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2026年9月3日

ケア労働の素晴らしい値打ち 現状打開の展望は

志位議長の発言

 京都市で8月23日に行われた「『資本論』講座」での質疑のなかから、日本共産党の志位和夫議長のケア労働についての発言を紹介します。「医療、介護、教育、保育などケア労働者への搾取はどのように行われていますか。社会主義・共産主義の社会では、ケア労働者の位置づけは変わるのでしょうか。待遇は改善されるのでしょうか」という質問に対して、志位氏は次のように答えました。(発表にあたって整理・加筆をしています)

ケア労働者も、他の労働者と同じように搾取されている

写真

(写真)参加者の質問に答える志位和夫議長=8月23日、京都市下京区

 まずケア労働者への搾取についてですが、ケア労働者に対する搾取も、他の労働者と同じように行われています。職業の種類を問わず、企業または事業所に労働を提供し、賃金を支払われている人はすべて労働者であり、資本主義社会では搾取のもとにあります。ただケア労働は、多くの場合、賃金の水準が国家によって決められます。ですから日本の場合、資本家階級を代表する国家によって搾取が行われているということになります。

 搾取の仕組みは同じです。すなわち、「必要労働時間」――労働者が自分と子どもの生活を維持するのに必要な衣食住など生活必需品の価値をつくりだすための労働時間を超える労働時間――「剰余労働時間」は、どんな職種であれ搾取されている時間になります。

マルクス『資本論』の「労働過程」論を手がかりにして

 それでは、ケア労働の本質は何なのか。ケア労働は、製造業など他の労働とどこが違うのか。このことについて考えていることをお話しさせていただきます。

 私が、この問題を考えるうえで、手がかりにしてみたいのは、マルクス『資本論』第一部の第五章第一節「労働過程」論です。

 この節で、マルクスは、人間の労働の素晴らしさを、(1)労働は、人間がこの地球上で自然と交流しながら生きてゆく絶対条件である物質代謝を担う活動だということ、(2)労働は、人間の目的を自然のなかに実現してゆく高度な人間活動であること、(3)労働は、それを通じて、人間という自然――頭脳や肉体を発展させるきわめて人間的な活動であること、などを明らかにしています。前議長の不破哲三さんは、「ここにはマルクスの労働賛歌がある」と言いましたが、私も、ほんとうに人間の労働の素晴らしさを語った節だと思います。

 マルクスはここで、「労働過程」を分析して、三つの要素から構成されていることを明らかにしていきます(『新版 資本論』②311ページ)。一つは、「労働そのもの」です。つまり頭を働かせたり、手や足を動かしたりして労働をする、労働そのものです。二つ目は、「労働の対象」です。労働が何を対象にして行われるか、どんな対象に働きかけるのかということです。三つ目は、「労働の手段」です。人間は労働をするときに、素手の場合もありますが、多くの場合、いろいろな道具を使ったり、さらにさまざまな機械などを使ったりします。この三つの要素から「労働過程」は構成されるわけです。

生きた人間に働きかけ、人間の生命・発達・尊厳を保障する労働

図表

 こうした「労働過程」論からケア労働を捉えると、どういうことになるでしょうか。パネルをご覧ください。(パネル1)

 まず製造業などの労働の場合には、「労働対象」はモノになります。自然のモノ、あるいは加工したモノ、どちらにせよモノに対して働きかける労働になります。そして労働の性格はどうかと考えると、「物質的な富をつくりだす」ということになります。

 それではケア労働はどうでしょうか。医療にしても、介護にしても、教育にしても、保育にしても、障害者福祉にしても、ケア労働では、「労働対象」は生きている人間です。そして労働の性格はどういうものかと考えますと、いろいろな言い方があると思うのですが、「人間の生命・発達・尊厳を保障する」ことにあると言えるのではないかと思うのです。

 たとえば医療労働というのは、人間の生命という、人間の存在の一番の土台になるものを守り、尊厳を守る労働です。教育労働は、子どもたちの人間的な発達を支え、人格の完成をめざす労働です。障害児教育でも、どんな障害がある子どもも、すべての子どもは発達するということが、世界共通の認識になっていることです。保育労働は、子どもたちの生きる力を育む労働だと思います。

 介護労働はどうでしょうか。たとえば日常の生活支援によって、できなかったことができるようになることによって、高齢者は、喜びと自己肯定感を得ることができるでしょう。ケア労働者のサポートを得て、安心と自信を取り戻すことができるでしょう。高齢者に最後まで尊厳ある生き方を保障する社会でこそ、若い人も含めてすべての人の尊厳を保障する社会となると思います。あらゆるケア労働の根本には、人間の尊厳を守るということがあると思います。

