文部科学省が、全国の国公私立のすべての学校に、校外活動の安全及び修学旅行での平和教育に関するアンケートを行っています。
修学旅行中に船が転覆し生徒が死亡するという痛ましい事故を受け、安全面の対応は必要です。しかし、平和教育に問題があると言わんばかりの調査は、現場の萎縮をうむ教育への不当な介入です。
そもそも事故のあった修学旅行での平和教育が党派的なものでなかったことは、文科省自身が認めています。ところが、党派的でなくても何らかの政治的意義があれば教育基本法違反になると法解釈を広げ、当該の教育を「教育基本法違反」としたのです。
■国のさじ加減一つ
どんな教育も、国のさじ加減一つで違反となりうる異常な断定です。こんなことを前提にした調査は許されるものではありません。
批判の高まりに、松本洋平文科相は記者会見で、調査は「平和教育への萎縮とならない」と弁解せざるをえませんでした。しかし、すでに萎縮は起きており、調査はやめるべきです。
教育基本法1条は「人格の完成」を教育の目的とし、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成を期して行われるべきだとしています。文科省も、平和教育を正面から否定できないのです。条文の背景には、子どもたちに「お国のために血を流せ」と教えた戦前の教育が戦争遂行の決定的な要因となったことへの痛恨の反省があります。
日本国憲法は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」(前文)制定され、平和主義を原理の一つとしました。そして、「全世界の国民」の「平和のうちに生存する権利」を確認し、平和主義の支えとしました。
平和教育は何より、政府の行為で戦争の惨禍が起こらないよう、人間には平和に生きる権利があることを子どもたちに伝える営みといえます。
■欠かせぬ自由尊重
学校での平和教育は、教員・子ども双方の主体性が不可欠です。定められた「正解」を覚えさせるような教育では、自ら平和をつくる人間は育ちません。平和教育の内容や方法には大きな幅が認められ、教員には教育者としての自由が認められるべきです。
ところが文科省は「平和教育は学習指導要領に基づいて行え」と言います。平和教育を官僚的な型にはめて形式化するもので、これでは教員も子どもも、自由な人間として考えあうことができません。制限は、教育基本法14条2項の、特定政党を支持あるいはそれに反対する党派的な教育や政治的活動は行わない、という一点であるべきです。
高市早苗政権は国会で、国旗損壊を罰する法律、女性天皇を認めない皇室典範改定を強行しました。専守防衛を投げ捨て、外国領土を攻撃できるミサイル配備など軍拡も急激です。これらの先に憲法9条の改悪が狙われています。
戦争への歯止めを一つひとつ外しつつある政権の、平和教育への介入は偶然ではありません。立場を超えて「平和教育を萎縮させるな」の声をあげましょう。

