キューバ・ハバナで10~13日に開かれたフィデル・カストロ生誕100周年記念「第1回国際コロキウム」で日本共産党の緒方靖夫副委員長が行った発言(要旨)は次の通りです。
人類共通の課題である核兵器廃絶でのフィデル・カストロの歴史的な貢献について述べます。世界で唯一の戦争被爆国で活動する日本共産党は、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)や原水爆禁止日本協議会(日本原水協)をはじめとする運動体とともに、核兵器全面禁止・廃絶のために活動してきました。そのなかで、フィデルを先頭とするキューバ政府との協力は半世紀以上継続され、今日まで発展しています。
フィデルは、キューバ危機(1962年)という人類的な試練を経験した60年代以降、広島・長崎で開かれる原水爆禁止世界大会との連帯を強めました。キューバ政府代表は、核戦争による人類滅亡の危険と核兵器の非人道性を一貫して表明してきました。日本の原水爆禁止運動の分裂など困難においても、キューバは日本原水協との協力を維持し、世界大会の成功のために尽力しました。
2003年3月、フィデルは広島の平和記念資料館を訪問した後、「人類は広島と長崎の教訓を学ばなければならない」と語りました。帰国後の人民権力全国会議(国会)での演説では、資料館で見た被爆者の遺品や写真に深い衝撃を受けたと述べ、核兵器は人類の生存そのものを脅かす兵器であり、その存在は決して正当化できないと強調しました。「核兵器の廃絶は世界のすべての国と人民の共通の課題であり、広島・長崎の経験は人類への永遠の警告でなければならない」と訴えました。
その後フィデルは、「核戦争には勝者も敗者もない」「核兵器は人類文明そのものを破壊する」「核保有国は核軍縮を法的義務として履行すべきである」と繰り返し主張しました。
フィデルは国連総会で、核兵器廃絶と軍縮を訴え続けました。その歴史的な到達点が17年の核兵器禁止条約の採択でした。キューバは国連で署名が開始された初日に署名し、世界で5番目の批准国となりました。そして条約は21年1月に発効しました。この条約は、キューバをはじめとする諸国と、被爆者を先頭とする市民社会が力を合わせ、人類共通の願いを国際法として結実させたものです。核兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押し、人類に大きな希望をもたらしました。フィデルは、この歴史的な成果を目にできませんでしたが、この条約はフィデルの政治的遺志と長年の努力の結実と考えます。
日本共産党の志位和夫議長が市民社会代表として核兵器禁止条約締約国会議や核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加した際、キューバ国連代表部は、わが党の要請を受け止めるだけでなく、非同盟諸国に働きかけるなど、会議成功のために惜しみない協力を寄せました。
フィデルは、二度にわたり非同盟運動議長を務め、核兵器廃絶の先頭に立ちました。私自身、マレーシアで開かれた非同盟首脳会議にゲストとして参加し、次期議長就任演説でその訴えを直接聞きました。
14年にハバナで行われた中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)第2回首脳会議は、「平和地帯宣言」を全会一致で採択しました。それは、この地域を「平和地帯」と宣言するとともに、この地域がトラテロルコ条約による非核兵器地帯であることを踏まえ、「核軍縮を優先目標として推進し、全面的かつ完全な軍縮に貢献する」と明記しました。
私は1980年のキューバ共産党大会以来、党代表団の一員として何度かキューバを訪れ、フィデルと直接会う機会を得ました。フィデルは実に気さくで好奇心旺盛でした。日本の米価や農民の暮らし、工場労働者の職業訓練について熱心に質問し、青年の島で日本移民・原田さんが作ったスイカがおいしかったことや、日本人の勤勉さについて楽しそうに語っていたことも忘れられません。
最後のお別れとなった2016年11月の革命広場での追悼集会では、「私はフィデルだ」「フィデルはここにいる」という大きな唱和が響き渡りました。その場で、私は日本共産党を代表してラウル・カストロ議長(当時)に弔意を伝えるとともに、日本とキューバを固く結び付けてきた平和の共同に対するフィデルの歴史的貢献に心からの感謝を述べました。
フィデルが残した反核・平和の遺産は過去のものではありません。それは核兵器禁止条約をはじめ、今日の国際的な平和運動のなかに受け継がれています。この貴重な遺産を未来へ発展させることは、いまを生きる私たちの責任です。その決意を新たにしながら、フィデルへの心からの敬意を表するものです。

