「現代こころ模様・葬儀考」

 第4部「『墓』と人生」

大反響 いずれ誰もがかかわる「お墓」をどう考える。連載続行中の第4部「『墓』と人生」に、自分のお墓の相談、共同墓のとりくみと取材依頼、質問、要望などが殺到しています。各地のお墓を探索し、「酒樽の上に、墓石が乗せた墓をみつけました」という情報の提供や、「自分の所有地にタダでお墓を作る方法」の提案などが、たくさん寄せらています。

 最近のシリーズでは、よくいわれる「墓相とたたり」「水子霊」の問題をとりあげ、この背後には「占い師」、テレビなどのメディア、石材会社などが連携した“仕掛け”があることを詳しくリポートし、大きな反響が寄せられています。このシリーズ(第24回「お墓と“たたり”」から第29回「『水子霊』の仕掛け人」までの6回)を紹介します。

 引き続き読者のみなさんとともに、お墓の問題を突っ込んで探求していきます。 この連載「現代こころ模様・葬儀考」は、昨年11月24日からスタート(週3回掲載)。第1部「火葬場から」(全12回)、第2部「葬儀の現場」(全18回)、第3部「模索重ねて」(全31回)と続き、いま第4部「『墓』と人生」。これまでに、読者の皆さんからからの共感、意見、質問、取材依頼などの反響は1千を超えています。


 お墓と“たたり”紙面を見る

 木の下の墓は病人が絶えない。墓地に小石を敷き詰めると異性問題が起こる。自然石は血縁が絶える……。「墓相学」によく出てくる話です。「墓相」とはお墓の手相や人相のようなもの。墓相鑑定にかなった良い墓を「吉相墓」と呼びます。逆に鑑定に逆らう墓を建てると「たたり」に見舞われる。

 十年余り前、この「墓相」が大流行しました。墓相鑑定で「このままでは災難にあう」と脅され、超高額の墓を買わされた。そんな、霊感商法ばりの事件や裁判が各地で起きました。

 その後、下火になったかに見えていたけれど、実はいまも根強い影響力を持っています。この間の取材でも、各地の墓地で「吉相墓」を見かけました。占術師の細木数子さんも最近、テレビの墓相発言で物議をかもしています。

 「六星占術」「大殺界」や「ずばり言うわよ」と、話題の多い細木さん。十六歳でミス渋谷、十代から喫茶店やクラブを経営。一九七五年には、借金地獄で苦しむ有名歌手の後見人として数億円の負債を解決。同歌手の超高級マンション(東京・赤坂)を入手したとして話題になりました。

 八三年には四十五歳の細木さんと八十五歳の陽明学者・安岡正篤氏の再婚騒動。安岡氏は昭和天皇がラジオ放送した敗戦詔書の原稿作成にかかわり、吉田茂、岸信介、福田赳夫など歴代首相の陰の指南役としても知られています。安岡氏の死去(同年十二月)直前に、細木さんが「婚姻届」を文京区役所に提出。安岡家側が「婚姻無効」を東京地裁に訴えるという騒ぎになりました。

 そんな話題のなか、細木さんは八二年『六星占術による運命の読み方』で占い界にデビューし、一躍売れっ子に。その占いの主要舞台が「墓相」の世界でした。

 この間、細木事務所に取材を申し入れていますが、回答がありません。(連載 第24回)


10万円の個人鑑定料

 墓相ブーム当時、細木数子さんの「勉強会」に出たことがあります。各地でおこなう講演会。会費は一万円でした。

 入念な化粧。大柄な身を白いドレスでつつみ、大きな指輪。いきなり、こう言いました。

 「テープをとるのはやめていただきます。一万円でテープまでなんて、おこがましいよ」

 「先生」──細木さんは自分のことをそう呼びました。「先生くらいになると占いなんていらない。(より高い次元の)心照学を極めているから」。それは恩師安岡正篤から学んだ陽明学にも裏付けされている、と説きます。

