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2026年1月1日

新春対談 いまこそマルクス

志位和夫議長×マルチェロ・ムスト教授
共通点多く、うれしい驚き

 国際的に著名なマルクス研究者でカナダ・ヨーク大学教授のマルチェロ・ムスト氏を日本共産党本部に迎え、志位和夫議長との新春対談が実現しました。2回のコーヒーブレイクをはさんで4時間に及んだ新春トークで、2人は「いまこそマルクス」を縦横に語り合いました。


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(写真)相手の著作を手にする、マルチェロ・ムスト教授(右)と志位和夫議長=2025年12月23日、党本部

 志位和夫議長 新年、おめでとうございます。

 マルチェロ・ムスト教授 新年、おめでとうございます。

 志位 ムスト教授をわが党本部にお迎えできて本当にうれしいです。日本に来られるのは何度目になりますか。

 ムスト 4回目です。これまでは日本共産党のみなさんとお会いする機会がありませんでしたが、こうやって今回、志位議長に会えて非常に光栄です。

 志位 日本語に翻訳されているあなたの3冊の著作--『マルクス・リバイバル』(地平社、2025年)、『アナザー・マルクス』(堀之内出版、2018年)、『万国の労働者、団結せよ! マルクスと第一インターナショナルの闘い』(大月書店、2023年)を丁寧に拝読しました。

 ムスト ありがとうございます。

 志位 全体を読んで、とくに共産主義論について、私たちの見解ときわめて近いものがあることをうれしい驚きをもって読みました。

 ムスト 共通点が多いとおっしゃいましたが、同じ驚きを私ももっています。議長が送ってくれたテキスト(『Q&A 共産主義と自由』〈「青本」〉、『Q&A いま「資本論」がおもしろい』〈「赤本」〉とその理論的背景をのべた二つの論考=別項=の英訳)を最初から最後まで読みました。いろいろな共通点があるということを非常にうれしく思っています。理論もそうですし、政治的課題についてもそう思いました。私は、たしかに学問の世界にいますけれども、一人の活動家で、しかも戦闘的な活動家でもあります。その意味で、いろいろな共通点があることはうれしいことです。

 志位 あなたは『インターナショナル』の本で、献辞をお母さんにささげられていますね。お母さんがメーデーに連れていってくれて、そのときに赤旗を見たと。

 ムスト 母はイタリアの労働組合の活動家でした。いまでも強い労働組合です。議長は音楽が好きだとうかがっています。マルチェロという名前はプッチーニのオペラのラ・ボエームから来ています。

 志位 画家役で出てくるマルチェロですね。

 ムスト はい。

 志位 かつて西欧最強の党といわれたイタリア共産党が消滅したことは悲しいニュースでした。ただ、一昨年8月、ベルリンのローザ・ルクセンブルク財団主催の国際会議に出たおりに、長くイタリア共産党の国会議員をつとめ、いまはイタリア左翼のルチアーナ・カステリーナさんとお会いすることができました。私たちにとって古くからの友人です。この間の選挙でイタリア左翼が躍進しているのはうれしいことです。

 ムスト ルチアーナさんは私もよく存じあげています。96歳と聞きますが、お元気で、1日2回会議をやるそうです。

 志位 私は、あなたよりはだいぶ年が上ですが、1960年に日本で日米安保条約反対の国民的大闘争が起こりました。私の両親とも日本共産党員で、私は、父の肩車に乗ってデモに参加したことを思い出します。幼稚園児でした。これは私の最初の政治的体験です。私たちは似ているところがありますね。

 志位氏が「青本」「赤本」の英訳とともにムスト氏に贈った二つの論考(英訳)とは、「自由な時間と未来社会論--マルクスの探究の足跡をたどる」(『前衛』2024年9月号)と「労働者階級の成長・発展を主軸にして、社会変革の展望をとらえる 『Q&A「資本論」』(赤本)の理論的背景について」(『月刊学習』2025年11月号)です。

「マルクスは死んだ」という状況から、マルクス復活の時代に

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(写真)志位和夫議長

 志位 ムストさんは著書の中で、「マルクスの真の思想が、今日ほどタイムリーで、尊敬や関心を呼ぶ時代はなかった」、「2008年に発生した恐慌以降、マルクスはブームになっている」とおっしゃっています。私も同じような見方をしています。まず、ムストさんからマルクス・ブームについて、いま主に活動されているアメリカ、ヨーロッパなどで感じておられること、なぜ今マルクス・ブームが起こっているのかということからお話ししていただけませんか。

 ムスト 今日のマルクス復活といわれる注目の前には、マルクス否定の時期がありました。私自身は2002年にイタリアで博士課程を始めるのですが、その時、マルクスに焦点を絞った論文に取り組んでいる博士課程の院生は私の学校では私ただ一人という状況でした。1989年から2008年まで、いわば沈黙の20年がありました。マルクスについての出版物、マルクスの著書の再出版もほとんどない状況が世界で現れました。イタリアでも、フランスでも、ドイツでも、アメリカでもそうでした。みんなが「マルクスは死んだ」と宣言するような状況でした。

