沖縄県知事選(13日投開票)の結果をどう受け止め、今後のたたかいをどう進めていくかについて、日本共産党沖縄県委員会の赤嶺政賢委員長(前衆院議員)に聞きました。(岡素晴)
沖縄の平和とくらしがかかった歴史的な知事選で、全国から物心両面にわたる大きなご支援をいただいたにもかかわらず、玉城デニー知事の3選を勝ち取ることができませんでした。非常に悔しく残念な結果で、ご支援いただいた全国のみなさんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
政権総出の民意つぶし
今回、日米同盟を日本の政治の基軸とする勢力が与野党を超えて糾合し、沖縄の民意をつぶすために襲いかかってきました。自民、維新、国民、参政、保守、公明による6党連合で、選挙の前面に出てきたのは過去にないことでした。今年2月の衆院選の比例得票数で比較すると、相手陣営は「オール沖縄」の約2~3倍に達し、力関係にそれだけの差がありました。
同時にこの間、県内市町村の首長選挙で保守勢力が前進をしていた中での知事選でした。名護市長選では、基地強化の受け入れが条件の「米軍再編交付金」を国から受け取り、保育料や学校給食費、子ども医療費を無料にしたことを実績とする自公推薦の現職が勝利し続けています。
沖縄市では、巨額の資金を使ったアリーナの建設を防衛省や内閣府が直接支援しました。カネの力で国策に従わせる「アメとムチ」の手法で、次々と市町村長を奪い取ってきたのです。2年前の県議選でも、それまでデニー知事を支える与党が多数を占めていた議会勢力を逆転されました。
SNSにあふれたデマ
日米同盟絶対勢力による圧倒的な物量に加えて、SNSなどでデニー知事への誹謗(ひぼう)中傷、デマがあふれたことも指摘せざるを得ません。その約9割が県外からの発信とされ、投票日の出口調査では4割がネット情報を参考にしたと答えています。私たちの側もSNSで有効な反撃を加えましたが、資金に糸目をつけない圧倒的なSNS攻勢が選挙にも少なからぬ影響を与えたと考えられます。
名護市辺野古の米軍新基地建設については、反対が多数であった状況から、今回は賛否が拮抗(きっこう)しています。辺野古の事故とデニー知事を結びつけるデマが大量に流されたことや、県民が何度民意を示しても、政府の強硬姿勢が変わらないことが影響したのかもしれません。しかし、それは、県民がすすんで基地を受け入れるようになったということでは決してありません。
土砂投入で30年以上も
今度の選挙結果を踏まえても重要なことは、辺野古新基地は造れないということです。土砂投入の進捗(しんちょく)率は約18%にとどまり、現在のペースでは土砂投入の完了だけでも、あと30年以上かかります。
仮に完成したとしても、米側は辺野古とは別の長い滑走路を米軍に使わせない限り普天間基地は返さないと迫っています。長い滑走路とは那覇空港のことです。この点についてデニー知事も選挙で正面から訴えてきました。県政が代わっても、こうした問題は問われ続けることになります。
落選が決まった瞬間、デニー知事は、私たちが2期8年間やってきたことは間違ってないと言い切りました。辺野古新基地は完成しないし、那覇空港の米軍使用の問題が出てきたら、県民は必ず抵抗するだろうと力説しました。
沖縄の知事選は、必ず日米同盟を絶対視する勢力と、日本共産党など日米同盟の矛盾とたたかう勢力による対決となります。今回の結果を受けて沖縄の復帰後に実施された知事選は、通算で自民党側の候補の8勝に対し、共産党が支援した候補は7勝となりました。沖縄の復帰がかかった1968年の琉球政府行政主席公選も含めれば五分です。
負担押しつけ変わらず
(写真)選挙戦の健闘をたたえ合うデニー氏(手前右から3人目)と支援者=13日、那覇市
今回、沖縄のたたかいは一歩後退を余儀なくされましたが、県民に過重な負担を押し付けている沖縄の米軍基地の現状は変わらず、基地と県民との矛盾がなくなるわけではありません。
