私の「WithYou」 〝女だから〟と進学をあきらめた母の言葉が原点 梅村さえこさん

前衆院議員・参院比例予定候補(活動地域 埼玉、群馬、茨城、栃木)

 
「個人の尊厳とジェンダー平等」を目指す立場で努力してきた日本共産党。この党から立候補し、政治の世界へと挑戦しようとする女性たちに、「私のWithYou」を語ってもらうインタビューシリーズです。第1回は、前衆院議員・参院比例予定候補の梅村さえこさん(活動地域 埼玉、群馬、茨城、栃木)に、お話をうかがいました。
 
梅村さんトップ
 

このサイトの立ち上げを待ってました!

 
――JCPWithYouのサイトの立ち上げを、梅村さんはどんな風に受けとめましたか?
 
やったー!という気持ちとともに、正直、やっと!この時が来たと思いました。
 
私は、ちょうど大学2年の時に、男女雇用機会均等法が成立(1985年)した世代なんですね。これからは女性も、男性の補助的仕事ではなく、「総合職」などキャリアアップできる時代になると言われて就職を迎えました。私が学んだ立命館大学には「女子学生会」もあり、この法律制定をめぐって、学生の立場から、男女平等と、母性保護にとりくんで、学内集会などにも友だちと参加しました。
 
この法律は、国連の女性差別撤廃条約をうけて、国内で初の均等法となるもので、重要な役割を果たすものになったと思います。同時に、同期の女性たちはその後、バブル経済と崩壊の荒波の中で、「男並みに働く」という長時間過密労働に直面して心身が追いつめられてしまったり、結婚、出産、育児との両立の困難、新たな差別にぶつかったりする姿などを見てきました。バブル期に就職した私たち世代に対し、その後の就職氷河期世代の女子学生たちが、「雇用の調整弁」に使われる姿も見てきました。
 
また性被害、性暴力問題も日本は大変遅れています。そんな思いで、2年10か月の衆議院議員時代に60回の質問をしました。
 
「個人の尊厳とジェンダー平等」というのは、「片手間」や「一分野」の問題ではない。政治、社会、人権問題の「ど真ん中」の問題として、系統的で細やかに、かつ、緊急にとりくむ問題だと思いますから、本当にこのサイトの立ち上げを待ってました。
 
私も1日も早く国会に戻って、働きたいと思います。
 
 
お母さんと幼少期の梅村さん

お母さんと子ども時代の梅村さん

 
――学生のころから、女性差別に厳しい目を持ち、活動されていたのですね。
 
そうですね。それは、大好きな母の姿、人生を通して、小さい頃から「女性だから」って差別されるのはおかしいな、一人の女性が「幸せ」に生きるにはどうしたらいいのかと、敏感に感じながら育ったからかも知れません。
 
母は名古屋の大空襲で父親を亡くしています。祖母は母を含む子ども5人を女手一つで育てたのですが、家計が苦しく、男の子2人を上の学校にやるのが精いっぱいでした。母は、中卒ですぐに働きに出なければならなかった。母はそのことを、ずっと悔しがっていました。「戦争がなければ、おじいちゃんも死なずにもっと楽な暮らしができたし、上の学校に行けたのに」という言葉は忘れられません。
 
また、母は、結婚した父の家が農家の「本家」だったので、その「嫁」として慣れない農作業をすることに大変苦労していました。農作業を「男」たちと一緒にしながら、昼前になると先に家に戻って、みんなのご飯をつくり、休む暇なく洗濯や家事をし、また農作業に戻る姿がありました。母はその生活が一時期とても嫌になり、家を出ることも考えていたようです。当時、暗い母の顔を、私も子ども心にとても心配していました。そんな時、ふと母が私に言ったのが、「あなたは、経済的に自立して生きていってほしい」という言葉でした。きっと母は家を出ていきたくても、経済的に出ていけなかったのでしょう。
 
だから今でも、女性も男性も、だれもが自分らしく生きていけるような社会にするには、経済的に自立できる環境整備をすることがとても大事だと思います。
 

「世の中は変わる」と目覚めた学生時代

 
――なるほど。共産党に出会ったのはその学生のころですか。
 
そうです。大学に入り、女子学生会もありましたが、学生自治会もあって。
 
ちょうど私が大学に入学した年に、現在の奨学金の有利子化が狙われ、これに反対したり、学費の値下げや、教室やゼミ室、サークル棟、寮などの教育の環境整備を求めて、声をあげ、活動する先輩がいたんですね。「核戦争3分前」と言われ、核兵器廃絶運動やトマホーク反対運動も活発でした。
 