 マルクスが復活した理由は何か。明らかに経済の問題です。2008年に経済恐慌が起こりました。これがマルクスの復活を促しました。2008年、イギリスのエリザベス女王がロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)を訪問したさい、教授たち経済専門家に「どうして誰もこの危機を予測できず、防止できなかったのか」と質問したというエピソードがあります。アメリカでも同じです。誰も起きている経済危機の原因を明らかにすることができない。そうしたなかでマルクスに再び関心が集まりました。

 そのころ、私はベルリンで(新しい)『マルクス・エンゲルス全集』(『新メガ(MEGA)』)の編集にかかわっていましたが、ある日、新聞を買いに行ったら、ドイツで一番の保守新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」が1ページ全部を使ってマルクスの論評を掲載したのを覚えています。それは、マルクスが1857年に「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」紙に書いた論評です。2008年に起こっていることとまったく同じことを彼は150年前の経済危機(1857年の恐慌)のさいに論じていたのです。マルクス復活の最大の理由は資本主義、このカオス的で重大な生産様式を理解する必要性だと思います。

世界的なマルクス・ブームは偶然でも、一時のものでもない

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(写真)対談するマルチェロ・ムスト教授(左)と志位和夫議長(右)

 志位 私は、今マルクスが世界的にブームとなりつつあるのは、決して偶然でも、一時のものでもなく、三つぐらいの要因が働いていると考えています。

 第一の要因は、世界の資本主義の矛盾の深まりです。あなたが言われたとおり、2008年に世界恐慌が起こり、その後、貧富の格差が、目のくらむような勢いで広がっています。さらに気候危機が深刻化しています。パリ協定では、産業革命前に比べて地球の平均気温上昇を「1・5度以内」に抑えることが目標ですが、すでに「1・55度」(2024年)になってしまっています。こうした矛盾の根本的な説明ができないし、処方箋も示せない。多くの人々が「資本主義というシステムで人類はやっていけるのか」という疑問を感じ始めています。

 第二の要因として、私は、いわゆる「マルクス・レーニン主義」というまがいものの理論から自由になったということが言えると思います。1930年代以降、スターリンによって、「マルクス・レーニン主義」の名で、マルクス・エンゲルスの理論とは、「似て非なる理論体系」がつくられました。いろいろな特徴がありますが、二つだけあげたい。

 一つは、マルクスの豊かな未来社会論を抹殺してしまったということです。マルクスは、未来社会の「青写真」を描くことは決してしませんでしたが、『資本論』のなかには未来社会の豊かな内容がたくさん現れてきます。「人間の自由」、「人間の発展」、「人間の解放」、これらがキーワードだと思います。ところがスターリンは、それらをすべて切り捨ててしまって、社会主義の理論をソ連の制度の灰色の解説に置き換えてしまいました。ソ連の崩壊とともに「マルクス・レーニン主義」も崩壊しました。

 もう一つは、世界観の歪曲(わいきょく)です。その最悪の転機となったのはスターリンが書いたとされる『弁証法的唯物論と史的唯物論について』(1938年)だと思います。ここでは史的唯物論は「生産力」と「生産関係」などの経済的なカテゴリーの相互関係だけで説明されています。一番悪い形での「経済決定論」(経済が社会の運動を一方的に決定するという立場)が現れています。そこに欠落しているのは、階級闘争こそが社会発展の原動力であるというマルクスの立場です。いまだにマルクスに対して「経済決定論」との批判がされていますが、私はスターリンがつくった死んだ図式をマルクスの責任にして「経済決定論」というレッテルを貼ることほど、大きな間違いはないと思います。

 日本共産党について言いますと、率直に言って、私たちも、第2次世界大戦後の数年間の時期は、「マルクス・レーニン主義」による一定の理論的汚染を免れませんでした。しかし、わが党は、1950年にスターリンと中国によって、武装闘争を押しつける激しい覇権主義的干渉を受け、党の分裂という悲劇を体験し、それを克服する過程で、自主独立の立場を確立しました。相手がソ連であれ中国であれ、どんな大国でも言いなりにならず、日本の革命運動の進路は自身で決めていくという立場です。この立場に立って、私たちは理論的にも、一歩一歩、スターリンによる理論的汚染を一掃し、刷新する努力を重ねてきました。1976年の党大会では、「マルクス・レーニン主義」という用語を規約から削除し、党の理論的基礎を科学的社会主義と規定しました。こういう歴史を持つ党として、1991年にソ連共産党が解体したときに、「覇権主義の巨悪の党の解体として、もろ手をあげて歓迎する」という声明を出したのです。

 さきほどムストさんの話で、91年以降ヨーロッパとアメリカでマルクスの出版物がほとんどなくなった時期があると聞きました。日本でも同じような現象が起こりました。ただ日本共産党自身は、揺らぐことはありませんでした。91年の激変をむしろ肯定的なものとしてとらえ、この時期にも94年、04年の綱領(一部)改定など、理論と路線を発展させてきたのです。

 第三の要因として、私は、1975年から始まり、一時の中断をはさんで、98年に再開され、いまも続いている新しい『マルクス・エンゲルス全集』(『新メガ』)の刊行がもたらしている新しい豊かな知見は、マルクスの今日的復活の重要なファクター(要因)となっていると思います。

