2005年2月22日(火)「しんぶん赤旗」

部活試合中に落雷 生徒が失明

“学校に避難責任”

母に支持の声


 学校でのクラブ活動や校外での試合中などに落雷事故にあった場合、その責任はどうなるのか―。北村みずほさん(52)=高知市在住=は、息子・光寿さん(24)のサッカー大会試合中に起きた落雷事故で、安全配慮義務違反の責任を学校(私立土佐高校)や会場管理者(大阪府高槻市)に問い、損害賠償を求めています。いま支援の輪が広がっています。川田博子記者

 一、二審ともに雷鳴が聞こえ雷雲がおしよせてくるのを認めながら、「教諭には落雷が予見できなかった」として敗訴しました。北村さんは最高裁に上告受理を求めています。

 学校での落雷事故は、光寿さんの事故以前にもたくさん起きています。(年表参照)

 人体が雷をよぶことに注意が必要です。落雷研究の専門家である北川信一郎さん(日本大気電気学会名誉会員、元埼玉大学工学部教授)は、「人がグラウンドや平地など開けた場所にいると、雷の直撃を避けられない。とくに試合当時のような環境で、屋外スポーツのプレーヤーが落雷を受けた例は多い。雷鳴が遠くかすかに聞こえる場合でも、自分に落雷する危険信号と考えなければならない」と話します。

義務を問う

 光寿さんの事故について、「ただちに生徒らを、建物など安全な場所へ避難させるべきだった」と指摘する北川さんは、スポーツ指導者や学校関係者の生徒の生命、安全を守る義務を問う判決を求める「意見書」を高松高裁に提出しています。

 控訴審判決は、科学的には落雷事故をさけられる可能性があったことは認めながら、「平均的なスポーツ指導者」として持つべき「予見可能性」とまではいえない、という判断です。しかし、未熟な生徒を指導する立場の学校側にはより重い責任があるはず、と原告は主張します。

 鹿屋体育大学(鹿児島県)で学校体育経営学を教える宮田和信教授(61)も、「学校管理下の教育スポーツでは、なによりも安全が優先されなければならず、運営管理者や指導者は、そのために万全の策を講じるべきでした」と、一、二審判決に異論を唱えます。

 宮田教授は「過去の事例からみても、引率教師は落雷の危険性を予測し、試合遅延か中止をするべきでした。試合を優先させた結果、起きた事故です」と話します。

誰が守るの

 みずほさんは、「クラブ活動中の事故なのに、その責任がどこにもないとは、納得できません。この判決が確定すれば、毎日、学校に通う子どもたちの命や安全は、誰が守るのでしょうか」と話します。

 同級生の母親らと県母親運動連絡会の人たちが、裁判を支援する会を結成。学校災害から子どもを守る全国連絡会(学災連)を中心に支援する会がよびかけられ、「上告受理を」の声が広がっています。

おもな落雷事故

 1984年 愛知県瀬戸市内の小学校グラウンドで少年野球団の練習中、雨は降らずに遠雷。小6児童が意識不明。

  86年 広島県福山市内の中学校校庭でのクラブ活動でのサッカー練習中。遠雷が聞こえていた。中1生徒が死亡。

  89年 サッカー部活動時、雨がやみ、雷が鳴っていたが遠かったので、シュート練習しようと運動場に立った中3生徒が死亡。

  91年 埼玉県飯能市内の高校のソフトボールの授業中、雷雨が激しくなり、校庭から教室に戻る途中。生徒1人が死亡。

  93年 体育の授業中、降り始めた雨を避けるため教諭の指示でグラウンドから校舎へ移動していた。高3生徒が死亡。

  97年 福岡県久留米市内の中学校のサッカー部活動中、激しい雨の中、校舎に避難する途中。中2生徒が心肺停止後、そ生、重い後遺症。

 2003年 佐賀県大和町で、小学生が下校中。小4児童が死亡。


北村光寿さんの落雷事故

 光寿さん(当時十六歳)は一九九六年八月、大阪府高槻市内でのサッカー対外試合中に、雷の直撃を受けました。河川敷に近いグラウンドである会場付近には、試合開始前「雷注意報」が発令され、時折、遠雷が聞こえる中、「こんな状態でもやるんですか」と生徒が進言しましたが、引率教諭はやめず、主催者も試合を続行。事故が起きました。一命はとりとめたものの、両眼失明、下肢機能全廃、上肢運動能力減弱、言語障害の重度後遺障害を負いました。

 九九年、光寿さんは高校を除籍処分に。光寿さんは二〇〇四年春に県立盲学校に入学しました。



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