高校の頃には、管理教育や厳しい校則を「おかしい」と思っても、悶々とした気分だけでいた私にとって、「おかしいことはおかしいと声をあげて行動する」先輩たちはキラキラしていました。
 
そして、民青同盟()の人たちに仲間にならないかと誘われ、一緒に科学的社会主義を学んで搾取の仕組みや史的唯物論を知ると、どうして父母が一生懸命働いても豊かな暮らしにならないのか、どうして女性差別、性差別がうまれるのか、そのカラクリが見えてきて、目からウロコでした。「世の中は変わる、変えられる」って、がぜん目覚めちゃったんです(笑)。この時に日本共産党が、戦前、侵略戦争に命がけで反対したことを知り、「母を苦しめた戦争に体をはって反対した政党なら信頼できる」と19歳の時に入党しました。
 
※民青同盟 日本民主青年同盟。略称民青。青年の要求実現に取り組むとともに、日本共産党綱領と科学的社会主義を学び成長することを目指す、青年の全国組織。職場・学園・地域に班をつくり活動している。
 
――大学卒業後、民青の専従になられましたね。
 
はい。民青同盟の専従になるときには、その大好きな母が「アカにするために生み育てたんじゃない」と言って強く反対しましたので、本当に悩みましたね。
 
でも、母が願う「戦争のない平和で豊かに暮らせる社会」をつくるには、「格差と貧困」をつくりだす社会の仕組み、大もとを変えないといけないと思いましたし、戦前からの「アカ」という言葉で共産党がタブー視される社会をそのままにしたら、民主主義にはならない、いつか必ずわかってくれると、この時は母の思いを裏切る形になってしまいました。
 
ちなみに、母は、その後、共産党がどんな党かを知る中で「年金は下がり増税ばかりの政治はおかしい」「こわい所じゃないのね」(笑)と言い、共産党の応援団になり、数年前には党にも入りました。
 
いまも、「共産党はこわい」「共産党とは一緒にできない」とおっしゃる方もおられます。共産党とはどんな政党かを、もっと多くの人に知っていただきたい、ここに私の参院比例候補としての活動、仕事もあると思っています。
 
――その後、消費税をなくす会の運動にも参加をされましたね。
 
はい。私は、市民運動、住民運動ひとすじに歩むなか、国会に送り出していただきました。その大きなひとつが、消費税をなくす会です。消費税が導入された1989年の翌年に結成された草の根・市民団体です。早いもので消費税は導入されて満30年です。コツコツと、「消費税ノー」の声をあげ続けてきました。
 
 
消費税をなくす会のエプロンをつけて

消費税をなくす会の事務局長に。ピンクのエプロンがトレードマークです(左が梅村さん)

 
この運動は、台所、暮らしの中から生まれた運動なんですね。買い物や育児、介護の中で感じる消費税の思いをエプロンに、「赤ちゃんのミルクやおむつになぜ消費税?」「営業破壊税の消費税。とんでもない」などと手書きで思いを書いて、署名を集めた神奈川県港南区の女性グループの運動が全国津々浦々にひろがりました。
 
税は国の姿を映す鏡ともいわれます。1989年に3%で消費税を導入した竹下元首相も、1997年に5%にアップした橋本元首相も、どちらとも内閣は国民の強い反対の声と選挙で倒れました。
 

消費税は、より、女性に厳しい税

 
――消費税と関わって、ジェンダー問題にぶつかることはありましたか?
 