 私たちが知り得ているのは『新メガ』のごく一部であり、活用できているのもまだごく一部です。ただ、『新メガ』の第二部門--『資本論』とその準備草稿のすべてを収めた部分が刊行されたことは、私たちに大きな理論的恩恵をもたらしました。とくにその中の『1857~58年の経済学草稿』と、『経済学批判(1861~63年草稿)』などの邦訳が、大月書店から全9巻で刊行され、日本語で読めるようになったことは、重要な出来事となりました。「青本」と「赤本」では、「自由に処分できる時間」の意義をのべていますが、それは『資本論草稿集』を読むなかでつかみだしたものです。

 エンゲルスもおそらくは『資本論草稿集』をじっくり読む余裕はなかったと考えられています。『資本論』第二部と第三部の清書、整理、刊行で手いっぱいでしたから。私たちは『新メガ』のおかげで、エンゲルスよりも有利な条件で『資本論』を読むことができる時代に生きていると思います。

 三つほどの要素を話しましたが、私たちは21世紀の今日、今こそ『資本論』の生命力が一番花開く時期に、生きていると言っていいのではないかと思います。

古いスターリン主義とともに、新しいマルクス攻撃とたたかう

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(写真)マルチェロ・ムスト氏の略歴 1976年イタリア生まれ。現在、カナダのヨーク大学教授(社会学理論)。マルクス復権、マルクス主義研究に大きな貢献をしてきた研究者の一人として世界的に知られる。世界25言語で15以上の著書を出版し、邦訳は『マルクス・リバイバル キーワードと新解釈』(地平社)、『万国の労働者、団結せよ! マルクスと第一インターナショナルの闘い』(大月書店)、『アナザー・マルクス』(堀之内出版)の3冊。社会主義思想、労働運動史、新しい社会経済システムなども研究。

 ムスト 議長は、たくさんの重要なことをおっしゃいました。あなたは、スターリン主義への批判をのべ、マルクスが「経済決定論」だとの批判があたらないという点について、完璧にまとめられました。

 今、北米で新しい問題が出てきています。2008年以降、マルクスやマルクス主義に対し、新しい非難が出ており、世界の傾向に影響を与えています。議長は、かつてからあるマルクス非難、すなわちスターリン主義や「経済決定論」についてのべました。私たちはそれに勝利し、乗り越えてきたと思います。

 多くの進歩的あるいはリベラルな学者・研究者からのマルクス主義への新しい攻撃は、マルクスの理論が労働者と資本の問題ばかりを扱い、その有用性はヨーロッパに限定されており、男性、それも工場労働者ばかりに焦点を当てたものだ、というものです。これでマルクスを再び脇に追いやってしまおうというものです。

 左翼のなかにも、経済的な平等のことだけで、自由の問題に触れない傾向があります。これは非常によくない。同時に、個人的自由の問題ばかりを優先する新しい理論があります。この立場は、階級闘争や社会正義を語りません。われわれの仕事はこの中間にあり、かつ、とても困難です。

 私たちは、もちろん階級闘争をたたかっており、社会正義を追求しなければなりませんが、それは同時に、個人の権利、個人の自由なしにはありえません。この点を政治的にも文化的にも推進していく必要があります。私たちの対話は、私たちの長く続く友好のなかで、今回始まったばかりですけれども、これからは、私がこの点で取り組んでいることを毎年お伝えしたいと思っています。

 それは何かというと、社会主義の深さ、幅広さを明らかにするということです。私の著書『アナザー・マルクス』は、最後の部分で晩年のマルクスを扱っています。これはとても重要です。晩年の彼は世界の周辺地域について考え、移民、ジェンダー、環境といったカテゴリーについて語っているのです。私の研究のもう一つのポイントは、戦争です。戦争に反対することがいかに、社会主義運動の中核的で根本的要素であるのかということです。

 私たちは古いスターリン主義とたたかうだけでなく、北米由来の新しい攻撃、マルクス主義はヨーロッパの男性労働者だけに焦点を当てた経済主義にすぎないという北米リベラルからの新しいマルクス主義攻撃ともたたかわなければなりません。

自主独立は、政党としての生存権であり、その存亡を左右する

 ムスト 議長が示された二つ目の問題についての質問があります。たいへんに興味深い説明をうかがいました。いかにイデオロギー的課題が政治的に政党にとって根本的重要性を持つかという点です。マルクス主義における自主独立を確立していたので、1991年(のソ連崩壊)後も対処できたということでした。その意味で、この自主独立性は、政党としての生存権だと思うのです。

 志位 生存権、つまり政党としての存亡を左右するものということですね。ムストさんの言葉は本質をついています。1950年にスターリンと中国による干渉があったことをお話ししました。私たちは、干渉による分裂を解決して、1958年の第7回党大会で統一を回復しました。この時に自主独立の立場を確立しました。

 その後、ソ連と中国の双方から激しい干渉を受けました。最初の干渉はソ連からのもので、1963年から64年にかけてフルシチョフが開始したものです。「ソ連外交の応援団になれ」という干渉でした。わが党は、断固拒否しました。さらに、1966年、中国・毛沢東派から、「中国型の武装闘争を日本でも採用しろ」という乱暴な干渉が行われました。私たちはこれも断固拒否しました。これらのたたかいは、まさに党の「生存権」--存亡をかけたたたかいでした。