 モノに働きかける製造業などの労働と、人間に働きかけるケア労働は、人間社会を支える労働の二大部門と言っていいのではないかと思います。二大部門のなかでも、人間の生命・発達・尊厳を保障するという点では、人間社会を根底から支える、尊い意義をもっているのがケア労働ではないかと思います。

人間同士の全人格的なコミュニケーションをつうじて、ともに成長していく

 ケア労働にはもう一つの特徴があります。それは、生きた人間に働きかけ、人間の生命・発達・尊厳を保障する労働は、それをしっかりとやろうと思ったら、人間同士の全人格的なコミュニケーションが必要になるということです。そして、そうしたコミュニケーションをつうじて、ケアの提供者と、ケアの受け手とが、人間としてともに成長していく。ここにケア労働の素晴らしい特徴があると言えるのではないでしょうか。

 たとえば、学校の教師のみなさんは、子どもたちの成長のために日夜力をつくしているわけですが、同時に、子どもたちから「教えられた」ということも多いのではないでしょうか。患者さんから「教えられた」というのは、多くの医師や看護師のみなさんが経験していることではないでしょうか。

 このようにケア労働というのは、お互いの成長を支え合うというような特徴をもっていると思います。先ほどの発言でも、ケア労働者の方々が、「この労働は素晴らしい労働です」と口々におっしゃっていた。ほんとうにそうだと思います。そういう素晴らしい特徴をもつ労働だからこそ、労働現場にさまざまな過酷な実態があっても、あるいは、労働条件にさまざまな問題があっても、ケア労働者のみなさんは頑張ることができるのではないでしょうか。

労働の多忙化--ケアの提供者、受け手の双方から発達の時間を奪っている

 問題は、労働の現状がどうなっているかです。保育にしても介護にしても、まずあまりに賃金が低い。保育士、介護士の場合、全労働者平均とくらべても月8万円以上低い(厚生労働省調査)のが現状です。そのために人が集まらない。その結果が多忙化です。

 私は、2023年12月に母をみとりました。96歳でした。施設にお世話になりましたが、母の見舞いに行くたびに、ヘルパーさんとさまざまな話をして、一番強く要望されたのは、「給与をあげてほしい」ということでした。「専門職なのに、今の賃金では人が集まらないし、長く勤められない、それが一番の悩みです」と訴えられました。

 そもそも医師、教師、保育士をはじめケア労働者の配置基準自体が低すぎます。そこから多忙化、長時間労働がすすんで、たいへんに厳しい状況になっています。政治の責任で抜本的に増やさなければということを痛感します。

 これらのことが、どういうことをもたらしているかと考えますと、ケア労働者が、ケアの対象と向き合う時間を奪っています。たとえば学校の教師が、一人ひとりの子どもたちの成長に責任をもとうと思ったら、子どもたちに向き合い、成長を支えるための時間が必要です。たっぷりと必要です。ところがそうした時間が奪われてしまっている。ケア労働のどの分野でもそうした時間が奪われてしまっている。そのことによってケアの提供者とケアの受け手の双方から成長・発達する時間を奪っているのです。

 ケア労働者が、ケアの対象と向き合うための十分な時間を保障するとともに、ケア労働者自身の「自由な時間」を拡大し、ケア労働者一人ひとりの健康と生命のための時間、発達のための時間を獲得していく。二重の意味で「時間」をかちとっていくたたかいが重要だと思います。

ケア労働が粗末に扱われる歴史的・社会的背景と、根本的な打開への展望

 それではどうしてケア労働がこのように粗末に扱われているのか。

 まず、日本の独特の貧しさということをあげなくてはなりません。日本の場合、社会保障費も、教育費も、対GDP(国内総生産)比でみて、ヨーロッパの主要国に比べて低く抑えられています。そのために、どの分野をみても、日本のケア労働者の給与は、ヨーロッパの主要国のケア労働者と比べて低い水準にあります。ここには、国民の暮らしと権利を守る社会的ルールがないか、あっても弱い、「ルールなき資本主義」と言われる日本独特の遅れが集中的にあらわれています。ケアを粗末にあつかう政治を根本から変えなくてはなりません。

 それではヨーロッパの主要国のケア労働者の待遇は、一般労働者に比べた場合にどうなっているでしょうか。ヨーロッパでも、ケア労働者の待遇は、一般労働者に比べて低いのが実態なのです。「欧州生活労働条件改善財団」(Eurofound)などの調査によると、ヨーロッパの社会サービス分野の賃金は、一般平均より約2割低くなっています。ケア労働は、ヨーロッパの主要国でもその社会的役割、高い専門性にふさわしい処遇がされているとはいえない。過小評価されているのです。

