(写真)第1回原水爆禁止世界大会=1955年8月、広島市
前回(10日付)紹介した「武器輸出三原則」と並んで、憲法9条が政府の政策に大きな影響を与え、確立されたのが「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」とする「非核三原則」です。
広島、長崎への原爆投下に続き、1954年3月1日、米国の水爆実験で第五福竜丸をはじめ日本の多くの漁船が被ばくする「ビキニ事件」が起きました。これが契機となって、原水爆禁止を求める署名運動が全国に広がり、55年8月、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されました。その後、日本を核戦争の拠点にしないという国民の世論と運動が、非核三原則に結実していきました。
67年12月11日、佐藤栄作首相(当時)が「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則」(衆院予算委)と発言。71年には「政府は、核兵器を持たず、つくらず、持ち込まさずの非核三原則を遵守(じゅんしゅ)するとともに、沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置をとるべきである」という国会決議が採択されます。その後、非核三原則を「国是」とする決議が、国会の全会一致で5回にわたって採択され、「国是」として確立しました。
核固執勢力から繰り返し「核武装論」が持ち出されましたが、いずれもとん挫しています。非核三原則が大きな力を発揮していると言えます。また、原子力基本法には原子力の「平和利用」が盛り込まれ、「原子力潜水艦保有」論を制約しています。
一方、日米両政府は60年の日米安保条約改定の際、米軍の核持ち込みを認める「核密約」をかわし、国民をあざむいてきました。
さらに、高市早苗首相は「非核三原則」のうち、「持ち込ませず」は、「日米同盟の邪魔」だと公言。安保3文書改定で、三原則見直しが議題になっています。米軍の核戦略に公然と参加するのか、非核三原則を維持、法制化し、核兵器禁止条約に参加するのか。大きな岐路に立っています。