家父長制の名残、男女差別、男女の賃金格差が厳しい日本においては、低所得者ほど負担割合が重く、逆進性の強い消費税は、より、女性に厳しい税です。
 
とくに、ひとり親家庭や、年金生活で夫が亡くなって残された女性、商売を夫婦で切りもりしている人に、より過酷な税だと実感してきました。
 
強烈に記憶に残っているのは、1996年に池袋で起きた母子餓死事件です。お母さんが77歳、息子さんが41歳。そのお母さんがつけていた日記は出版もされました。夫が生きている間は夫の年金収入があったのですが、夫が亡くなると、とたんに年金額が減り困窮してしまったんです。息子さんは病気でほとんど寝たきり。どんどん貯金がなくなり、そのお母さんの日記の最後の方には、「白と黒の蒸しパン。コッペパン。全部100円。3コで300円(9円)。残金28円。全財産」とありました。「(9円)」というのは、当時3%だった消費税です。最後の食事にも、3%の消費税がかかったことを書いて、餓死されていったのです。言葉を失う思いでした。
 
一方、消費税を導入した竹下元首相は、その導入の日、銀座の高級デパートで、1本15000円の高級ネクタイと6切れ2000円の鮭を買い、510円の消費税を払いましたが、それは竹下元首相にとってはたいした負担ではなかったのでした。
 
餓死された親子の最後の食事代よりも高い510円の消費税を、そんなに重い負担とは思わない竹下元首相。税における「平等」とは、同じ税率をかけることではないと思います。
 
池袋母子餓死日記

『池袋・母子 餓死日記 覚え書き(全文)』公人の友社編、1996年7月20日初版

 
消費税って、逆進性が強いという表現では足りない税金です。命を切り刻む税金だと思います。
 
本来、税金というのは、所得再分配のためのものです。余力のある富裕層のみなさんが、力にふさわしい税金を払い、社会にそのお金を回す中で社会保障が支えられ、貧困をなくす、ジェンダー平等を実現する、それが税の本来の役割です。
 
だけど、消費税が導入されたのを機に、「貧困層から税金をとって富裕層に回す」という方向に、お金の回り方が決定的に逆転してしまった。
 
国会議員だった3年前、予算委員会で私は、麻生太郎財務大臣に対して「消費税を10%にするな」と追及しました。このときの質問で、シングルマザーの「クリスマスなのに子どもにケーキを買ってやれない」という悲痛な声を紹介しました。当時、総務省の家計調査で、ひとり親家庭は年間944円の赤字だったんです。赤字のひとり親家庭に、消費税増税をかぶせていいのか。消費税を10%にするということは、こういう家庭に「生きていくな」というのに等しいのです。
 
 
20160222予算委

消費税増税中止を求めて質問する梅村さん(2016年2月22日、衆院予算委員会)

保育園、駅でのベビーカー利用・・・子育ての中で政治を変えたい思いがひしひしと

――梅村さんは2人の男の子のお母さんでもありますね。子育てと政治とのかかわりも、たくさん感じてこられたのでは?
 
はい。消費税をなくす会とともに、地域で子育て運動にかかわり、2011年に福島原発事故がおこったことが、国政を本気でめざすきっかけとなりました。
 
私は埼玉県蕨市に住んでいますが、子どもが生まれて最初にぶつかったのは保育園探しでした。歩いて数分に公立保育園がありましたが、すぐ入れず、線路を越えた駅向こうにある家庭保育室にお願いをしました。 
 
その後、公立に転園できましたが、そしたら今度は、土曜日は14時までしか保育をしていなかったんです。そして、さらに〝事件〟が起こりました。それまでは、下の子を出産して育児休業をとっている間も、上の子は保育園に在園できていたのですが、市から突然、「育休をとる場合は上の子も退園」という方針が通告されたんです。学校の先生をしているママ友がちょうど育休をとろうとしていて、その人のSOSメールをきっかけに、「話し合う集まりを持とう」ということになりました。
 
他園の保護者にもひろがり、「保育園をよくするパパ・ママネットワーク」という会を作って、要望を市に持っていったら、市は当時、「公式な団体じゃないから要望は受け付けられない」という対応でした。これに、参加していたママやパパが怒って、「それなら正式に保育園の連絡協議会」をつくろうとなり、私もその結成に参加しました。
 
――すごいですね。
 
ちょうど同じ頃、私は「蕨駅にエレベーターを設置する市民の会」の代表になりました。今はもう亡くなった義理の父と一緒に電車で出掛けたとき、私はベビーカーや荷物をかつぎ、義父に赤ちゃんだった長男を抱っこしてもらって、駅の階段を降りたんです。そしたら、義父が上の子ごと階段を転がり落ちてしまって。
 
――ええっ!
 