 男女の関係を心得違いしてはいけない。おろかな女が「男女平等」を唱えて失敗する。男が妻側の姓を名乗ると、(家系が絶えて)小児マヒやうつ病の子が生まれる。

 「ショウコン脚下」「ウンゼンの差」など意味不明の言葉も出てくるけれど、とにかく断定的な語り口です。

 休憩。後半は墓の話に集中しました。人の死後、骨肉の争いが起きるのは墓が悪いから、墓にカネをかけていないから。旧来の墓では「正しい供養」はできない。

 「石原裕次郎の骨を海に撒(ま)いた。骨は土に返さなければならない。だから石原家は絶家する」

 逸見政孝、松尾和子、勝新太郎…。「豪邸を建てる前に、なぜ一千万円、五千万円の墓を建てなかったのか。(この人たちの不幸は)墓が悪いからだ」

 分家が墓をまつると本家は絶滅する。二男、三男が相続すると長男は一年以内に死ぬ。長男の長男は行方不明に…。なぜそうなるのかの説明はまったくないけれど、不安が会場に広がります。

 そこで救いの手──。「(後日に)鑑定してあげる。墓の写真を見て、指導してあげる」

 勉強会終了後、聴衆は個人鑑定の予約に殺到します。個人鑑定料は十万円。(連載 第25回)

資料の写真


 石材会社と連携して

 細木数子勉強会で教えられた望ましい墓とは。

 先祖が眠る場所だから三坪(九・九平方メートル)は欲しい。そこに五輪塔を建て、墓石は夫婦単位で。外柵(がいさく)はコンクリートでなく石材。骨はツボから出して布で包み、カロートでなく土に返す。地面は砂利でなく赤土と鳥取砂丘の砂を七対三で混ぜ、三カ月に一回は補給を…。

 すべての条件を満たせば相当の費用になります。そんな勉強会を経て個人鑑定を受けた人は、こんな体験をしています。

 佐賀県の女性は夫の死や娘の将来で悩んでいました。個人鑑定で言われたことは、「あんたはばかだ。正しい墓を建てないから夫は死んだ。借金してでも五輪塔を」。

 次の間に控えていたスタッフから墓の形や費用の説明を受けて契約。墓石代や永代使用料で一千万円を超しました。残ったのはローンの返済苦。

 京都市の男性。身内の不幸に気を病んだ妻が個人鑑定を受けました。スタッフと交渉のうえ、約一千万円の墓を契約しました。

 個人鑑定に控えていたスタッフ。実は京都市に本社がある久保田家石材商店の社員でした。六四年、久保田茂太呂社長(当時)が『世にも不思議なお墓の物語』を出版し、「吉相墓」で急成長した会社です。細木さんの説く墓相現象の多くが、この本にも載っています。

 細木さんの著書の巻末に、細木事務所本部と全国各地の連絡所一欄が載っていました。本部事務所は東京駅前の久保田家石材関連企業の事務所。他も大半が同社の支店や営業所でした。

 その後、両者の関係は絶たれたけれど、久保田家石材幹部はかつて、「細木先生を通じてウチにきはるお客さんで、年間十億」(『週刊文春』90年8月16日号)と語っています。細木さんたちだけではありません。「吉相墓」を売り出す石材店はそれぞれ「墓相家」を抱えています。「十人の墓相家に聞けば十通りの墓が必要になる。墓相とはそんなものですよ」──全日本墓園協会幹部はそう語りました。(連載 第26回)


 「ずばり言う」けれど… 

 「ずばり言うわよ」の細木数子さん。著書にこう書いています。

 「原因のないところに結果はありません。…すべての現象は、原因と結果という強固な糸でつながっています」(『運命を開く先祖のまつり方』)。

 墓が悪い(原因)から、不幸になる(結果)。たしかにずばり言っているけれど、大事なことが欠けています。なぜそうなるのかという説明です。

 「なぜ」のない教え。それは霊やたたりを売りものにする人々や「宗教」に共通する特徴です。「ずばり」の結論が相手に恐怖を与えるものであり、そこに物品の売買がからめば霊感商法と差はありません。

 「うちのは科学でっせ」。吉相墓が主力商品の京都市の会社担当者が力説しました。墓相家が各地の墓を調べた「統計」なのだと。だが、そのデータは一切、示していません。

 典型的な例が五輪塔。歴史をさかのぼると、墓地に五輪塔がある家系は社会の指導的立場にあった。だから吉相墓に欠かせないという論法です。

 平安期半ばに登場する五輪塔は台石の上に球形や笠(かさ)状の石を重ねたもの。物質の構成要素である地、 水、 火、 風、 空をあらわし、輪はすべての徳を具備する意味があるそうです。

 たしかに貴族や上級武士の墓所に五輪塔は多い。だがそれは、権力や財力を持っているから五輪塔を建てたのであり、五輪塔を建てたから力や財を得たのではありません。「なぜ」の省略だけでなく、原因と結果を逆転させています。