 私たちはこういう経験を経て、一体、ソ連や中国は「社会主義」を名乗っているけれども、本当の社会主義と言えるのかという根本的疑問を抱くようになりました。そして、旧来の理論をマルクス・エンゲルスに立ち返って再検討する、刷新の努力を始めました。1976年の大会で「マルクス・レーニン主義」を削除したのは、そういう流れのなかでの判断でした。この点では、日本はヨーロッパとは違った経験をしています。

 ソ連との関係は、最終的にソ連に干渉の誤りを認めさせました。最後まで論争は続きましたが、ソ連崩壊で終わりました。中国との関係は、98年に中国が干渉の誤りを文書で認めました。

 そういう体験を経て、マルクス・エンゲルスの原点に立ち返り、それを今日的に発展させる理論活動を、党として独自に行ってきたというのが経過です。

ソ連崩壊と、その後の世界の情勢の展開について

 ムスト 日本共産党の党史を研究しました。ソ連や中国からの干渉という点では他の共産党、たとえばインド共産党(マルクス主義)=CPIMもそういう歴史を持っています。いま議長から、直々に党の歴史を紹介していただき、感謝します。

 続きの質問ですが、議長のお話が私にとってたいへん興味深いのは、日本共産党の自主独立性、あるいは私の言葉では政党としての生存権の確立がいかに重要かという点です。欧州との違いということに触れられましたけれども、欧州の場合、二つの重要なことが起きました。一つは1956年、もう一つは68年です。二つの重要な問題がありました。56年のソ連のハンガリー介入の時は、どの共産党も批判しなかった。68年のチェコスロバキアへの介入時には批判した党もあり、容認した党もありました。

 私が聞きたいのは、私たちは共産主義の諸党の複雑な経験というものをどういうふうに見るべきなのか、その終焉(しゅうえん)を支持すべきなのか、あるいはそれを守り、改革すべきなのか。これは私にとって非常に本質的な問題です。議長は、91年のソ連共産党の解体を、抑圧体制の解体として歓迎したと言われました。私も全面的に賛成です。しかし、いま、成熟した活動家として考えるのですが、この古い社会主義の経験、これは決して良い経験ではありませんでしたが、しかし、それが終わった後、政治状況はさらに悪化したという状況もあります。

 二つの例をあげます。一つは、私たちもよく知っているインド西ベンガル州です。34年間、インド共産党(マルクス主義)=CPIMの統治が続きましたが、その後、左翼政権が終焉し、ひどい勢力が権力を握りました。

 いま一つは、ベネズエラです。たしかに、(現状は)個人の自由、われわれが共有している価値観の点でひどい事態があります。けれども、私は本当に心の底から真剣にお尋ねしているのですが、どうするのが正しい方針なのか、偽の社会主義の経験の終焉を歓迎するのか、あるいは、その内部的な改革を希望するのか、なぜなら、その経験が終わってしまうと、その際は悲惨な状況となるということがあるためです。

 志位 そのご質問にお答えするには、崩壊したソ連の旧体制の本質をさらにお話ししなければなりません。私たちは、レーニンが初期の時期に行ったいくつかの施策は世界史的にも評価されるべきだと考えています。民族自決権を世界にさきがけて宣言し、実行したこと。新経済政策(ネップ)という経済政策を晩年に提唱し、実行したことなどです。「市場経済を通じて社会主義へ」という道は合理性を持った道でした。

 それがスターリンによって断ち切られた。決定的転機となったのは、1929年に始まる強制的な農業集団化でした。大量弾圧という事態が引き起こされました。対外的にはヒトラーとの同盟(1939年の独ソ不可侵条約と秘密議定書)に見られるような覇権主義がむき出しになりました。

 私たちは、崩壊したソ連の旧体制というのは、社会主義とは無縁の専制主義、覇権主義を特徴とし、政治的上部構造はもとより、経済体制でも社会主義とは無縁の社会だったとの結論を、1994年の党大会で確認しました。そこには国有化はあった。集団化はあった。しかし生産者は主人公どころか、奴隷のように抑圧された存在でした。マルクスは『資本論』で、社会主義・共産主義を、「自由な人々の連合体(アソシエーション)」と特徴づけていますが、それとは無縁の社会に堕落したのです。この社会の堕落の深さは内部的な改革で打開できるようなものではありませんでした。

 わが党が、ソ連共産党解体にさいして、歓迎声明を出したのは、決して強がりではなくて、「社会主義」を名乗るまがいものがなくなったことは、一時的には失望や逆行を生むとしても、大局的に見れば世界にとって巨大な進歩につながると、自身の体験をつうじて心の底から実感したからでした。

 実際、それから30年余たって、いまマルクス・ブームが起こっている。これも「社会主義」を名乗るまがいものがなくなり、世界の理論と運動が自由になったことの、一つの結果ではないでしょうか。

