制服を着れると思う。でも、そんなことをすると確実に浮いてしまうので、生徒が自由に選べる寛容な空気を作るべきだと思う。そんな感じで決まりは組織として気持ちよく過ごすためのものだから、我慢してまで守るのは少しずれている。でも、決まりがないとだらけてしまう子もいると思うので小学校の頃から「なぜ決まりがあるのか」「組織とは何か」みたいなことを教えるべきだと思うし、みんなで守っていこうという空気を作るのが大切だ。そのような意識が憲法への関心や政治への興味につながってくると思う。

今の中学校の校則は意味がわからないものが多すぎます。女の子の髪型は一つ結びのみで、高さは耳の位置と決まっています。三つ編みなども禁止されています。男の子は耳に被らない程度の長さにするよう言われています。
カバンや靴、靴下、下着の色まで全部決められていて、個別性は何もありません。
何のためにここまで決められるのか、理由も意味がわからないです。
もっと自分らしく自由にしたいです。

男女での差をつくることで、子供の未来にたくさんの影響が及ぶことをしっかり理解した上で校則や社会のルールをつくって欲しい。 自分はxジェンダー(中性)ですが、体が女であるため、中学校、高校でスカートを履かされました。本当は高校には行きたくなかったのですが、親の反対があり、スカートを嫌々履くことになりました。スカートのことはもう諦めて我慢して履くことにしていましたが、女子は靴下がふくらはぎの真ん中より上ではないといけないという事を入学後に知り、しんどかったです。
最後に一番伝えたいことを書きます。
積極的に何かを変えようとする人がいなければ国は変わらないんですか?国から変える動きを見せてください。

まずは校則を法律とか公開することを義務化するべきだと思う。具体的にはホームページに掲載したり学校のホームーじに書いたりやり方はいろいろある。誓約書を書かされるがこれを拒否する権利はない。入学決定後に校則の資料とともに誓約書が送られてくる。契約内容を知らされないまま受験し合格したら強制的に誓約書を書かされる。これは消費者契約法違反にもなりうる(個人的見解)さらに校則をじっくり読み解いて行くと法律、憲法違反状態のものが山積み