2005年2月12日(土)「しんぶん赤旗」

上海・児玉機関のダイヤが自由党結党資金?


 〈問い〉 戦後、自民党の前身となる党がつくられたとき、旗あげ資金に右翼・児玉誉士夫からのダイヤなどが使われたと聞きました。ほんとうですか?(大阪・一読者)

 〈答え〉 戦後、日本共産党の公然たる活動の開始に前後して、戦争中にみずから解党した各政党が再建されますが、いずれも、大政翼賛会への合流についての反省なしに、戦争協力者が中心になって、党名を変えて結成したものでした。

 1945年11月、日本を悲惨のどん底においこんだ天皇制官僚や大資本家、大地主の代弁者が今日の自民党の前身である日本自由党(総裁・鳩山一郎)、日本進歩党(町田忠治が中心)を結成します。

 この日本自由党の旗あげにさいし、結党資金と党運営資金を提供したのは右翼・児玉誉士夫(A級戦犯容疑者)でした。

 このことは、児玉本人が「すべてを投げうってこれに協力することはいささかでも国家に報いる道」と自著『悪政・銃声・乱世』でものべており、広く知られています。「『鳩山新党』結成準備会(45年9月)がもたれた直後に児玉は、東京・麻布の石橋正二郎邸に間借り住いをしていた鳩山に会った。人払いをして鳩山、辻(嘉六)、児玉の三人だけで、児玉機関の財産をそっくり鳩山新党の政治資金として寄付することを合意、かわりに鳩山から『絶対に天皇制を護持する』という言質を引き出した」(竹森久朝著『見えざる政府』)とされています。

 児玉は、開戦直前の41年、国粋党総裁笹川良一の仲介で海軍航空本部の軍需物資調達のために上海に特務機関「児玉機関」を作り、物資の調達に従事、膨大な物資を入手。戦後、それをソックリそのまま自分の手にいれていました。その額は「当時のカネで七千万円。それにカマス一つ半くらいあったダイヤと段ボール箱二十箱ぐらいのプラチナをそれぞれ半分ずつ」(大森実の児玉インタビュー『戦後秘史』に収録)といわれています。

 日本の支配政党の結党資金が中国の人々を軍靴で踏みにじることによって作られたことは、戦後60年たってもけっして忘れてはならないでしょう。(喜)

 〔2005・2・12(土)〕



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