 インドの西ベンガル州の左翼政権についてご質問がありました。私は、2001年に西ベンガル州を訪問し、ブダデブ・バタチャリア首相(当時)と会談しました。その後の西ベンガルの左翼政権の敗北について、日本共産党としてその要因を言うのはなかなか難しいことです。ただ、2001年の訪問時に西ベンガルの左翼政権の取っていた施策は、合理性があり、人民の立場に立ったものだと、非常に強い共感を覚えたことを思い出します。インド共産党(マルクス主義)=CPIMは、いまでも3000万人をこえる人口を擁するケララ州では左翼政権を維持しています。私は、この党の歴史を調べて、特に強い敬意を持ったのは、この党もソ連と中国の両方から激しい干渉を受け、多くの犠牲を出しながらそれを打ち破った経験を持っているということです。革命運動は、相手の攻撃もあり、ジグザグがつきものです。ぜひ新しい情勢のもとで、困難をのりこえて発展を勝ち取ってほしいと願っています。

 ベネズエラについて言いますと、チャベス大統領が初期に取った政策は、対米自立の国をめざすなど合理的な方向と評価をしました。ただ、マドゥロ氏に対しては強い批判を持っています。民主主義を否定する強権政治は、国際的支持は得られないし、ベネズエラの前途も開けません。もちろんアメリカの武力行使や軍事介入には断固反対です。

 ただ、ラテンアメリカ全体を大局的に見ますと、個々の国の政権の立場はいろいろですが、中南米・カリブ諸国共同体(CELAC)という、この地域のすべての国ぐにを包摂した地域の平和協力の流れが生まれ、非核地帯条約が結ばれていることは重要です。さらに進んだ流れは、東南アジアにあります。ASEAN(東南アジア諸国連合)が中心になって平和の共同体を形成し、この地域も非核地帯条約を締結しています。大きく言って、東南アジア、ラテンアメリカ、アフリカ、この三つの大陸が非核兵器の大陸になっていること、核兵器禁止条約の多くの参加国がこの三つの大陸から出ていることは、大きな希望ではないでしょうか。

 世界には、いろいろな逆流やジグザグもありますけども、大局的に見ると、平和の本流が広がっていることが間違いなくいえます。これらも、大局的には、ソ連崩壊がもたらした肯定的変化の一つの結果といえるのではないでしょうか。ソ連崩壊によって、世界は、平和、運動、理論、さまざまな面で大局的には自由になったというのが、私たちの実感なのです。

 ムスト ベネズエラについて、ご意見に同意します。ただ、問題はたいへん深刻です。今日のベネズエラの否定面は、「自由なき社会主義」によって、若い世代が社会主義から離れていってしまっているということです。チャベスは重要な指導者だったと思います。しかし、現在の政治状況は非常に異なります。マドゥロ氏は、若い人たちには、革命的考えをもつ社会主義指導者とはみられていないのです。今日ではアルゼンチンでもチリでも、若い人たちは、ベネズエラのために社会主義を拒否し、右に行ってしまっています。多くのベネズエラからの移民が他の国に出ていき、彼らはそこで反共産主義になってしまうのです。このように、ベネズエラが非常に否定的な影響を中南米に及ぼしているという複雑な状況があります。自由がないところで社会主義を論じるのは難しいと思うのです。これが私の質問です。

 志位 まったくその通りです。後のテーマになりますけども、私は、社会主義・共産主義の最も重要なキーワードは「人間の自由」だと考えています。自由が抑圧された社会というのは、いかなる意味でも、社会主義・共産主義と呼ぶことはできません。この「青本」--『Q&A 共産主義と自由』をまとめたのも、共産主義というと自由のない社会という誤解が、日本にも広くあるからです。それは根本から違う、「人間の自由」、「人間の解放」こそ、共産主義だということを伝えたかったのです。

マルクスの理論の発展をどのようにとらえるか

 ムスト 長年の研究に基づき、私は、一つの論考を書きました。そこで私が論じたのは、カール・マルクスは、政治的、哲学的、経済的思想の大家であるが、『新メガ』による新しい知見によって明らかになってきたのは、最後の30年間に非常に大きな変化があったということです。

 志位 あなたは、30年間のどこに一番大きな変化を見いだしていますか。

 ムスト 文献的にいうとまず、マルクスの初期の重要著作では、『1844年の経済学・哲学草稿』、『ドイツ・イデオロギー』(1845~46年)があります。不完全かつ断片的なものではありますが、オープンな形で出版されています。そして議長が指摘された『資本論』をはじめとする経済的著作、『資本論』の準備草稿をはじめとする諸草稿です。さらにマルクスのノートブックです。これは新しいトピックです。これによってマルクスのより幅広い、より明確な像を得ることができました。

 同時に、この発見からなにか新しいドラマをつくろうとするような学者の話には私は同意しません。たとえば、ほらこれが新しいマルクスのページだ、これこそがマルクスであり、かつてのマルクス像はまちがいだといった調子のものです。こうした調子で「知られていないマルクス」を論じることはできません。最後の「知られていないマルクス」で重要なものは人類学の手稿でした。「知られていないマルクス」=『経済学批判要綱』、「知られていないマルクス」=「初期マルクス」、そんな調子の主張がありますが、マルクスのノートブックは、こうした「知られていないマルクス」ではありません。これは、マルクスの理解を助ける新しい素材なのです。

 志位 あなたの意見に同意します。マルクスが、あれこれのきっかけで全く違った思想家になってしまったという議論に、私も同意できません。とはいえ、彼の思想と理論は、つねに発展のなかにあり、そのプロセスを捉えることは大切だと思います。

