広島、長崎に続く、アメリカによるビキニ核実験被災。被害に遭ったのは第五福竜丸などの漁船だけではありませんでした▼海上保安庁の観測船「拓洋」と「さつま」も被災しました。1958年7月、国連の国際地球観測プロジェクトとして、赤道海域を航行中に米国の水爆実験による大量の死の灰を浴びました。「拓洋」の機関士・永野博吉さんが1年後に急性骨髄性白血病により34歳で死亡しました▼2024年放送のNHKスペシャル「封じられた“第四の被曝(ひばく)”」によると、妻の澄子さんは、亡くなる前に夫の髪の毛や体毛が抜け落ちたと証言。役人からは「白血病による死亡と被ばくは直接関連づけられない。アメリカも絡むことだから秘密にするように」と口止めされました▼ときは、60年の安保改定前夜です。条約改定の日米交渉は、同年9月、藤山愛一郎外相の渡米とともに本格的に始まりました。岸信介内閣による教師に対する勤務評定に反対する闘争や、警察官職務執行法改悪反対の闘いが高揚していた時期。日米両政府は反核・反米の国民感情の高まりを恐れたのです▼「こんな理不尽を見逃すことはできません。みなさんに連帯し、ビキニ被ばく船員訴訟を支援します」。先日の「ビキニデーin高知」集会に参加した永野さんの長女、安希巳(あけみ)さんの思いです▼核実験被災の真相解明と被災者救済は国民共通の願い。日本政府の核兵器禁止条約参加を迫る運動と合わせ、大きな取り組みへと国会内でも集会を開く計画です。
2026年5月15日

