同じ年に生まれて、ひとりは数学者に、もうひとりは作家の道にすすみました。ともに94歳の訃報が伝えられた広中平祐さんと山中恒さんです▼代数幾何学の研究で業績をあげ、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した広中さん。考え続けることと創造することの大事さを説き、世界の子どもたちに算数を楽しんでもらおうと「算数オリンピック」の創設にも携わりました▼なぜ人は学ぶのか。その問いに、広中さんは「知恵」を身につけるためだと答えてきました。生きていくうえで非常に大切なものがつくられていく知恵には「広さ」と、物事を見つめる「深さ」があると。さらに物事の決断力を促す「強さ」という側面も▼幼少から天皇への絶対服従をたたき込まれた山中さんは戦後、児童読み物の職業作家になりました。子どもたちによりそい、ありのままの姿を描いた数多くの作品。そこには「奴隷の掟(おきて)」だったという教育勅語をはじめ、戦時下の教育に対する痛烈な批判が込められています▼生き方に大きな影響を与えた戦争体験。兄2人が戦死した広中さんは、自身も人間魚雷をつくる工廠(こうしょう)に学徒動員され、空襲にさらされました。人生観が一変した戦後は真理を追究する学問の世界に飛び込みました▼「日本が明治以降やってきた戦争の誤りを認め、二度とバカなまねをこの国にさせないこと、それを若い人に伝えたい」。狂気の時代に戻らないよう、警鐘を鳴らし続けた山中さん。9条を守り生かしたいと最後まで。
2026年3月22日