 たとえば、これは不破哲三前議長が突っ込んで研究して明らかにしたものですが、恐慌論の発展があります。ある時期までは、マルクス、エンゲルスは、「恐慌が起これば、それに引き続いて必ず革命が起こる」という、「恐慌=革命」論に立っていました。1850年代、二人は、恐慌を待ちわびており、あなたの『アナザー・マルクス』でも詳しく紹介されているように、恐慌の兆候が少しでもあるとウキウキして手紙をやりとりしていました。こうした革命論から導かれる革命勢力の任務は、「いざ恐慌が起こったときに、続いて起こる革命をどうやって成功させるかに備える」ことにありました。

 しかし、1857年、待望の恐慌が起こったが革命は起こらなかった。この事実をふまえて、マルクスは、恐慌はどういう運動メカニズムによって起こるのかという探究をしていきます。その答えは、『新メガ』の第二部門に収められている『資本論』第二部第一草稿のなかに書き込まれていました。資本の流通過程に商人資本が介在することで、「架空の需要」がつくりだされ、バブルが起こり、恐慌が起こる。こういう運動メカニズムを、1865年にマルクスは明らかにしていきます。

 この探究から導かれた結論は、恐慌は、資本主義が「没落」過程に入ったことの表れではなく、資本主義に特有の産業循環の一局面にすぎず、資本主義はそうした循環を繰り返しながら発展をとげてゆくものだということでした。

 そこが分かってくると、革命運動の任務が大きく変わってきます。「恐慌を待ち、いざという時に備える」ではなくて、日常的に粘り強く労働者階級の多数を獲得して、革命を根本的に準備することに、革命運動の任務が変わってきます。

 私は、そういう立場で最初に書かれた作品が、マルクスの『資本論』の第一部完成稿(1866~67年執筆)だと考えています。資本主義の発展のなかで、新しい社会の客観的な諸条件がつくられてくる。同時に、資本主義の矛盾の拡大とともに、「訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する」。そして、「資本主義的私的所有の弔いの鐘が鳴る」。そういう資本主義の「没落」論が、第一部完成稿で初めて書かれました。

 そこには、1859年にマルクスが書いた『経済学批判の序言』での史的唯物論の定式と比べても発展があります。もちろん、あなたが著書のなかで正当に指摘しているように、この『序言』も「経済決定論」として読むべきではありません。そこには経済的土台と法的・政治的な上部構造との相互作用のなかで、最終的に経済的土台が「制約」する―「決定」ではなく―というダイナミックな社会発展論がのべられています。ただ『序言』では、革命的階級の主体の問題が視野の外に置かれており、革命的階級が歴史の表舞台に登場してくるのは、経済的矛盾の発展とともに「社会革命の時期」が始まって以降のことだという想定になっています。そこには、マルクスが「恐慌=革命」論から脱しえていなかった一つの限界が表れていると思います。

 私は、マルクスがこの限界を突破し、史的唯物論をさらに発展させたのが、『資本論』の第一部完成稿だと思います。そうしたマルクスがかちとった大きな理論的発展のなかに、彼の理論と行動のもろもろの発展を位置づけてみると、はっきりとその意義が見えてくるのではないでしょうか。

コーヒーブレイク1

理論と実践の両面を統一して進めることの重要性

 志位 ここまでのところ、私自身の感想としては、たいへん刺激的で、私にとってもたくさんの有益な示唆を得ることができる対談が進んでいると感じています。

 ムスト 私は実際、驚きました。私は世界のたくさんの共産党や労働組合の多くを訪問していますけれども、それらの中では、どんな政治的運動をつくっていくかが大きな課題になっています。現在は、かつてと同様に、理論の重要性があります。そして、かつての政治指導者は理論の人でもあり、理論と実践の両面をよく理解していた。ですから、これらの文献(「青本」「赤本」とその関連文献)を読んで、たいへんうれしく思い、また、自分の家にいるように(アットホームに)感じました。(世界の他の)共産党の理論には一定の伝統性がありますが、多くはドグマ(教条)の宣言だったりするのですが、これ(「青本」「赤本」とその関連文献)には、はっきりとした政治的な導きがあります。これこそがもっとも重要なことです。

 志位 そうした評価をいただけたのは本当にうれしいことです。

社会発展にとって、政党の役割をどう考えるか

 志位 次のテーマに話を進めていきたいと思います。『資本論』が21世紀にどう生きているかという、大きなテーマを議論できたらと思います。

 ムストさんは、『マルクス・リバイバル』の中で、マルクスが環境、移民、ジェンダーなど現代の多くの政治的アジェンダ(課題)について深く立ち入って論じていたということをのべておられます。同時に、あなたは、さきほどのご発言の中で、今、北米で新しい問題を起こっていると、三つの点を指摘されました。「マルクスの理論が労働者と資本の問題ばかりを扱い」、「その有用性はヨーロッパに限定されており」、「男性、それも工場労働者ばかりに焦点を当てたものだ」、というマルクス批判です。私も、これらはどれも成り立たない批判だと考えます。

