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2026年4月12日

主張

「普天間」合意30年
新基地固執やめ無条件返還を

 1996年4月12日、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が会談し、沖縄県の米海兵隊普天間基地(宜野湾市)の「全面返還」で合意しました。

 30年前のその日、本紙政治部に所属していた筆者は、橋本首相とモンデール大使が緊急の記者会見を開いて発表した返還合意について、解説記事(96年4月13日付)を書きました。

 合意内容が、普天間基地の機能を県内に移設する“たらい回し”を基本にし、基地の被害や重圧を他の自治体や住民に強いるもので、「5~7年以内の返還」という目標が実現する保障は何もないと指摘しました。

■あまりに長い歳月

 しかし、その時は、筆者が還暦をすぎる30年後も、普天間基地が返還されていないとは想像もしていませんでした。あまりに長い歳月です。

 普天間基地は市の中心部に位置し、周りには学校や病院など公的施設、民家、商店が密集しています。住民は、米軍機の耐えがたい爆音や事故の危険にさらされています。2004年8月に基地と隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落するなど、一歩間違えば大惨事になる重大事故も相次いでいます。

 「世界一危険」と言われてきたのに、長期にわたり返還が実現しないのはなぜか。歴代政府が、苛酷な基地負担からの解放を求める県民の声を無視し、普天間基地の「県内移設」に固執し名護市辺野古の新基地建設を推し進めようとしてきたからです。

 普天間基地を狭隘(きょうあい)な沖縄のどこに移そうと、その「痛み」は変わりません。しかも政府は強権を振るい、なりふり構わず県民にその「痛み」を押しつけようとしてきました。県民の人権や地方自治を踏みにじる政府の姿勢に怒り、党派を超えて新基地に反対する世論と運動が沸き起こってきたのはそのためです。

■どの建設案も破綻

 これまで政府や新基地推進派は、県民に受け入れさせようと、海上基地案や軍民共用空港案などさまざまな建設案を持ち出してきました。しかし、どれも破綻しました。

 現行のV字形滑走路案は06年5月に決まったものの、20年たった今も完成は見通せていません。埋め立て予定海域に軟弱地盤が広がり、工事の難航が必至だからです。政府は当初、完成時期を設けていましたが、今はそれすら示せなくなっています。

 しかも、今、新基地が完成しても普天間基地が返還されない危険が浮かび上がっています。

 日米両政府は、普天間基地での固定翼機の運用が滑走路の短い新基地では不可能なため、別の長い滑走路を県内で確保するという合意をしています。米国防総省は昨年、代替滑走路が特定されるまで普天間基地は返還されないとの見解を示しています。

 軍事に軍事で対抗する「抑止力」論にもとづき米軍基地の維持・強化にしがみつく限り普天間基地は動きません。憲法9条を持つ日本が東アジアの軍縮にイニシアチブを発揮するとともに、普天間基地の無条件返還に踏み出すことが「唯一の解決策」です。