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2026年5月1日

田村氏、福島の被災地調査

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(写真)平岩邦弘副町長(左から3人目)の案内で町内の帰還困難区域を視察する田村智子委員長(同2人目)、岩渕友参院議員(同5人目から右へ)神山悦子県議団長、高橋千鶴子元衆院議員ら=30日、福島県双葉町

 日本共産党の田村智子委員長は30日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から15年が経過するもと、福島県の楢葉町、双葉町、浪江町、二本松市を訪れ、被災地の実態を調査しました。原発事故の影響でいまだ立ち入りが制限される帰還困難区域などを歩き、被災者らの声に耳を傾け、「国への要望を率直に聞かせてください」と各地で繰り返し呼び掛けました。岩渕友参院議員、高橋千鶴子元衆院議員、神山悦子、宮川えみ子、宮本しづえ、大橋沙織の各県議らが同行しました。

原発事故続く苦しみ

■楢葉町

 田村委員長らが最初に足を運んだのは楢葉町です。同町大谷地区の宝鏡寺(ほうきょうじ)境内に設けられた「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を訪れました。静かな境内にたたずむ資料館には、被爆や核実験、原発事故の被害と、それにあらがってきた人びとの歩みを伝える資料が並びます。

 同館は、半世紀にわたり反原発と非核を訴え続けた同寺住職の早川篤雄さん(故人)が私財を投じて開設したものです。遺志を引き継ぐ同館事務局長の丹治杉江さんは「悔しくてならないのは、今も原発事故が収束していないのに、日本全国で再稼働が進められていることだ。国は『事故は終わった』と言うなら、福島を元の暮らしに戻してほしい」と訴えました。

 田村氏は丹治さんの説明に耳を傾けながら展示を見つめ、いまなお続く被害の重さをかみしめました。

かつての痕跡が

■双葉町

 双葉町では町役場を訪れ、平岩邦弘副町長と懇談しました。福島第1原発の立地町で、避難指示の解除が最も遅れた自治体です。いまも町域の約85%が帰還困難区域となり、多くの町民が全国で避難生活を続けています。

 平岩氏は「11年5カ月に及ぶ全町避難で、復興はいまだ緒に就いたばかりだ」と指摘。震災前と比べ、居住人口は約3%、商工業は約21%、農業は約1%にとどまるなど厳しい実態を示し、「避難指示解除が後発となった自治体にも公平な支援を」と国への要望を語りました。

 田村氏は、健康保険や介護保険など自治体業務の課題や、東電との協議状況について具体的に確認しながら要望を聞き取りました。

 懇談後、田村氏らは平岩氏の案内で帰還困難区域の鴻草地区へ。崩れた家屋が残り、時間が止まったかのような光景が広がります。人の気配のない住宅地には空き地が点在し、さびた三輪車など、かつての暮らしの痕跡が静かに横たわっていました。

責任を果たして

■浪江町

 浪江町では、原発事故で避難を強いられた津島地区の住民らによる「津島訴訟」の原告団と懇談しました。国や東京電力に原状回復と損害賠償を求めています。懇談では、住民から「『点』ではなく『面』での除染を」「農業ができる環境を」「二拠点居住を認めてほしい」など、切実な要求が相次ぎました。

 原告の三瓶春江さんは、「復旧なくして復興はあり得ない。生業(なりわい)がなければ住民は戻れない。国は責任を認め、向き合ってほしい」と訴えました。日本共産党元町議の馬場績さんは「今ごろの津島は新緑が美しく、タラの芽が取れる季節。田んぼを歩けばどじょうがはねる。そんなふるさとの生き方を奪ったのが原発事故だ」と語り、思いをにじませました。

■二本松市

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(写真)石倉団地住民の佐藤武男さん(左)宅を訪問する(右へ)田村智子委員長、岩渕友参院議員、高橋千鶴子元衆院議員=30日、福島県二本松市

 二本松市では、復興公営住宅の石倉団地を訪れ、住民と懇談しました。約200世帯規模の同団地には、浪江町をはじめ各地からの避難者が入居しています。

 田村智則自治会長は、「集会所が狭く、総会を開く場所にも困っている」など具体的な課題を挙げ、「不具合があっても『突貫工事だから仕方がない』と言われてしまう」と苦悩を語りました。住民からは、高齢化が進むなかで医療や健康への不安の声も相次ぎました。

 田村委員長は実際に住民の自宅も訪ねながら、一人ひとりの話に耳を傾け、生活の実情を丁寧に聞き取りました。

 一日の視察を終え、田村氏は「15年を一つの区切りにするかのような政治の動きは許されない。先が見えず、元の生活を取り戻すことは難しいという絶望を抱えながら、みなさんは生きてこられた。避難できても、それは元の生活ではない」と強調し、「その痛みや苦しみを、国も東京電力も決して忘れてはならない。私もその決意で要望に応えていきたい」と述べました。