高市政権は「戦争する国づくり」に向け憲法違反の大軍拡を進め、憲法9条の改憲を狙っています。一方、国会前など全国各地で「憲法守れ」と声を上げる行動が広がり、激動する内外情勢のもとでも、9条は確かにその役割を果たし続けています。そもそも憲法とは何か、9条はどう生まれ、どのような力を持つのか。憲法9条をシリーズで「イチ」から見つめ直します。
(写真)日本国憲法の公布原本(国立公文書館所蔵)
「どのような国をつくり上げたいのか。その理想の姿を物語るものが憲法だ」―。高市早苗首相は4月12日の自民党大会でこう述べ、憲法改定の「時は来た」と語りました。しかし、本当にそうでしょうか。
そもそも“憲法とは何か”から考えてみます。
日本弁護士連合会が2008年に出版した絵本『憲法って、何だろう?』は、「憲法は、リーダーを縛るもの」だと説明しています。そして、「リーダーは、憲法に従う/なぜ?/リーダーも人間だから/かならずまちがうから/たいへんなことになるから」と続きます。
憲法は、政治に携わる者が守るべき最高法規であり、人権を守るために権力の行使に枠をはめる基本原理です。為政者が恣意(しい)的に権力を振るうことを防ぐ―ここにその本質があります。
日本国憲法第99条は、誰がこのルールを守るのかについて、次のように明記しています。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」―。憲法とは国家権力を縛るルールであることが、条文にはっきりと示されているのです。
近代憲法の出発点は「人権宣言」です。17~18世紀にかけての英米仏の「市民革命」の中で、自由や平等などの人権や主権在民の原理が打ち立てられました。そして、その成果を「法」として定めたものが憲法です。
したがって、憲法は特定の人間の理想の国家像を描くための文書ではありません。多様な価値観を持つ人々が共に生きるための共通ルールです。特定の立場の理想を憲法に書き込めば、憲法自体が国論を二分し、分断を招くという「たいへんなこと」を引き起こしかねません。
日本の戦前の経験が、その危険性を示しています。大日本帝国憲法は天皇に広範かつ絶対主義的な統治権を認め、国民の権利も「法律の範囲内」で制限できるとされていました。実際、治安維持法による言論弾圧や軍部の独走を止めることができず、日本はアジア諸国への侵略戦争へと突き進み、自国民の被害にとどまらず、他国の人々にも甚大な被害を与えました。
こうした反省のもとに制定されたのが日本国憲法です。だからこそ、憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と刻まれています。再び戦争を起こしてはならない―これが日本国憲法が政府に課した最大の縛りです。憲法9条は、この前文と一体のものとして生まれたのです。(つづく)

