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- 2026.03.04
全国自死遺児500人調査 あなたの声を
(下) 30年以上たって事実知らされ… 「生きる」を支える絵本作りたい
2026年3月4日【くらし】
5歳で父を亡くした豊福麻記さん
5歳の時父が亡くなった。母から心臓病だと言われていた父の死が自殺だったと知らされたのは、母の死後だった…。特別支援学校勤務の豊福麻記さんは、自殺と知らされず苦しんできた体験から、自死遺児支援プロジェクトの発起人になりました。子どもたちの「生きる」を支える絵本を作りたい。その思いを聞きました。(堤由紀子)
母親が突然の病死。その後、親族から父親は自殺で亡くなったと知らされました。父親の死から、すでに30年以上の月日がたってから知った事実でした。公的記録は消失し、当時を記憶する人はいませんでした。

すべてが崩れ落ちた瞬間でした。何日も泣き続けました。自殺は永遠の育児放棄だし、虐待じゃないかと思いました。
なぜ私をおいて逝ってしまったのか。あの日、寝ないで2階に上がっていたら、私の顔を見て父は思いとどまったのではないか…。5歳の私はどうして止められなかったのか、子どもだった私の存在価値はなかったのか、ととても複雑な思いでした。
小学校低学年のころ父の死因を尋ねたら、母は怒ったように「心臓病」と言いました。「あ、父の死に触れてはいけないんだ」と幼心に感じ、その日を境に聞かなくなりました。生涯にわたり沈黙を貫いた母にとって、娘である私は真実を伝えるに値しない存在だったのか、という苦悩も抱えることになりました。
自責の念を抱いて生きる選択肢がなかったことへの喪失感と罪悪感から、生きるのがしんどくなりました。事実を知って悩み苦しむ私が、誰よりも自殺に対する偏見があると気づきました。
真実が知りたかった豊福さんは、家中の荷物をひっくり返します。段ボールから、死体検案書や多量の薬剤が入った薬袋、遠隔地出張の領収書などが出てきました。亡くなる前日付の退職願は「一身上の都合」と書きペンが置かれていました。そして母が会社への不信感をつづった文章も。
必死でぎりぎりのところまで生き抜いたからこそ、自分を殺さざるを得なかったのです。母にとって、父の死は過労自殺でした。でも子どもを育てるために、訴訟などできなかったのでしょう。
自殺をさせられながら自殺と言えなかった。そのやりきれなさと怒りがあります。過労で自殺して命を失うような社会を変えたいと思いました。自殺は社会の問題です。
最近、家の仏壇の遺影を初めておろしてふたを開けたら、私の七五三の写真が出てきました。ああ、この時は私の健やかな成長を願って家族で写真を撮ったんだなと。海で遊んだり、田畑を散歩したり、上野動物園のパンダを見に行ったり。断片的な記憶はいくつかあります。父は家族を思って仕事にまい進していたんですね。
「真実を知って自分を肯定することができ、母や親族に違和感や不信感を覚えていた自分を許せた」と豊福さん。今も同じように苦しむ子どもたちに生きるためのサポートを届けたいと、自死遺児支援プロジェクトに関わるように。背中を押したのは、ある自治体が出した自死遺族支援のリーフレットの文言でした。
「たとえ事実とは異なる答えを子どもに伝えたとしても、それは子どもを思ってのあなたの愛情からの言葉です」。つまり、偽りの死因を伝えることを肯定していたんです。こんな内容のリーフを公的な機関が出したことが非常にショックで、日本中どこにもないなら自分で作ろうと思いました。
親との死別について「小さくてよく覚えていないから、あなたはいいけど」ともよく言われます。子どものグリーフはなかったことのように扱われ、ケアやサポートからは置き去りです。
スコットランドの遺児支援のリーフレットには「泣いてもいいよ、怒ってもいいよ、わからないことは聞いてもいいんだよ」と書かれていて驚きました。こうしたメッセージとともに、未来への行動につながるような絵本を作りたいのです。
私が名前や顔を伏せていたら「家族を自殺で亡くしたことは隠すべきだ」というメッセージになります。でも、完璧には程遠くて、葛藤の中で揺れています。そんな等身大の、かつての自死遺児の私から、「一人じゃないよ」と今を生きる自死遺児に伝えたいです。
(おわり)
((上)は2月27日付に掲載)
◆3月下旬に第2回中間報告会を開催
21日(土)午後1時~3時20分。岡山県立大学学部共通棟(北)8105教室(岡山県総社市窪木111、JR桃太郎線服部駅5分)。オンラインで同時配信。講演「全国自死遺児500人調査第2回中間報告」(大倉高志さん)、「自死遺児を支える自殺へのまなざしとは」(尾角光美さん)。参加無料。締め切りは19日(木)午後8時。詳細や申し込みはQRコードから