思い出すのは98年、大田昌秀革新県政が自公勢力に敗北した知事選のことです。今回は「停滞の県政」「手取り2倍」でしたが、当時も「県政不況」と盛んにあおられました。95年の米兵による少女暴行事件への県民の怒りが高まった後の選挙だっただけに、当初は信じられませんでした。私たちは、これで沖縄の基地とのたたかいは10年、20年、困難になるのではと不安を持ったものです。
ところが2003年に金武町伊芸区で、米軍の都市型戦闘訓練施設の建設問題が持ち上がりました。集落から300メートルしか離れていない場所での実弾射撃訓練場の建設には、基地を表面上は受け入れていたかに見えた伊芸区が抗議決議を上げました。県議会でも国会でも大問題となり、ついには同町で1万人の県民集会が開かれました。辺野古を認めていたはずの稲嶺恵一知事まで参加し、私たちと一緒にシュプレヒコールを上げました。
オール沖縄怒りの結集
その後、高校の歴史教科書から沖縄戦での軍命による「集団自決(強制集団死)」の記述の削除を求める検定意見が出された時には、保守の翁長雄志那覇市長(当時)を含め、沖縄の歴史をゆがめることは許されないと立ち上がりました。
証拠は自分たちだと言って立ち上がったのが、集団自決を生き延びた体験者でした。歴史歪曲(わいきょく)の攻撃を許さないと検定意見撤回を求める11万人の県民大会が開かれ、「私たちのおじい、おばあたちがうそをついていると言うのか」と高校生が怒りの声を上げました。
その後、世界一危険な普天間基地に欠陥機オスプレイの配備が強行されました。こんな理不尽が許されてなるものかと、翁長那覇市長も毎朝スタンディングの抗議活動に加わりました。米軍機墜落などの事故も含め、基地の矛盾への怒りがオール沖縄の流れにつながっていったのです。
軍事要塞化を許さない
翁長さんが2014年に勝利した知事選の投票日前日の演説で、オール沖縄は政治家どうしが腹八分腹六分で結びついたものと思っていたけれども、全県各地を回っていると辺野古反対の決意で県民どうしがすでにオール沖縄をつくりあげていたのに気付かされたと訴えました。
そしてオール沖縄は、選挙協力のための組織ではなく、オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖撤去、県内移設断念を求めた13年の「建白書」に根差したものだと強調しました。
基地ある限り、日米軍事同盟ある限り、県民との矛盾は消えません。高市政権は、今年の年末には安保3文書を改定し、戦争国家づくりの最前線基地として、先島諸島をはじめ沖縄の軍事要塞(ようさい)化をいっそう加速・強化しようとしてくるでしょう。絶対に負けるわけにいきません。
闘うため共産党大きく
現在でも沖縄の基地の矛盾は激化しています。嘉手納基地では、地元自治体が強く反対するパラシュート降下訓練を米軍は強行し、住宅地に近い旧海軍駐機場を、新駐機場の整備後も使用し続けています。
その中において、沖縄戦と米軍支配の縮図といわれる伊江島で、日本共産党の村議候補がトップ当選し、沖縄統一地方選全体でも共産党15人全員が当選しました。翁長さんの側近から、「(私たち保守が)時間はかかったけれども辺野古反対に合流できたのは、あなたたちが反対の旗を高く掲げてきたからだ」と言われたことがあります。ブレずに旗を掲げ続ける共産党の全員勝利は、これから党派を超えた県民の団結をもう一度強めていく上でも希望です。
今回、知事に当選した古謝玄太氏は、選挙中に普天間基地の返還期日を明らかにするよう求めると言いましたが、日本政府がアメリカに物申すようなことをできるはずもないし、結局はその矛盾を沖縄に押し付けることになるでしょう。
那覇空港の米軍使用についても同じです。日米安保絶対勢力の応援を受けて当選した知事であっても、安保の矛盾にぶつかるというところを確信に、私たちは失われた陣地を取り戻すたたかいを再び進めます。そのためには日本共産党が強く大きくならなければならない。そして全国との連帯したたたかいを今後も強めていきたいと思います。

