現場Note

悪戦苦闘、緊張の日々......でも大好きです

河邑哲也(校閲部部長)

河邑哲也(校閲部部長)

 みなさんは校閲記者ってご存じですか? 新聞は、取材して原稿を書く記者や、記事に見出しをつけてレイアウトする整理記者たちの力を合わせてつくられます。校閲記者は、文字に誤りはないか、人名などの固有名詞は正しいか、日本語として分かりやすいかなどをチェックし紙面の品質を管理する部署です。

読者の指摘

 そんな校閲部のある日の作業をみてみましょう。多くの校閲記者の出勤は午後からになります。出勤すると読者からミスの指摘はないかが、まず気になります。昼の部長会議では「読者からの意見・要望」が配られます。そこには「いい記事ですね」とのおほめの声とともに、辛らつなミスの指摘なども含まれます。

 私は仕事柄、どうしてもミスの指摘に目が向きます。たとえば、最近掲載された「ガクアジサイ」の記事─「葉っぱが変形したガクに守られているように見えることから『ガクアジサイ(額紫陽花)』の名がつけられた」とありました。すると読者から、漢字表記は「額」ではなくて「萼(がく)」なのではないか、とのメールが届きました。そういえばアジサイの花のように見える部分は花ではなく「萼」だといいます。「やはり間違いか」とさっそく広辞苑や大辞林などの国語辞書をひきました。そこには「額紫陽花」と書かれており、ほっとしました。じつは中心に咲く小さな花の周りを「萼」が額縁のように囲んでいることから「ガクアジサイ」というそうです。毎日毎日、ミスはないか、日本語としてどうか、そして党の政策と合致しているかなど、さまざまな角度からチェックし、読者に正確でわかりやすい記事を届けるため、悪戦苦闘の毎日です。

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〝読めない文字は読まない〟

 ミスの指摘を確認したあとは、今日作る紙面構想を見ます。この日は8月12日。35年前に日航機が墜落した事故の当日です。私が赤旗記者になった初めての夏のことでした。墜落したところは当時、「御巣鷹山」と呼ばれていました。しかしそれは別の山だったことが後に判明します。そのため今では「御巣鷹の尾根」と呼んでいます。校閲部の打ち合わせで「昔は御巣鷹山と呼んでいたが、今は御巣鷹の尾根が正しい。間違えないように」と部員に呼びかけます。すると若い記者から「部長。この原稿、御巣鷹山って書いてあります」との声が。さっそく原稿に直しをいれて、当該部に戻し、正確にしてもらいます。

 夜になると、大ゲラ(紙面の形に組んだもの)が次々と刷り上がってきます。そこに、いろいろな直しが赤字で書かれて校閲部に回ってきます。若い記者は手書きの文字を読むことがあまりありません。「この字、何と読むのかわかりません」との声が上がります。ルールでは赤字は楷書で書くこととなっていますが、実際は走り書きのような直しも多くあります。そのため「読めない字は読まない」が校閲部の鉄則です。必ず「この字は何と書いてあるのですか」と確認する。新聞記者の仕事はすべて確認作業です。ところが、直された文字に引っ張られたり、似た文字と見誤ったりして失敗することもおこります。

 ミスを指摘してホッとしていると、そのすぐ後にミスがあり、見逃すこともよくあります。赤字の前後に赤字あり、昔から伝わる教訓です。

 次々と大ゲラが出るなかで、記事の前文は「○○さんに聞きました」なのに、見出しが「○○氏に聞く」となっていたりします。「敬称が違う」と提稿部に走ります。敬称としてはどちらも間違いではないのですが整合性がとれません。「なぜ違うのか?」と読者から聞かれたら答えられません。記事と見出しは合っているか、写真説明は正しいか、記事にミスの見逃しは残っていないかなど、時間の許す限り最後まで追求します。それでもミスは出てしまいます。毎日緊張の連続です。

思い込みは怖い

 そんななか「こんな間違いを載せている新聞を増やせません」─読者から厳しい声が届くことがあります。昔は電話、ふつうは手紙などでしたが、今はメールで素早く届きます。

 ミスの指摘は読者からだけではありません。同僚記者からもきます。最近の出来事では、香港の活動家たちが逮捕された記事で、「国家安全維持法違反で逮捕」と載りましたが、「法違反の容疑で逮捕」の間違いだと指摘を受けました。校閲部でも「○○容疑で逮捕」「○○の罪で起訴」と教えます。違反かどうかは裁判の結果で判定されるもので、逮捕はあくまでも容疑なのです。私たちは法律の専門家ではありませんが、新聞では基本的なことはおさえます。裁判には、犯人がいる刑事裁判と、人と人などのもめごとを解決する民事裁判や行政裁判などがあります。例えば刑事裁判では「公判」と呼びますが、民事裁判は「口頭弁論」です。新聞ではきっちり書き分けます。

 この日も「昨日は『国家安全維持法違反で逮捕』と出してしまったが、『違反の容疑で逮捕』が正しいので気をつけよう」と言ったら、「違反で逮捕」という原稿が来ました。1度ミスが紙面に載ってしまうと拡大再生産されかねません。

 また校閲作業でもっとも怖いのが、思い込みです。8月の広島・長崎の平和式典に出席した安倍首相があいさつでほとんど同じ文言を読み上げたコラムで「過去にも使いまわしやコペピがあった」と書かれていました。最初は気づかずに通してしまいましたが、再度読み直してみると「コピペ」が「コペピ」になっていることに気付く、こんなことは日常茶飯事です。「コピペ」と思い込んでいるからで、それを避ける方法は、文字を固まりで読むのではなく、1文字1文字ずつ読むことです。

カタカナ語

 読者からの要望で多いのはカタカナ語についてです。「できるだけ日本語で書いて。少なくとも訳をつけてほしい」というものです。新型コロナウイルスの感染症問題がでてきてからは「オーバーシュート」「クラスター」「パンデミック」などカタカナ語の氾濫と言ってもいいほど出てくるようになりました。これらの言葉にも「感染爆発」「感染者集団」「世界的流行」などのようにできる限り日本語訳をつけるようにしています。

 政府などはわざとカタカナを使っているのではないかと思えることもあります。「ホワイトカラー・エグゼンプション」などはその典型です。「赤旗」ではズバリ「残業代ゼロ法案」と書きました。政府は「家族だんらん法案だ」と言い換える案までだしました。

 新聞は真実を「伝えること」が使命です。カタカナ語などではぐらかすのではなく、本質を伝えることです。同時に読者に「伝わること」が求められます。そのために、わかりやすい言葉で書くことが何よりも大事だと思います。とくに「しんぶん赤旗」は国民共同の新聞です。わかりやすさが命です。読者からの厳しい指摘は、大好きな「赤旗」にミスが出ることが悔しくてたまらない、というものです。読者の期待に応えて、ミスを出さない紙面をつくるために、これからも毎日努力を続けていきます。

みんなの力でできあがる

 以前、校閲記者は楽しいですか? と聞かれたことがありました。たしかに取材記者のように現場で政治の変化を追ったり、国民の生の声を直接聞いたりして記事にすることはありません。校閲記者は地味な仕事です。でも取材記者だけでは新聞はできません。「赤旗」はみんなの力を合わせてできあがっています。私は「赤旗」も校閲も大好きです。

(かわむら・てつや)

『前衛』2020年10月号から