戦争を制限、禁止する取り決めは9条以前からありました。第1次世界大戦の反省から生まれた国際連盟の規約(1919年)や「戦争放棄に関する条約」(パリ不戦条約、28年)です。しかし、第2次世界大戦を防ぐことはできず、その反省も踏まえ国際連合憲章が調印(45年6月)されました。国連憲章の調印から1年後の46年11月に日本国憲法とその第9条は誕生します。国連憲章2条は「武力による威嚇又は武力の行使を…慎まなければならない」としました。9条では、さらに徹底し、「武力による威嚇又は武力の行使」を「放棄」しました。
9条は、戦力不保持と交戦権を否認するという、国連憲章にもない規定を持ち、「戦争をしない」ことを徹底させています。日本国憲法が前に向かって飛躍したことを示す条項です。
国連憲章調印から日本国憲法公布までの間に、広島、長崎への原爆投下(45年8月)がありました。二十数万人の命を奪い、二つの都市を廃虚にした原爆の悲劇。二度と起こさないという決意が、世界に先駆けて戦力を保持せず、交戦権を認めないとした2項を生み出しました。
憲法提案時は首相だった幣原喜重郎は、46年8月の憲法制定議会で「文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでしょう」と警告しています。
日本国憲法発布後まもなく文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』では、戦力放棄について、「けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と国民に呼びかけたのです。(つづく)

