(写真)町中を行進する保安隊=1952年10月
平和主義を徹底した憲法9条は多くの国民に歓迎されましたが、憲法施行後早々に米国は9条改憲の方針を取り、平和を望む日本国民に押しつけにかかります。9条改憲の起源は、日本ではなく米軍部の方針でした。
憲法施行を2カ月後に控えた1947年3月、トルーマン米大統領は演説で「共産主義の封じ込め」を宣言。米国は日本を対ソ連・対中国の「反共の防波堤」にするため、ポツダム宣言が求めた日本の非軍事化・民主化路線を転換します。
ロイヤル米陸軍長官は48年5月に「日本の限定的再軍備」という覚書を米国防長官に提出。将来憲法を改定し、本格的な軍隊を持たせるための準備を進めると明記したこの覚書は、49年に米軍最高指導部の公的方針になりました。
50年6月に朝鮮戦争が勃発すると、GHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー最高司令官は、自衛隊の前身となる「警察予備隊」を創設するよう吉田茂首相に指示。在日米軍が朝鮮戦争に動員されたことで、日本が軍事的空白となり、それを埋めるために警察予備隊が必要になったのです。
警察予備隊は52年には保安隊となり、54年に自衛隊になりました。
日本の再軍備化と、9条との矛盾を解消するための改憲は、国民が望んで進んできたわけではなく、米国の要求による策動です。押しつけられたというにふさわしいのは、憲法9条ではなく、9条改憲の方です。

