ひとたび原発事故が起きれば、環境と地域社会に壊滅的な被害を与え、復興は50年、100年単位の年月を要する―。国策で進めた東京電力福島第1原発事故の教訓です。
福島第1原発が立地する大熊町や双葉町を巡ると、線量が高く人の立ち入りを禁じる「帰還困難区域・通行止め」がいたるところにあります。
両町の国道沿いには、廃棄物フレコンバッグが野積みされています。放射線量を下げるための除染作業で出た汚染土などを入れた巨大なゴミ袋です。廃屋となった人家が目立ち、かつての田畑は原野になっています。水害や地震災害とは異質な人災・原子力災害は、15年たっても現在進行形の災害なのです。
■マイナスから出発
2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災では、岩手、宮城、福島各県の沿岸部に大津波が押し寄せ、甚大な被害を与えました。さらに大津波によって、福島第1原発の6機の原子炉のうち1号機から4号機まで炉心溶融か水素爆発しました。
今も事故で溶けた核燃料がコンクリートなどと混ざり固まった核燃料デブリが推計880トンあります。試験採取として取り出したデブリは0・88グラムだけです。一昨年、1号機の原子炉を支える台座の損傷が見つかり、さらなる地震で倒壊する危険も不安視されています。廃炉作業は従事者への大きな被ばくリスクを抱え、51年目標の廃炉が見通せないのは明らかです。
政府は来年度からの5年間の復興基本方針に、帰還困難区域への立ち入り規制を緩和する一方で、被ばく管理は個人責任にする内容を盛り込みました。国の責任を放棄する姿勢です。
双葉町の復興責任者は「原発放射能災害はマイナスからの出発です。長期間町に戻れませんでした。お金と人手、時間をかけて部分的に除染しましたが、5049人の双葉町民のなかで帰還した人は93人だけです」と話します。大熊町の責任者も「原子力災害は放射能による土地汚染です。基幹産業だった農業も元に戻らない。大切な医療環境も買い物環境もない」と話します。
■惨事便乗型の復興
両町で見逃せないのは、政府主導で大規模な工場団地造成計画が進んでいることです。「浜通り地域に新たな産業基盤の構築をめざす国家プロジェクト」とされる「福島イノベーション・コースト構想」です。その区域だけ除染し、ロボットやドローンの操縦訓練の基盤や航空宇宙産業などを誘致します。
高線量で帰りたくても帰れない住民の願いを無視する惨事便乗型の復興政策です。政府や原発で利益を得る“原子力村”が「フクシマ復興」を演出し、原発推進にかじを切ることも狙っています。
能登半島地震(24年)では、北陸電力志賀原発で外部電源が一部喪失する重大事態が起き、避難経路も寸断されました。運転停止中だったことが幸いしましたが、地震と原発事故が重なる複合災害はいつでも、どこでも起こりえます。「地震大国に原発いらない」。その運動を全国で広げ高市早苗政権を包囲しましょう。