 その根底には、歴史的背景、社会的根源があります。歴史的背景としては、資本主義の発展の過程で、家庭内でのケアは女性が無償で行うことが当然視されるとともに、貴族階級や裕福な家庭は、「住みこみ」できわめて低賃金のもとで働く労働者を雇い、この仕事の中心的な担い手となったのは貧困層の女性だったことがあげられます。19世紀のヨーロッパでは、そうした「召し使い階級」と呼ばれた労働者階級が大きな人口を占めていましたし、日本でも明治期から昭和初期にかけて「女中」や「子守」といった「住みこみ」の「奉公人制度」で働く人々が、大きな人口を占めていました。その後、こうした「召し使い階級」「奉公人制度」は解消していきますが、ケア労働を、女性に無償で、あるいは女性を中心に低賃金で押しつける社会構造が、今日も根強く残っているのです。こうした歴史的につくられた社会構造を根本から改革することが必要です。

 さらに社会的根源としては、私は、資本主義という問題にぶつかってくると思います。製造業などモノに働きかける労働の場合は、つくるものが物質的な富であり商品です。どれだけの物質的な富――商品をつくったかは目に見え、数字でわかります。しかし、ケア労働というのは、生きた人間に働きかけ、人間の生命・発達・尊厳を保障する労働ですから、その成果が目に見えにくい。数字で示すことはなかなかできません。たとえば、子どもたちの発達がどこまで到達したかは、数字ではわかりません。だいたい数字にしてはかるべきものではありません。人間の発達を、簡単な数字ではかることなどできません。

 こうして資本主義という利潤第一主義の社会では、物質的な富――商品の生産という、成果が目に見え、数字でわかる生産が中心にすえられて、目に見えにくく、数字ではかることができないケア労働は脇においやられてきた。資本の側は、ケアをもっぱら「労働力の再生産」に伴う余分なコストとして捉え、できるだけ安く切り下げ、家庭内の無償のケア労働や、有償でも低賃金のケア労働に押しつけるという構造がつくられてきました。

 資本の利潤をどれだけ増やすかを唯一最大の物差しにするのをやめて、生きた人間の発達に最大の価値を見いだすような社会――すべての人間が十分な「自由な時間」をもって、自分自身を自由に全面的に発展させること自体を目的とする社会――社会主義・共産主義の社会への変革を行うことは、ケア労働という人間の生命・発達・尊厳を保障する労働をほんとうに尊重する社会への大きな扉を開くものともなると考えます。

 そのさいに重要なことは、未来社会では、ケアの大きな部分を社会が営むシステムを抜本的に充実することが可能となってくるということです。エンゲルスは、『家族・私有財産・国家の起源』という著作で、未来社会では、「私的家政は社会的産業に転化する。子どもたちの扶養と教育は公務になる」とのべています。

 ケアを、家庭内での無償労働や、有償でも低賃金の労働にまかせることをやめて、子どもの養育や高齢者の介護をはじめ、社会の手でできることは社会の公的な仕事としてしっかりと位置づけ、そうした公的な仕事に取り組むケア労働に対しては、その専門性にふさわしい高い社会的待遇を保障する。家庭内で行うケア労働についても、公的な仕事と同様の値打ちを認めて、しっかりと保障する。こうした方向が現実のものとなるでしょう。

 資本主義のもとでも、そうした大方向に向けて最大限の改革をすすめる必要がありますが、未来社会――社会主義、共産主義にすすんだ場合には、こうした大方向が全面的に実現することになるでしょう。

未来社会では教育や社会保障にあてられる社会的財源ははるかに豊かになる

図表

 マルクスは、『ゴータ綱領批判』という文書で、未来社会で教育や社会保障がどうなるかについて、次のように語っています。もう一枚、パネルをご覧ください。(パネル2)

 社会主義・共産主義の社会にすすめば、労働者がつくりだした物質的な富のうち、教育や社会保障にあてられる部分は、「はじめからいちじるしく増大」し、新しい社会の発展に対応してますます「増加する」ことになる。これがマルクスの展望でした。

 資本主義社会では、労働者がつくりだした物質的な富のうちのかなりの部分は、搾取によって資本家のものになり、社会的に見ても、教育や社会保障にあてられる財源は圧迫されることになります。そのうえ軍事費の拡大などによって、ますます圧迫されているのが現状です。

 未来社会に進んで搾取がなくなれば、また戦争がなくなれば、そうした圧迫から人間は自由になって、教育や社会保障など人々の欲求を共同でみたすためにあてられる社会的財源は、はるかに豊かなものとなるでしょう。こうした面でも素晴らしい展望が開けてくるといえるのではないでしょうか。