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- とくほう・特報
- 2026.05.07
女性に「性接待」強いた旧黒川開拓団 “9条守れ”は犠牲者母の思い
子や孫つなぐ平和の灯
戦前、開拓団として旧「満州」(中国東北部)へ渡り敗戦後、襲撃や強姦(ごうかん)から逃れるため、未婚女性をソ連兵の「性接待」に差し出した岐阜県旧黒川村の「黒川開拓団」。その史実は長く伏せられてきましたが、近年女性が相次いで実名で告発したのを受け、遺族会が加害の事実を碑文に記し、謝罪しました。その「乙女の碑」がある白川町黒川の佐久良太神社で4月下旬、「慰霊祭」が行われ元開拓団員や遺族ら約70人が集いました。「戦争は絶対ダメと若い人につないでいきたい」など不戦の思いが口々に語られました。(内藤真己子)

「慰霊祭」で献花の花を参加者に手渡す(左から)鷲見さくらさん、佐藤成子さん
岐阜・白川町黒川で「慰霊祭」
天皇制政府が侵略戦争でつくったかいらい国家「満州国」に国策として送られた満蒙開拓団。黒川開拓団は、1941年から吉林省陶頼昭に662人が渡ります。45年8月、ソ連が侵攻したとき旧日本軍=関東軍は主力部隊がすでに南下。成人男性が現地召集され高齢者と女性・子どもが残された開拓団は、現地住民の襲撃や、ソ連兵の略奪・強姦に脅かされます。
開拓団幹部はソ連軍将校に治安維持と食料調達を依頼。その見返りに18歳から21歳の未婚女性15人を「性接待」に差し出しました。極限状態とはいえ、女性が男性の所有物のように扱われた戦前の家父長制のもとで行われた、犯罪的行為と言わざるを得ません。遺族会の謝罪と被害女性の再生を描いた映画「黒川の女たち」(松原文枝監督)が昨年公開されロングランヒット。「乙女の碑」を訪れる人が増えています。

「慰霊祭」で追悼文を読み上げる黒川開拓団遺族会の藤井宏之会長
208人が命を落とした開拓団。「慰霊祭」ではウクライナやイランの戦禍に触れ平和を願う発言が続きました。開拓団遺族会の藤井宏之会長は、「逃げ惑う住民の姿をニュースで見ていると、とても人ごととは思えません。黒川開拓団のような悲劇を二度と生んではならないこと、戦争の悲惨さや平和の大切さを、子や孫たちに伝えていかなければなりません。黒川から世界に向けて発信しましょう」と力強く訴えました。
「実名で告発」
10歳のころ「性接待」に行く女性のためにドラム缶の風呂をたいた安江菊美さん(91)も列席しました。犠牲になった15人の女性の名前は「頭にこびりついている」と言います。4人が性病などで落命。帰還した女性と戦後、交流を続け励ましてきました。菊美さんは語ります。「戦争は人殺し。何にもいいことない。人殺しをして土地を取ったって何になるの? いつまでもそこで生活できないでしょう」と。「戦争が起きれば、絶対弱いものから犠牲になる。上役は要領よく逃げます。女性が一番犠牲になる。それを見てきました」
安江菊美さん(右)。長野県の満蒙開拓団から引き揚げてきた北村栄美さんと=写真は全て4月25日、岐阜県白川町黒川
犠牲になった女性の遺族の姿もありました。最初に実名で告発した佐藤ハルエさん(2024年死去、享年99歳)の長男・茂喜さん(72)、孫の佐藤成子さん(37)、藤岡三代さん(32)、鷲見さくらさん(32)たちです。
引き揚げてきた女性たちは「満州帰りの汚れた女」などとさげすまれます。佐藤さんは故郷を後にするしかなく、村から100キロ以上離れたひるがの高原(現郡上市)で未開の地を開墾し、借金をして畜産業をはじめました。4人の子を育て、9人の孫がいます。
孫の一人、茂喜さんの長女・成子さんは、同居していたハルエさんから「性接待」の話を日常的に聞いていました。「ギョーザを作ってくれるときに満州の話になって、『娘たち、どうか頼むって言われてな』って、かなり以前から聞かされてはいました」。しかし具体的には分からず、はっきり認識したのはハルエさんが出演したNHKのドキュメンタリー番組(17年)を見たときでした。「起きてはいけないことが起きていたんだなとショックで。でもおばあちゃんが生きて帰ったからこそ、私たち孫がいる。おばあちゃんは『生かされているんだ』とも言っていて、そういう気持ちにもなりました」
実はハルエさんは、1983年刊行された月刊誌インタビューで「実名を出してもかまわない」と被害を告発していました。「固く口をつぐんできましたが、言わねば、訴えねばと思うようになりました。黙っていたら、女はいつまでもひどい目にあいます。戦争がどんなに狂ったものかをきちんと伝えないと、死んだ友達も浮かばれません」。しかし記事は匿名になり、当時の遺族会は事実が世に出るのを恐れ、雑誌を買い込んで焚書(ふんしょ)しました。
改憲への怒り

佐藤茂喜さん
「事実を伝えようとするおばあちゃんの意志は、ただ伝えたいというのを超えていると思う」と成子さん。「おばあちゃんに戦争について考えるきっかけをもらったような気がします。もっとニュースとかで知らなければいけない。憲法9条だけは、本当に揺らいではいけないものなのに、変えていくんじゃないかと思うと不安です」と顔を曇らせます。
いとこの鷲見さくらさんと一緒に16日、郡上市内の2カ所で「黒川の女たち」の上映会を開きます。「こういう歴史があったことを地元の人に知ってもらいたい。それを入り口に、戦争や平和のことを考えてくれる人が一人でも多くなったらうれしい」と鷲見さん。
映画がロングラン上映されたことに、「こういったテーマが全国で流されるっていうのは、ほんとすごいことだなと。社会にその準備ができたということでもあると思うし、広く伝わることがとてもうれしかった」と話す鷲見さんは、映画でハルエさんの体験を知りました。「戦争っていうものが身近になりました。戦争っていう環境下に置くと、その人が普段どんな人であれ、ひどいこともできてしまう。そういうことが伝わることが大事だと思っています」。上映会の成功に向け奮闘しています。
ハルエさんの長男・茂喜さんは、83年の月刊誌で知りました。衝撃を受け「当時は隠したい気持ちがあった」と言います。しかし、ハルエさんは2013年、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」の語り部として、聴衆を前に被害を告発しました。直後に安江善子さん(16年死去、享年91歳)も続きます。これを機に報道が始まり、遺族会が「乙女の碑」の碑文を18年に建立し、謝罪するさきがけとなりました。
茂喜さんは、世界で続く戦争を踏まえ、「トランプ(米大統領)さんみたいにドンパチやらず、話し合いをして、コミュニケーションをとることが地球の平和につながるのでは」と語り、「日本は二度と戦争してはいけない」と訴えます。
「(改憲の発議を唱える)いまの自民党や政府の行動は怒りに感じます。憲法は政府をしばるものであって、政府が変えたいというのは筋が全然違うんじゃないか。国民が変えてほしいというなら別として、えらいさんが変えるのはおかしいです。母もきっとそう考えていると思います」

