(写真)有事法制発動は許さない、イラク派兵法案反対7・2緊急集会に参加した人たち=2003年7月2日、東京都千代田区
自衛隊は1954年の創設以来、海外での武力行使に踏み込む危険に繰り返し直面してきました。それでも、外国人の命を奪うことも、自衛隊員が戦死することもありませんでした。その歯止めとして機能してきたのが憲法9条です。
政府は、「戦力不保持」を明記した9条との矛盾を取り繕うため、自衛隊を「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」と位置づけてきました。これに伴い、「必要最小限度」を超える(1)海外での武力行使=いわゆる海外派兵(2)多国籍軍への参加や他国軍の指揮下に入る行為(武力行使との一体化)(3)集団的自衛権の行使―などを禁止。政府答弁(工藤敦夫内閣法制局長官、90年10月24日、国連平和協力特別委員会)でも明確にしました。
50年代、米国は日本を含むアジアで、北大西洋条約機構(NATO)のような多国間軍事同盟を構想し、58年には日米安保条約の適用範囲を「西太平洋」まで拡大するよう要求。ベトナム戦争を含むアジアでの軍事行動に日本を組み込む狙いでしたが、当時の藤山愛一郎外相は「憲法上の制約がある」と拒否しました。9条がなければ、自衛隊がベトナム戦争に動員され、多くの犠牲を生んでいたかもしれないのです。
90年代以降、日米同盟の地球規模化が進み、自衛隊の海外派兵が拡大していきます。92年の国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく派兵、2001年以降のインド洋派兵、03年以降のイラク派兵と続きます。
しかし政府は、「武力行使はしない」「海外派兵ではなく派遣である」などの詭弁(きべん)で合理化。このような説明を成り立たせるために、(1)活動は「非戦闘地域」に限定する(2)他国軍の指揮下には入らない(3)後方支援活動も他国の武力行使と一体化しない―という制約を設け、武器使用も基本的には「自己防衛」に限定しました。
戦後初の「戦地」派兵となったイラク派兵では、結果として自衛隊は1発の実弾も撃たず、1人の戦死者も出しませんでした。後の報道では、現地武装勢力の内部で、自衛隊の駐留には反対するが、攻撃はしないとの合意があったことが明らかになっています。ここでも9条の制約が自衛隊員の命を守ったのです。

