日本共産党

メニューとじる

すべての記事が読める

赤旗電子版購読お申し込み

2026年3月26日

不破哲三同志への告別の挨拶

日本共産党中央委員会を代表して 志位和夫

 25日、故不破哲三前議長の葬儀で、日本共産党中央委員会を代表して志位和夫議長が述べた弔辞は次の通りです。


写真

(写真)党中央委員会を代表して弔辞を述べる志位和夫議長=25日、東京都新宿区

 不破哲三同志。私は、党中央委員会を代表し、日本と世界の平和と社会進歩、日本共産党の発展のために大きな足跡を残された不破哲三さんの生涯に、心からの敬意をささげるとともに、私自身の思いを込めて、お別れのあいさつをのべるものです。

 私は、1990年に書記局長に選任されて以来、不破さんとは、役職上の関係はさまざまでしたが、34年間にわたって、同じ党指導部を構成する一員として親身な指導と援助を受け、数えきれないほどの相談をしながら、語りつくせない多くのものを学んできました。私が、不破さんに間近に接し、つねに畏敬の気持ちとともに感じてきたのは、あらゆることにたいして、不屈の開拓の精神、あくなき探究の精神をもってのぞみ、若々しい情熱を燃やしてのぞむ不破さんの革命家としての姿勢でした。

(1)

 不破さんが、1964年、党本部に入り、理論政策委員会の一員として携わった最初の大仕事は、1964年に開始されたソ連共産党からの干渉、66年に開始された中国・毛沢東派からの干渉という、二つの大国からの乱暴きわまる干渉攻撃に対して、相手の攻撃のすべての論点を、事実と道理にたって全面的に打ち破る論陣をはることでした。その後も、「社会主義」を看板とした大国主義・覇権主義とのたたかいは、長く続きますが、不破さんは、相手の無法を打ち破るだけでなく、書記局長、委員長、議長などの重責を担いながら、たたかいをつうじて党の理論と路線を発展させる大きな仕事を残しました。

 不破さんが執筆した『スターリンと大国主義』(1982年)、『日本共産党にたいする干渉と内通の記録--ソ連共産党秘密文書から』(1993年)、『スターリン秘史--巨悪の成立と展開』(2014年~16年)などは、どれも国際的にも意義をもつ記念碑的な労作となりました。私は、不破さんから、スターリン批判について、「これは私たちの世代の責任なんだよ」という言葉を、何度も聞いたことを思い出します。敗戦直後の一時期、スターリンを「絶対の権威」だとみなしていた経験をもつ世代の一員として、「社会主義」を看板に掲げた無法な暴圧を二度と許さないためにも、その害悪を根底から明らかにし、全面的に清算する仕事を、自らの世代の責任としてやり抜かなければならない。こうした強い決意をもって、大きな情熱をそそいでいることが、ひしひしと伝わってくる言葉でした。

 不破さんの探究は、レーニンの理論の再検討にも及びました。とくにレーニンが、ロシア革命のさなかの1917年に執筆した著作『国家と革命』--レーニンの著作のなかでも頂点をなす古典としてスターリン時代に絶対化された著作--に対して繰り返し批判のメスを入れたことは、実り豊かな成果につながるものとなりました。レーニンがこの著作で強調した「武力革命必然論」が、マルクス・エンゲルスの国家論と合致するものではないことを明らかにしたことは、1961年のわが党綱領が打ち出した「議会の多数を得ての革命」という路線を支える理論的土台を確かなものとしました。

 さらに、不破さんが、それまで、世界の運動のなかで「国際的な定説」とされてきた社会主義・共産主義論が、レーニンのこの著作に由来するものであること、それがマルクスの著作の読み間違いによるものであることを明らかにしたことは、「人間の自由な発展」を核心とするマルクス、エンゲルス本来の社会主義・共産主義論の素晴らしい魅力の再発見につながり、その成果は、2004年の党綱領改定に生かされました。

