労働組合が労働者の対話と学び合いで職場や地域に根をおろす運動が新たなステージに立っています。昨年、全労連が開いた労働運動交流集会「レイバー・ユニオン・カレッジ」(レバカレ)で話題になった東京・江東区労連加盟の「地域労組こうとう」を訪問しました。(田代正則)
(写真)地域労組こうとうの人たち=東京都江東区
地域労組こうとうは、2009年結成時の31人から360人へと、約15年で12倍に増えました。25年の年の瀬、総合区民センターで開いた望年会には40人が集まり交流を深めました。
3歳の子どもを連れてきた、保育士の今橋杏子さん(33)。昨年9月の大会で書記長に選出されました。
組合加入のきっかけは、子どもを妊娠・出産してから、保育園側の対応に疑問をもつようになったことでした。子どもが体調不良のため勤務を休みたいと言っても、「誰かに看病を代わってもらえないのか」と疎まれ、昇給を抑えられる差別も受けました。
自分より年長の保育補助パートの同僚に愚痴を言ったところ、「実は私、地域労組に入っているの」と打ち明けられ、「労働組合に入って闘うことができるよ」と教えられました。
職場の共通の不満として、子どもたちのお昼寝のあいだに事務処理をするため休憩が取れないことがあります。今橋さんは自分の問題と職場共通の課題の要求実現を同僚たちに呼びかけ、保育園に組合員4人の分会ができました。
団体交渉で保育園側は当初、経営が苦しいから処遇改善はできないと主張していました。組合側は、政府の打ち出した月額9000円などのケア労働者の賃上げ助成制度を活用して処遇を改善するよう求め、賃上げを実現しました。
今橋さんは、昇給差別分の支払いなども実現。その後、子育て環境などを考え、別の保育園で働くことにしましたが、地域労組には所属し続けることにしました。
書記長就任の要請を受け、「恩返ししよう」と引き受けました。「地域労組こうとうと出合うまで、労働組合で話し合いで解決できることを知りませんでした。このことを多くの人に知らせたい」
事件解決の一歩先へ
賃上げや労働条件向上 挑戦はこれからも
(写真)望年会で交流する地域労組こうとうの人たち=昨年12月19日、東京都江東区
地域労組こうとうは、東京地評が東京全体でつくる地域労組「コミュニティ・ユニオン東京」(CU東京)の支部になっており、CU東京の2割近くを占める規模になっています。
組合員数が100人を超えてからは、労働事件が解決すると組合を退会する人も出てくるため、「下りのエスカレーターを駆け上る」ような努力だと、中村元・江東区労連事務局次長は振り返ります。CU東京の拡大集中期間に別組合からのサポート組合員を募ったり、コロナ禍の休業補償など相談が増加する時期に定着の努力を重ねたりしながら増やしてきました。
多様な職場の組合員が連帯感を持てるよう、浅草や高尾山の散策などレクリエーションも定期的に行っています。交流が楽しみになり、江東区労連の新年旗開きやメーデー集会への参加など、各組合のなかで地域労組こうとうからの参加者が一番多くなりました。
“迎える側”に
事件を解決しても組合に残る人も。派遣で働く組合員は、派遣先の大企業でパソコンを壊したとぬれぎぬを着せられて、1週間で派遣切りに遭いました。組合との団体交渉で、社員がミスをもみ消していたことが分かり、契約期間3カ月分の賃金が全額補償されることになりました。「派遣は弱い立場だと諦めている人が多い。労働組合のことを知らせたい」
有料老人ホームで看護師をしている組合員は、ハラスメントで精神疾患となり、団体交渉で会社責任の傷病だと認めさせ、収入の補償を得ながら療養しています。「退職代行に高額を支払って辞めるより、組合に入った方がお得です」と話します。
15年来の組合員の福田友行さんは、働いていた介護施設の人員体制に問題を感じ、同僚を誘って組合に加入しました。「夜勤の時間帯に見守りセンサーを切っており、入所者の異常に駆けつけられない状況でした。入所者の安全問題を見過ごせなかった」と振り返ります。
施設側が対応を改めない強硬姿勢のため、組合員は別の介護施設に転職しましたが、福田さんは組合を続け、介護職場の仲間などに組合員を増やしています。「ひとつの職場だけで解決できない問題は、政治にも働きかけて変えたい」と強調します。
職場に集まる
職場に複数の組合員が集まる分会は、結成と消滅を繰り返しながら、広げる努力が続いています。昨年末の望年会では6職場の近況が発表されました。
そのなかでも元気なのがビル管理会社のパート労働者、契約社員でつくる分会です。2022年8月、受託先の大型会議施設で清掃をするパート労働者が7人加入してつくりました。
会社はコロナ禍を理由にシフトの日数を削り、流動的だったシフトの曜日担当を固定にしたいと言い、応じなければ雇い止めにすると迫りました。
シフトが流動的なのは理由があります。多くのパート労働者が仕事をかけもちしており、お互いに時間を融通し、相談しながらシフトを組み立てていたのです。シフトを減らされ、固定にされては生活ができないと、シフト相談のまとめ役になっているパートのリーダーが分会の中心になりました。
団体交渉を重ねても、会社がなかなか聞き入れないため、ストライキで闘おうと「ストライキ決行中」の看板をつくりました。そうして臨んだ23年2月の6回目の団交。ついに会社が雇い止めを撤回し、シフト制度を元のままにすると約束しました。
契約社員もパワハラの相談などで組合に加入してくるようになり、10人の分会になりました(1人定年退職で現在9人)。女性労働者がトイレ清掃する際の要求、雇用保険加入、無期転換の申し込みなど次々実現しています。
25年は賃上げにも挑戦。1300円の時給を1500円にするよう要求しました。会社側は清掃受託料が下がって賃上げが難しいと言い、初回回答は30円増でした。分会は粘って、契約内容を明らかにするよう要求し、賃上げ分を転嫁するよう求めました。回答を50円増まで上積みし、1350円になりました。フルタイム換算で月額8000円に相当する賃上げです。今年の春闘で、改めて大幅賃上げしようと意気込んでいます。
ひとつの事件解決で終わらず、仲間を広げて賃上げや労働条件向上へ、歩み続ける労働組合に脱皮しようとしています。

