結成70年のアピールで改めて誓いました。「これからも核兵器廃絶、国家補償の援護法の旗を掲げ、被爆証言活動、被爆者運動を引き継いでいく」▼長崎の原爆被災者協議会です。ビキニ事件を機に原水爆禁止運動がわきおこるなか1956年6月に誕生。その2カ月後に日本被団協が長崎市で結成されました。長崎は被爆者運動の先進地となってきました▼その地で81年を迎えた原爆の日。平和宣言が呼びかけた「長崎を最後の被爆地に」が守られてきたのは、被爆の実相を伝え続けてきた被爆者の声と行動があったから。ところが高市首相は被爆者団体と面会しながら、被爆体験者に発言の機会を与えませんでした▼出席する意味があるのかと憤る参加者たち。熊本地震の視察でもそうでしたが、被災した人びとの切望にじっくりと耳を傾けるのではなく、自身のやっている感を印象づけるためのパフォーマンスなのか▼日本政府にたいし、唯一の戦争被爆国としての歴史的使命を全うすべきだと迫った先の平和宣言。憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、国際社会の緊張緩和と軍縮に向けた外交の強化を求めました▼長崎被災協の田中重光会長は「核廃絶という人類の課題と正面から向き合い、先人たちの運動を2世、3世、若者らとともに引き継いでいきたい」と。その決意は、これだけの惨禍を国民にもたらしながら核廃絶の先頭に立とうともしない日本政府にも突きつけています。
2026年8月10日

