憲法9条で一切の戦力不保持を定めた意味と広島・長崎での被爆との深い関係について、長崎で被爆し、核廃絶を長年訴えてきた日本被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんに話を聞きました。
(「憲法9条の原点」)
憲法9条は、私たち原爆被害者、被団協の活動と不可分一体です。戦争してはいけない、武器は持ってはいけない―9条が言っていることを僕たちはまさに訴えてきた。核兵器禁止条約が締結され発効したいま、その実現の先頭に立つのが唯一の戦争被爆国・日本の役割です。憲法9条2項には核戦争を絶対に阻止するという意味が込められ、日本は被爆国として、それを背負って世界の中で発言していかなければならないのです。
歴史逆行の議論
僕はもともと「憲法を守れ」という言い方はあまり好きではなかった。むしろ憲法を生かす、憲法の中身を現実化するために何をするのかを問わないと運動にならないと思ってきました。しかし、今や本当に「守らなければならない」状況になってきました。
核兵器が使われた時、どうなるかリアルに想像できるのか―この国の多くの政治家たちはほとんど勉強してない。戦争被爆国の自覚を持っていない。憲法9条2項の戦力不保持を変えるとの主張が、高市首相を先頭に政治で力を持っている。僕に言わせれば歴史に逆行するばかげた議論です。
音より光の方が速い。1945年8月9日の朝、突然予告なしに世の中が真っ白になる。すごい恐怖、死を恐れる動物的反応で、僕は目と耳を押さえ地べたに伏せました。爆風が遅れて襲ってきた。9日の長崎で家の中にいた僕は助かったけれど、6日の広島で外で作業していた中学1年生は一瞬でほぼ全員が亡くなりました。その数は5000人くらいです。人間の人生をそんなふうに奪い去ることが許されていいものでしょうか。
それでも軍国少年だった僕は、初め9条に反対でした。原爆を使われながら、一切兵器を持たないのはあり得ないと思った。核による人間の殺し方、破壊の仕方は絶対に許されない。これはもう戦争ではないと思ったけれど、戦争そのものをなくすことはできないと思いました。
人類破滅の凶器
僕自身も含め国民が原爆の被害のことを広く理解するようになったのは、1954年のビキニ環礁での水爆実験以降です。憲法9条を制定するとき、幣原首相が立派なことを言ってくれましたが、52年までの7年間の占領下では、核の被害や危険は十分知らされなかったのです。
ビキニでの第五福竜丸の被災者23人全員が急性白血病、急性原爆症になりました。それまで放射線の人体に対する恐ろしさは知られていませんでした。核兵器反対の署名運動が広がり、55年に最初の原水禁世界大会が開かれ、56年に被団協ができ、原水禁運動が被爆者を支える動きになりました。その中で被爆の実相が掘り下げられ、国民に広く認識が共有されていきました。米ソの核軍拡競争で、核戦争による人類破滅の危険が自覚されました。
「核抑止」=核で戦争が防げるといわれますが全くの欺瞞(ぎまん)で、核戦争を起こすことが前提の議論です。核兵器は一発で瞬時に一つの都市を壊滅させ、数万、数十万の人間を殺す。脅しというより皆殺しを狙うもので、もはや戦争の道具とはいえません。使うこと自体が犯罪です。「悪魔の凶器」です。今度核戦争が起きれば人類は破滅します。

