飢えた牛がかじり、細くなった南相馬の牛舎の柱。双葉町の広告塔の上に飾られていた原子のシンボルマークのオブジェ。ペンキで手書きされた「富岡は負けん!」の横断幕▼震災の遺産を集めた企画展が福島県立博物館で催されています。発災後、同館がとりくんだのは文化財の救出活動でした。学芸員がみずから防護服と線量計を身につけて収集。福島の経験を後世に残していくことが使命だとして▼いまも災害の中にある福島。政府と東京電力は2051年までの廃炉をいいますが、およそ880トンある溶け落ちた核燃料=燃料デブリが取り出された量はわずか0・9グラム。たえまない汚染水の処理や除染土の県外最終処分の見通しもたっていません▼認知症の父の願いをかなえたいと話す女性、変わり果てた故郷に悔しさしかないと唇をかむ役場の元職員、家族との思い出を胸に被災地の今後を模索する若者。15年の歳月がすぎても帰ることのできない大勢の無念、復興のかたちを描くこともできない現実があります▼それなのに国は原発の再稼働や増設に突き進んでいます。被災地や被災者の苦難を見ようともせずに。原発のトラブルや電力会社の不正も相次いでいますが、規制委も推進役に▼浪江町で林業に携わっていた相川健二さんは、全町避難となった日から住み家を点々と。その間に両親も亡くしました。「原発事故はほんとうに罪深いのに、国も東電も責任をとらない。それが原発にしがみつく姿勢に表れている」と改めて怒りを。
2026年3月12日

