1990年代に入り、憲法9条に対する米国発の攻撃が再び強まります。90年8月、イラクによるクウェート侵攻で湾岸危機が発生し、当時のブッシュ米政権は日本政府に、自衛隊の多国籍軍参加を要求しました。しかし、海部俊樹首相は「憲法の制約」を理由にこれを拒否。結果的に日本は、湾岸戦争終結後の91年、ペルシャ湾に掃海艦を派遣し、戦後初の海外派兵を実行しました。
ところが、米側は多国籍軍に参加した同盟国を高く評価する一方、日本の“貢献度”はさして評価しませんでした。この経験は、日米同盟を絶対視する勢力に「米国から見捨てられる」という恐怖感を芽生えさせました。
こうした中、保守二大政党制を志向した政界再編が進行したことも相まって、改憲論が急速に台頭しました。94年11月には読売新聞が初の改憲試案を公表し、「9条は時代遅れ」というイデオロギー攻撃も強まります。この流れは、国会の9割以上を改憲派が覆い尽くすという現在の政治状況の直接的な源流と言えます。
さらに、90年代後半には、日米安保共同宣言(96年4月)、日米軍事協力の指針(ガイドライン)改定(97年9月)、周辺事態法(99年8月施行)と、日米同盟のグローバル化と自衛隊海外派兵への流れが一気に進みます。
最たるものは、2000年10月、アーミテージ米国務副長官ら「知日派」が公表した報告書です。集団的自衛権を行使しない日本の憲法解釈は日米同盟の「障害」だとして公然と攻撃しました。
そして、01年9月の米同時多発テロを受け、日本は自衛隊をインド洋に派兵。03年12月には米国のイラク先制攻撃を受け、戦後初の「戦地」派兵となるイラク派兵を強行しました。いずれも米国の強い圧力のもとで進められたものです。
こうして、憲法9条と安保政策・自衛隊の実態との矛盾は、いよいよ極限に達しました。

