2024年の元日に北陸地方を襲った能登半島地震の発生から1日で2年となりました。最大震度7の激しい揺れを観測し、同年9月の奥能登豪雨でも大きな被害が生じた石川県輪島市では、生活と生業(なりわい)の再建に多くの課題が残ります。31日に市内を歩き、被災者の声を聞きました。
日本海からの冷たい風が吹く輪島市の中心市街地では建て替え工事中の住宅がある一方、損壊した壁にブルーシートをかけた建物も目立ちます。地震により輪島市では6280棟を超える家屋が全半壊し、住宅被害は約1万600棟です。
観光客や地元の人たちでにぎわった「朝市通り」の周辺は地震後に発生した火災で多くの建物が焼失し、跡地に雑草が生い茂っていました。現在、都市計画の協議が進められています。
2007年11月に東京から輪島市に帰郷したAさん(68)は、火災で実家が跡形もなくなりました。一緒に住んでいた父親は無事でしたが、何人もの知り合いを亡くしました。
父親は県外の高齢者施設に入り、自身は市内の仮設住宅で暮らしています。
金沢市の近郊と能登半島を結ぶ高規格道路「のと里山海道」の別所岳サービスエリア(SA)で、Aさんは商業施設「奥能登山海市場」の店長を務めています。能登半島の特産品を販売し、地域の観光に欠かせない施設です。
被災した日もSAにいたAさんは、取り残された約140人に食料品などを提供し、たき火をして過ごしました。道路が崩れて救助隊が入れず、孤立状態になったSAから歩いて避難しました。
全焼した自宅を見て「こんなことが現実に起きるのか…」と立ち尽くしたAさん。2年間の心境の変化で「普段の暮らしも美しい景色も当たり前のようで貴重なものだ」と感じるようになりました。
「なじみがある輪島で住み続けたい」と災害公営住宅への入居を希望。休業が続いていたSAの店舗は今月から修繕工事が始まり、5月の再開を目指します。
再開に向けた大きな課題は、役員・従業員6人の雇用です。「国の雇用調整助成金が12月末で終了し、再開までの5カ月分は銀行からの借り入れで資金を確保したい」。券売機の購入だけでも200万~300万円の負担になります。
不安がある中でも「被災当日の夜を過ごした人たちと再会できたら『あのときは大変だったね』と話すつもりです。これからは被災地の復興を応援する役割も担いたい」と前を向きます。

