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2026年7月9日

イチからわかる憲法9条

第3部 平和国家のルール(1)「専守防衛」
自衛隊と“並存”のため

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(写真)田中角栄首相(当時)が1972年10月31日の衆院本会議で行った「専守防衛」についての明確な答弁を示す議事録(傍線は本紙)

 1960年1月の日米安保条約改定で、日米共同作戦条項(第5条)が加わり、78年の日米軍事協力の指針(ガイドライン)策定などを通じて、自衛隊の増強と日米の軍事一体化が加速します。

 一方、50年代に企てられた明文改憲が挫折に追い込まれたことで、(1)戦争放棄(2)戦力不保持(3)交戦権否認―を掲げた憲法9条と日米安保、自衛隊の矛盾も激化していきます。60年代に入ると相次ぐ憲法裁判や、国会での共産党や社会党の厳しい追及がありました。

 政府はこの矛盾を覆い隠し、憲法9条と安保、自衛隊を“並存”させるために、戦後日本を「平和国家」とするルールを形作ってきました。

 外務省が2005年に公表した「平和国家としての60年の歩み(ファクト・シート)」では「専守防衛」がその実績の一つとされ、「自衛のための必要最小限度の防衛力しか保持せず、攻撃的兵器を保有しない」と明記しました。

 「専守防衛」という言葉は、1955年に当時の杉原荒太防衛庁長官が国会答弁で初めて言及したもの。「もっぱら守る、これはあくまでも守る、こういう考え方だ」との基本的性格を示しました。

 70年に刊行された最初の防衛白書『日本の防衛』には、「専守防衛」という表現が初めて正式用語として登場します。さらに、大陸間弾道ミサイル(ICBM)や長距離爆撃機、攻撃型空母などの攻撃的兵器は保有できないとの見解が示されました。72年10月31日の衆院本会議での答弁で田中角栄首相は、「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うこと」と、より明確な見解を示しました。

 いま、集団的自衛権の行使容認や敵基地攻撃能力の保有など、「専守防衛」を逸脱する大転換が起こっています。それでも政府は「専守防衛」の旗を降ろすことはできず、矛盾はいっそう深刻になっています。