闘魂のバットといわれました。日本のプロ野球で誰よりもヒットを放ち通算3085安打、7度の首位打者をはじめ数々の金字塔を打ち立てました▼華々しい野球人生。しかし張本勲さんには、もう一つの人生がありました。幼い頃の大やけどで負った右手のハンディ、在日韓国人としての苦労と誇り、そして5歳の時に広島で遭った被爆です▼右手指の損傷は野球選手として致命的でした。民族差別は心の傷となって残りました。原爆の地獄絵は頭にこびりつきました。持ち前のハングリー精神はそうしたつらさや困難から生まれたといいます▼原爆は大好きだった長姉も奪いました。全身が焼けただれ赤くはれあがり、うめき苦しみながら死んでいった姿がいつまでも忘れられずに▼悲しみに暮れた母親はその姉につながる遺品をすべて処分してしまいますが、10年ほど前、同級生だった人が当時のクラス写真を持っていることがわかりました。連絡をうけた張本さんは電話口で嗚咽(おえつ)し、橋渡しをした人に「ありがとう」と万感の思いを込めて▼長く語れなかった自身の被爆体験。話すきっかけになったのは戦争や原爆の記憶が風化していく危機感からでした。その後は、核兵器や戦争に反対する意思を発信し続けました。「二度とこういうことが起きない社会をつくって」。豪快さと繊細さ、そして平和への思い―。ひたむきな人生を86歳で終えた苦労人が若い世代に送ったメッセージです。
2026年9月11日