私、動転してしまって、「何てことするんですか!」ってお義父さんに言っちゃって。本当は義父のことも気遣わないといけなかったのに。あとで、とても落ち込んだし反省したんです。
 
――とっさのことだから無理もないですよね。お子さんもお義父さんも大丈夫だったんですか?
 
幸い、どちらもケガがなくて。それでも、これをきっかけに「蕨駅にエレベーターを」というのが、私の切実な願いとなったんですね。そしたら、それが何と、市長選の一大争点になっちゃったんです!
 
――現在の頼高英雄蕨市長が、初当選した市長選ですね。
 
はい。前の市長は、「駅のエレベーターは市の税金でつけるべきではない。JRがつけるべきだ」と言っていたんです。私たちもそう思います。でも、いまのバリアフリー法では、「改札の外は地元自治体が基本的につける」となっている。それに、JRがつけないとする中で、多くの市民が困っているのだから、市民のために税金を使ってエレベーターをつけることは、なんらおかしいことではない、と署名を始めました。市民の反響はすごかった。7万人くらいの人口の市で、エレベーター署名は2万人以上集まり、「エレベーターをつける市長に!」が選挙の合言葉になりました。
 
また、頼高さんと一緒に保育園保護者会をやっていた方々が中心となって「フレッシュママの会」という会がつくられました。エレベーター、育休退園問題、土曜の通常保育実現の他、当時、出産できる病院は市内に市立病院にしかなかったのですが、赤字で産婦人科の先生がいなくなりかけていたので、「出産できる病院を守れ」も切実でした。あとは子ども医療費の無償化ですね。「これを実現するなら頼高さんを市長にするのが一番の近道」という声がどんどん広がりました。頼高さんが見事当選! その瞬間の感動は今でも忘れられません。
 
市民パレード(トリミング)

「蕨駅にエレベーター設置を求める市民の会」パレード。梅村さん(先頭)は代表をつとめました(2006年7月15日)

 
――劇的ですね。
 
その後がさらにすごいんです。
 
毎月のように要求が実現していく。「今月は、育休退園がなくなった」「今月は、土曜が通常保育になった」「今月は、学校にクーラーがついた」…。市立病院も産婦人科は守られ、今は経営も黒字になっています。認可保育園も5園から13園に、学童保育室は9室から17室に増えました。
 
――すごいですね!
 
「選挙で政治が変わると、こんなに暮らしや子育てが変わるんだ」と、本当に実感しましたね。
 

東日本大震災と原発事故・・・本気で政治を変えなければ

 
そうこうしているうちに国政の候補者にならないかと声をかけていただきました。「消費税10%を中止させたい! 子育てや街づくりのおおもとにも、国の政治がある。今度は国政を変えよう」と思うようになり、立候補させていただくことにしました。
 
候補者活動をはじめて間もなく、東日本大震災と原発事故がおこりました。
 
埼玉には福島から避難していらっしゃる方が多くおられます。埼玉スーパーアリーナが避難所になり、子どもの友だちを通じて、福島から避難してきた方と知り合いになりました。お父さんは仕事で東北地方に住み、お母さんと子どもさんは親戚を頼って埼玉に来られていました。「どうして僕の家は家族そろって暮らせないの?」と子どもさんは泣いて訴えたそうです。
 
埼玉もホットスポットがあるということで、公園の放射線測定や給食の測定検査を求めました。また、計画停電の体験は強烈に心に残っています。暗い中で、ろうそくを立てて子育てをするなんて、初めての経験でした。水道水からも放射性物質が検出されるということで、お野菜も洗えない。ペットボトルや電池も近隣では手に入らず、遠くの親戚から送ってもらったりしました。「この先、どうやって子どもたちを育てていくんだろう」って、あのとき、みんな本当に不安でしたよね。
 
震災後、初めて外にお散歩にいったとき、子どもが言いました。「お母さん、この滑り台触っていいの?」「ブランコ触っていいの?」。やっぱりそのとき、本当にね…(声がつまる)、本当に、原発はなくさなきゃいけないし、被災者のみなさんはどれだけ苦しい思いをされているか、本気で政治を変えなきゃいけないって、強く思ったんです。
 
初当選したのは、2014年12月の総選挙でした。
 
梅村さん初当選
 
――梅村さんは、国会議員になってから、消費税や働き方の問題などに力を入れてこられましたが、性暴力被害の問題を取り上げた質問もされていますね。これを取り上げたきっかけは何だったのですか?
 