 ムスト 私の心配は、この種の理論が、ゆっくりと左派諸党に浸透しているということです。急進左翼にさえもです。非常に複雑な事態が進んでいると思います。簡単に言うと、人種差別は黒人の言う話、女性への暴力は女が言う話、同性愛や差別はゲイが言う話、といった具合です。これは、社会をむしろ分断する流れであり、問題を解決するのに役立ちません。お話を聞いて、重要なポイントだと思ったのは、それは北米の強いヘゲモニーという問題です。旧来の伝統的なマルクス主義の観点が、たとえば、フランス、イタリア、ドイツ、あるいはラテンアメリカでは弱い。たとえばドイツでは大学でマルクス主義者の教授がいないということも起こる。そういう中で、米国でバーニー・サンダース氏、あるいはDSA(アメリカ民主的社会主義)のような政治運動がおこる。人々はそれをみて、それが社会主義だと思うわけです。しかし、社会主義、マルクス主義は、サンダース氏のような穏健的な考えと比べて、もっと豊かな伝統を持っているのです。

 志位 アメリカの話が出たので、私たちの注目点を話します。米国・イリノイ大学教授のアンドリュー・ハートマン氏が書いた『カール・マルクス・イン・アメリカ』(2025年)という本を読みました。彼はこのなかで、「私たちは第4次マルクス・ブームを生きている」と書いています。1回目は「金ぴか時代」と呼ばれ急速な経済成長が起こった19世紀後半、2回目は「大恐慌」が起こった1930年代、3回目はベトナム反戦運動が起こった60年代、そして4回目が2008年のリーマン・ショックに始まる今の時期だというのです。ハートマン氏の発言で強い印象に残ったのは、なぜマルクスが19世紀、20世紀、21世紀にわたって、いろいろな攻撃の波がありながらも、アメリカに受容され続けたのかについて、「人間の自由を説いたからだ」とのべていることです。

 もう一つ、アメリカで注目しているのは、いま言われたDSAの運動です。ニューヨーク市長選でのゾーラン・マムダニ氏の勝利は、素晴らしい歴史的勝利だと思います。私たちが注目しているのは、DSAの中で『資本論』の学習運動が始まっているということです。「しんぶん赤旗」特派員の報告では、学習運動は全国レベルと地域レベルでやっているようです。帝国の心臓部でもこういう大激変が起こっているのだから、日本も負けないでマルクスを読むムーブメントを起こそうということを呼びかけているんです。

 ムスト 今紹介された動きは大変心強い動きですし、プリンストン大学の私の友人は新しい英語版『資本論』の出版にも関わりました。私は、『ジャコバン』というDSAと非常に関係の深い雑誌にも執筆しています。

 ただ、いま私の関心は、潜在的により複雑な側面にあります。現在の政治状況のなかで、政党そのものへの批判があります。私にとって政治組織は重要です。政党、労働組合、社会運動としての政治組織を守り、将来のためにそれを再考してみる必要があります。こういう人々は、政治組織というものの理解に至っていない。たとえば日本共産党のような政党というものの理解に至っていない。彼らは、政党は民主的でないという。スターリニズムや政治的抑圧を批判することはもっともですが、すべての政党が悪だと主張するのは、また別の問題です。

 志位 その通りです。

 ムスト 彼らは、いわばすべての猫は黒だというわけですが、それは猫を夜にしかみていない、昼間にみていないからです。これは若い世代にとって危険なことです。なぜなら、若者たちはいま、政党には自由がない、民主主義とはオンライン参加なのだと言うようになっているからです。反政党の運動はほぼすべての国にあるといっていいでしょう。欧州でも同じような傾向があります。

 なぜ政党組織がきわめて重要なのか。それは、ジェンダー、人種差別反対、マイノリティー差別反対、こういうことはすべて孤立してあるのではなく、すべてこうしたものを総合していく、これができるのが政党なのです。しかし、そういう組織がない国では、あるのはせいぜいセクト的な闘争であり、みんなが秩序に反対だといい、街頭での差別反対デモにも参加しないということになりかねません。

 志位 そういう懸念はよく理解します。ただ、一昨年、ヨーロッパの各地を訪問して、たとえばベルギー労働党などはしっかりとした政党組織をつくり、発展させることに力を注いでいます。ドイツの左翼党にしても、いろいろな困難を乗り越えて、この間、新たに7万人の新しい党員を迎え、それを力に躍進を勝ち取る変化もつくっています。そしてアメリカのDSAですが、DSAは政党組織には至っていないと思います。ただ、この前のニューヨーク市長選挙の戦い方を見ても、単にオンラインだけではなくて、かなり大規模な全戸訪問を、ボランティアを大規模に組織してやっています。私が、注目したのは、DSAがベルギー労働党を成功例の一つとして研究しているということです。日本共産党にもコンタクトを求めてきています。いい関係をつくりたいと思っています。DSAは今、模索の状態ではないでしょうか。

 日本共産党は、労働者と国民の多数を結集して、社会変革を実現するためには、綱領と世界観で団結し、民主主義と行動の統一を重視して、党組織をうまずたゆまず強化することが不可欠だと考え、そのために日夜力をつくしています。もちろん、私たちのこうした政党論を各国の運動に押しつけることはしません。私たちがやるべきことは、各国で起こっているいろいろな前向きの要素をよく見つけて、よく学び、一致点での連帯を強めることにあると考えています。