 不破さんは、晩年の約20年間にわたって、マルクスの『資本論』がどのようにしてつくられたのか--『資本論』の形成の歴史の探究に大きな情熱を注ぎました。『資本論』の草稿を粘り強く解読するなかで、マルクスが、「恐慌=革命」論--「恐慌が起これば、それに引き続いて革命が起こる」という立場を乗り越えて、労働者階級の成長・発展・たたかいこそが、資本主義を没落させて、その先の新しい社会に進む原動力であるという新しい認識に到達していったプロセスを究明していきました。この不破さんの探究は、今日、『資本論』をどう読み、労働者階級のたたかいにどう生かしていくかについて、生きた巨大な意義をもつものとなっていると思います。

 さらに、『資本論』の草稿を探究するなかで、不破さんが、“「自由に処分できる時間」を軸に未来社会論をとらえる”という新しい問題提起を残してくれたことは、私たちがいまこの問題を探究するうえでの大きな手掛かりとなっているということを、深い感謝とともに強調したいと思います。

 不破さんは、2012年に行われた党創立90周年記念講演会での講演で、「われわれが半世紀にわたって取り組んできたこの仕事は、スターリン時代の中世的な影を一掃して、この理論の本来の姿を復活させ、それを現代に生かす、いわば科学的社会主義の『ルネサンス』をめざす活動とも呼べるものだ、と私は思っています」と語りました。

 既成のどんな「権威」にも「定説」にもとらわれず、マルクスとエンゲルスの原点を自分自身の目で捉えなおしながら、あくなき探究の精神にたって理論と路線を発展させる。私も、不破さんが長年にわたる探究によって成し遂げてきたことは、まさに「科学的社会主義の『ルネサンス』」と呼ぶにふさわしいものだと思います。それは自主独立の立場にたった理論的探究の成果として、国際的にも重要な意義をもつものだと確信するものです。

(2)

 国政を舞台に、さらに世界を舞台に、日本共産党を代表しての不破さんの活動も、今に生きるたくさんの財産を私たちに残してくれました。

 不破さんは、1969年の初当選いらい2003年まで、連続11期34年にわたって衆議院議員として活躍し、とくに予算委員会での質疑では、日本中をうならせた数々の名場面をつくっていきました。そのテーマは、外交・安保から、暮らしと経済まで、あらゆる分野に及びました。

 日本に寄港する米原子力潜水艦の放射能データ捏造(ねつぞう)を告発した1974年の予算委員会質疑は、国内外に一大衝撃をあたえ、原潜の入港を183日間にわたってストップさせるところまで、日米両政府を追い詰めました。トヨタ自動車の「カンバン方式」と呼ばれた「下請けいじめ」の問題を取り上げた1978年の予算委員会質疑、ナショナル(現パナソニック)の超過密労働による健康破壊の問題を取り上げた79年の予算委員会質疑などは、大企業の経営や職場の実態を国会の場でただすという、新しい境地を開きました。

 不破さんの国会論戦に対する姿勢にかかわって、私たちが深く学んだことを二つほどお話しさせていただきたいと思います。

 一つは、どんな論戦に取り組むさいにも、不破さんが、「事に精通する」努力をとことん行ったことです。その問題にかかわる公的資料、関連資料をすべて蒐集(しゅうしゅう)し、読み込むとともに、現場に足を運んで国民の生の声、苦しみや願いを直接に聞く。それは徹底したものでした。質問のさいに、相手がどう出てきても反撃できるように、必要だと予想される資料はテーマごとにすべて大学ノートに貼りこんでおき、質問席にもっていく。用意したテーマが多いときには、十数冊もの大学ノートを質問席に持ち込んだことがあると聞きました。こうして一つの質問戦が終わると、不破さんは、その分野で「事に精通」した文字通りの専門家となり、それがわが党の政策の発展に実を結んだものも少なくありません。

