(写真)武器輸出を全面解禁する閣議決定に抗議する人たち=4月21日、首相官邸前
憲法9条のもとでつくられた「平和国家」の実績として、外務省が「専守防衛」と共に掲げていたのが「国際紛争助長の回避」で、その一つが「武器輸出三原則」でした。
戦後当初、日本の軍需産業は連合国軍総司令部(GHQ)の非軍事化占領政策のもとで解体されていたため、そもそも武器禁輸の原則は存在しませんでした。ところが米国は、占領政策を再軍備化と憲法改定へと転換。軍需産業が復活し、国産兵器の輸出が国会で問題になり、論戦を通じて武器禁輸の原則が確立していきました。
国会論戦を振り返ると、1960年代には、米国の中国封じ込め政策のもとで中国への輸出が問題となり、佐藤栄作首相が67年、共産圏諸国や紛争当事国などへの武器輸出禁止を表明。国産C1輸送機の輸出解禁を求める動きが問題となった76年の国会では、野党が、佐藤首相が示した原則の曖昧さを追及しました。
これを受け76年には三木武夫首相が、共産圏や紛争当事国以外に対しても「武器輸出を慎む」とする「政府統一見解」を表明。武器の全面禁輸が政府の方針となりました。70年代には革新自治体が9都府県で誕生するなど政治革新の波が高まっていたことも、全面禁輸への流れを後押ししました。
さらに大阪府内の商社による禁輸方針違反が問題となった81年、衆参両院で武器輸出の全面禁止原則決議を全会一致で議決し、「国是」として国内外に宣言しました。
こうした経過を踏まえ、政府は国会答弁で、全面禁止は日本の「国是」であることを認めてきました。
その一方で、83年には中曽根康弘内閣が「武器技術」の対米輸出を認めたのを皮切りに、自民党政権は次々と輸出禁止原則の例外を設けていきます。2014年には安倍晋三政権が、救護や輸送などを目的とする「5類型」の限定付きで「原則禁止」から「原則容認」へと大転換。高市早苗内閣は今年4月、この限定さえ撤廃して戦闘機や護衛艦など殺傷兵器の輸出まで可能にし、憲法9条を掲げる平和国家の国是を完全に投げ捨てたのです。