2016年4月28日の消費者特別委員会でAV出演強要の被害救済、なくす問題、2017年5月11日の総務委員会で、性暴力被害者を支援するワンストップセンターへの国としての補助の拡充を求める質問をしました。
 
そこには、私自身の小さい頃からの体験からくる思いがありました。そして国会に送っていただいたのをきっかけに、池内さおりさん(前衆院議員)、斉藤和子さん(同)と一緒に女子高生サポートセンターColaboの仁藤夢乃さんの夜回りに参加したり、日本共産党の国会議員団で、大阪のSACHICO(性暴力救援センター大阪)を訪ね、代表の加藤治子医師のお話を聞いたりしました。恥ずかしながら初めて聞く話も多く、被害の凶暴さ、誰にも相談できずに苦しんでいる被害者の苦しみの深刻さ、数の多さに愕然としました。知らないということが恐ろしいことだと反省もしました。性被害、性暴力をなくすために、できることに全力をあげようと思いました。
 
性に向き合い、性を大事にすることが、人を大切にする、人権を大切にすることだと思います。

思いを語る梅村さん
 

性に向き合い、大事にすることが、人権を大切にすること

――ワンストップセンターに国としての予算がついたのは重要ですよね。その後、埼玉でも運動に取り組んでいると聞きましたが。
 
小さな取り組みですが「ミモザカフェ」をひらいています。
 
――ミモザは国際女性デーのシンボルの花ですね。どんな取り組みですか?
 
1回目は、前原かづえ埼玉県議、雪田きよみ吉川市議らと、埼玉の性暴力犯罪被害者支援ワンストップセンターに視察に行って、その報告会をしました。まだ、性被害や、その被害救済のワンストップセンターについて知らない人も多いので、これ自体を知らせたいと思いました。また、埼玉のワンストップセンターは、いわゆる病院拠点型ではありませんので、様々な被害者の皆さんの声にこたえるにはどう改善していくことが必要なのかの意見交換もしたいと思いました。
 
2回目は日本共産党吉川春子元参議院議員を講師に迎え、「性暴力をなくし、みんなが人間らしく生きられる社会へ――慰安婦問題とDV」というテーマで開きました。
 
ミモザカフェには、ジェンダー平等を実現させたいという願いを持つ人であれば誰でも参加できます。あまり規模を大きくしないで、何を話してもいいし、話したくない人は無理に話さなくていい、ということで続けています。被害者、当事者が、苦しい胸の内をはじめて発し、それを聞いて参加者が、性被害、性暴力の深刻さを受け止める場に、結果的になってきたりもしました。
 
参加した人たちは、地方議員の方はこうした問題を積極的に議会質問したり、またそれぞれのつながりで集会をひらいて地元テレビ取材をうけ放映されたり、埼玉のワンストップセンターのアイリスホットライン(性暴力被害の専用相談電話)の拡充署名に積極的に協力する人もいました。アイリスホットラインは今年から24時間365日に拡充されました。
 
また、先日4月26日、現職時代に三重県のお母さんから相談を受け、厚生労働省と交渉し、要望してきた、児童養護施設内などでの児童間での性被害について、はじめて調査、公表が実現し、2017年度に計732件把握されていたことが明らかになりました。厚労省は、同日通知を都道府県に出しましたが、子どもたちが安心して健やかに成長できるよう、この問題の解決も急務と考えます。国会に戻って、ぜひ、頑張りたいと思います。
 
――今日は、梅村さんが、ジェンダー平等や性暴力被害者支援の活動に、とても情熱的に取り組んでいることを知ることができました。ぜひ国会議員に返り咲いて、私たちの声を国政に届けてくださいね。
 
ありがとうございました。頑張ります!
 

インタビューこぼれ話

昨年の秋、自宅の庭に迷い込んでいた子猫を保護し、家族の一員に迎えた梅村さん。スマホでリズちゃんの写真を開くたびに、「きゃ~~~。かわいい~~~」とメロメロになる姿が、なんともほほえましかったです。
リズちゃん

 

スマホを見てほほえむ梅村さん

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