 私は、衆議院議員に当選したのち、不破さんから直接、ずいぶんと質問の仕方について助言をいただきましたが、私が一番印象深く記憶しているのは、次の言葉です。

 「国会質問というのは、質問の主題を自分で選べるのだから、質問の主題に選んだ問題では、相手よりも『事に精通する』ことが大切だよ。そうすれば相手がどう出てきても、論戦で必ず相手を追い詰めていくことができる」

 この論戦の鉄則を、文字通り実践したのが不破さんの国会での活躍だったと思います。

 もう一つは、不破さんが、国会での論戦で火花を散らした相手に対して、政治的な立場の違いはあっても、とても温かい回想を私たちに語っていたということです。

 「質問していて一番面白かったのは、田中角栄氏だった」

 意外に思われるかもしれませんが、不破さんからよく聞かされたことです。1973年の石油ショックで物価高騰が大問題になったさい、田中内閣は、売り惜しみなどを取り締まる「物価Gメン」を任命しました。ところが、調べてみるとその多くが仕事をしていないことがわかりました。不破さんがこの事実を示して追及すると、田中首相は「ただちに改善します」とその場で約束。翌日には、閣議で専任のGメン設置を指示し、1週間以内に75人を任命するという素早い対応を行いました。この仕事ぶりに敬意を持ったことを、不破さんが繰り返し語ったことは忘れられません。

 論争相手に対する温かいまなざしでの回想は、他の政治家にかかわっても聞くことができました。

 不破さんが国会で取り組んだ一つひとつの質問戦は、そのどれもが国政の根本問題をめぐって正面からぶつかりあう真剣勝負そのものであり、相手も不破さんの論戦には心の底からの脅威を抱いたと思います。同時に、政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。不破さんが貫いたこの姿勢は、おそらくは相手にも伝わり、日本共産党の値打ちを高めたのではないでしょうか。そして、いまの日本の政治の現状を見るときに、こうした姿勢に立って政治にのぞむことは、国民の政治への信頼を回復するうえでも、いよいよ大切になっているのではないかと、私は思います。

(3)

 不破さんは、2003年に衆議院議員を退任し、2006年の党大会では党議長を退任し、この年から2024年の党大会までの18年間は、常任幹部会委員、党社会科学研究所所長として活動しました。

 この時期の不破さんの活動は、理論活動が中心となりましたが、同時に、常任幹部会委員の一人として、毎週月曜日の常任幹部会には、体調がすぐれないとき以外は必ず出席し、節々で大局に立った発言を行い、私たちを励ましてくれました。とくに、不破さんが繰り返し、さまざまな形で語ったことは、「未来に向かって革命的な大局観をもとう」ということでした。2007年に行われた党創立85周年記念講演会での講演で、不破さんは次のような言葉を残しています。

 「もちろん、国民の考え方の変化発展にはジグザグがあります。大波があります。しかし、長い視野で見れば、国民の認識、政治的意識、これは国民みずからの経験を通じて、必ず前向きに発展するものです。私たちの党は、戦前・戦後を通じ、どんなに困難な時代にも、一つひとつのたたかいに全力をつくすが、同時に一つひとつのたたかいの前進・後退に一喜一憂せず、この革命的な大局観を堅持してたたかいぬいてきました。そこに日本共産党の革命的伝統があります」

 ここで不破さんは、社会を変える主人公は国民であること、国民の認識は、ジグザグはあっても、「みずからの経験」を通じて、長い目で見れば必ず前向きに発展するということへの、深い信頼と確信を語っています。その根本には、「人民のたたかいこそが歴史をつくる」という科学的社会主義の揺るがぬ世界観があることを強く感じます。

 私たち日本共産党の事業は、この社会を根底から変える志をもつがゆえに、たえずさまざまな攻撃や困難にさらされます。しかし、どんな困難なときにも、国民の苦難に寄り添い、国民の認識の発展に信頼を寄せ、「未来に向かって革命的な大局観」をもって頑張りぬく。この決意を申し上げて、不破哲三さんへのお別れのあいさつの結びとします。