 目につく限りの辞書や百科事典を見ましたが、墓相や吉相墓の項目自体がありません。わずかに小学館『日本大百科全書』が、八十行余りの「日本の墓」の項で言及していました。

 「…世間には墓相のよしあしなどをいう者もあるが、これにはなんの根拠もない」(連載 第27回)


 水子の“たたり”…

 細木数子「勉強会」で、細木さんがこんな話をしました。

 「腰痛や腰から下の病気になるのは、水子供養をしてないからだ」

 「水子霊のたたり」も墓相ブームと前後して大流行しました。今も、水子供養で売る宗教や水子地蔵を販売する石材業者は少なくありません。

 霊視商法事件で教祖以下が有罪になり解散した本覚寺(明覚寺に改名)の前身も水子菩薩を扱う訪問販売会社でした。

 水子霊のたたり(霊障)はとにかく怖い。

 「戦慄(せんりつ)すべきは『水子の霊障』である」と説いたのは阿含宗の桐山靖雄管長。解脱供養をしないと「その怨念(おんねん)はいつまでも消滅しない」「精薄児童、身体障害児を生じたり、あるいは、異常に親に反抗する子をつくる」(『守護霊を持て』)。

 本覚寺(明覚寺)はこうでした。「(水子をつくれば)家系の未来を自分自身の手でふさいでしまうのであるから…家族や子孫が幸せになることはとうてい望めない」「いつまでも何らかの不幸をもたらす恐しい霊障であり、父母、兄弟姉妹、孫、ひ孫まで引き継がれていく」(『霊視入門』)。

 ここでも「なぜ」がありません。実際、「(因縁は)あるからある、というよりほかない」(桐山氏『人はどんな因縁をもつのか』)とか「体験によってのみ知ることができる」(『本覚寺の真髄』)という程度の説明しかありません。

 が、救いの道だけはあります。水子地蔵を建てることや良い墓を建てることもその一つ。「物施」と称する金銭供養は欠かせない。しかもそれは、「精一杯」でなければいけない。「生活のゆとりの部分で布施したり、供養したりしても、仏には通じません」(『本覚寺の反撃』)。

 オウム真理教や、いまも活動中の統一協会も同様に説いてきました。

 ところで、この「水子霊」、いつごろ始まった教えなのか、伝統的な宗教の教えなのでしょうか。(連載 第28回)

水子秩父の写真


 「水子霊」の仕掛け人

 水子地蔵の供養という風習は江戸時代からありました。当時は「すいじ」と呼んだそうです。

 堕胎することを「水にする」、流産を「水になる」と呼び、水子(すいじ)は流死産した胎児をさしていました。

 これに生後まもなく死亡した幼児も含めて、成人とは異なる葬送をし、一般の墓とは区別して埋葬するという民間風習もありました。「(水子は)人間の子と考えず、まだ神の子という考え方」(平凡社『大百科事典』)だったからです。

 人の世の汚れにまみれていない水子が、人にたたるわけがない。当時の水子供養はたたりとは無関係だったと考えられています。

 では、水子とたたりはいつ結合したのか。弘文堂『新宗教事典』によると、寺などが水子供養を始めたのは昭和五十年(一九七五年)ごろから。だから、「水子供養への関心の高まりは一九七〇年代に入ってから」と述べています。岩波『仏教辞典』も、 「一九七〇年代から」と書いています。

 一九七一年、埼玉県秩父山中に「紫雲山地蔵寺」が完成。落慶式には佐藤栄作首相(当時)らも参列しました。建立者は反共右翼・紫雲荘の橋本徹馬山主。若き日の美智子皇后の不眠症治療に協力したとされる人物です。

 寺の別名が“水子地蔵”。水子の供養を売りものに、またたくまに一万体の水子地蔵を売りつくしました。

 これが水子ブームのはしり。水子地蔵や観音を売る石材店が、全国に広がりました。週刊誌もこぞって「水子霊」ものを載せました。

 一九七五年といえば戦後三十年。敗戦の混乱期、流産や中絶をせざるをえなかった女性は少なくありません。そんな彼女たちの暮らしに一区切りがつき、つらいあのころを思い出すころです。更年期にさしかかり、体調への不安と悲しい思い出を重ねあわせても不思議はありません。

 従来の素朴な水子供養に「霊とたたり」を持ち込むことで、人々の痛みや不安を増幅させ、法外ともいえる供養金をださせる。こんなことが許されるのでしょうか。(連載 第29回)


 (この項おわり)

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