 ムスト 私の考えは、運動はたいへんに重要だけれども、それだけを過大評価してはならない、制約もあるということです。『カール・マルクス・イン・アメリカ』でハートマン氏が明らかにしていますけど、マルクス自身が、残念ながら米国における労働運動の制限は、アメリカ人の労働者を獲得することができないことだと述べています。常に、ドイツ系移民、ハンガリー系移民、アイルランド系移民で、それぞれがそれぞれの新聞を持っているのですが、統合することはできなかった。残念ながら、そういう困難が今もアメリカには存在すると思います。もちろん、あなたがおっしゃった諸点は、私も理解し、共有します。

 志位 運動だけでなく、政党をつくることの重要性は、まったくおっしゃる通りです。

マルクスを読むムーブメントでインタナショナルな協力を

 志位 日本のことについて話しますと、私たちは、「青本」と「赤本」をまとめ、マルクスを読むムーブメントを日本でもつくろうと呼びかけ、いろいろな取り組みをやってきました。私は、人気のあるネット番組にもいくつか出演して、「赤本」を中心に話をしました。斎藤幸平東大准教授とも対談しました。彼とは意見の違いがだいぶあります。しかし、いい対談になり、協力して日本でもマルクスを読むムーブメントをつくっていこうということで一致しました。一連のネット番組の再生回数は合わせると70万ぐらいになっています。そして、書き込みのコメントがたいへんに面白いのです。「共産党支持ではなかったけれど、『資本論』は勉強しなければならない本だとよくわかった」、「共産主義のイメージが変わった」というコメントがかなりたくさんあります。70万というのは第一歩ですけれども、これが100万、200万という単位に広がっていけば、日本の世論も変わっていく可能性があると思っています。

 日本というのは、かなり反共主義の思想的風土の強い国です。そういう国でも、そしてこれまで私たちの手が届かなかった人たちの中でも、『資本論』という話題を提供しますと、現代を生きていくうえで避けて通ることのできない大事な書物だということは、かなり広いコンセンサスをつくり得るのではないかと思っています。

 マルクスはもともとインタナショナル、つまり世界のどこでも通用する人物です。マルクスを読むムーブメントをインタナショナルで起こしていくために協力ができたらと願っています。

 ムスト もちろんです。おっしゃったことに同意しますし、その重要性を理解します。議長も私も書いていることですが、資本主義はマルクスの時代よりもいっそう広がっており、それによってマルクスの『資本論』の重要性は、いま、マルクスの時代よりも強まっていると思います。資本主義はたんに地理的に拡大しているだけでなく、ヘーゲルなら量的にばかりでなく質的に拡大しているというでしょうが、つまり資本主義はわれわれの生活の全領域に入ってきているわけです。

 これはマルクスに可能性を開くのはもちろんですが、一方で難しさもあります。それは、かつて(体制に)批判的だった世代が、いまは非常に資本主義のメンタリティー(考え)に染まっているからです。欧州やラテンアメリカの労働者階級は、米国流の考え方をしており、個人主義、個人の個人に対する競争といった考え方です。若い人たちは、かつての世代と異なり、社会思想としての革命思想にオープンとはいえません。どちらかというと、リッチになること、自分の生活の問題を唯一の問題として関心を集中させています。これが、新しいマルクス復活を実現しようと思えば、私たちが直面する課題だと思います。パラドックス(逆説)的になりますが、私たちがより大きな余地をもてば、困難も同時に大きくなり、そしてその困難は、政治組織が弱いということで一層困難になるという関係があります。

21世紀の『資本論』の可能性--搾取、教育、ジェンダー、環境

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(写真)マルチェロ・ムスト教授(右)に党本部の屋上庭園を案内する志位和夫議長(左)

 志位 ムストさんの問題意識はよくわかります。同じ困難を私たちも感じています。だからこそ政治組織を思想的にも政治的にも組織的にも強める必要がありますね。

 そのうえで『資本論』の可能性にかかわって二つのことを言いたいと思います。一つはやはり資本主義的搾取の問題です。これは『資本論』第一部の中心課題ですが、「赤本」の学習運動の中で一番強い反応が出てくるのは、搾取の問題なのです。

 「赤本」の中で、搾取をどうわかりやすく話すかということで、こういうグラフを提供しました(「赤本」59ページ)。日本の研究者の試算ですけれども、全産業平均で、8時間労働に換算して、必要労働時間が3時間42分、剰余労働時間が4時間18分となっています。これをパネルにして、あなたが生活するのに必要な物をつくる労働時間はたったの3時間42分で、本来ならあとは「自由な時間」なんです、搾取によって奪われているのは「お金」だけじゃない、「自由な時間」を奪われている、こういうことを訴えます。ここに強い共感が寄せられます。私は、資本主義的搾取という問題を、労働者階級の自覚にするということは、この社会を変える土台中の土台だと考えています。

 こういううれしい話も最近ありました。『資本論』第一部の「第8章 労働日」を読むと、当時のイギリスで労働時間の「ちょろまかし」がやられていたという告発がありますね。食事時間や休憩時間を削り取って働かせていた。そのことを、「赤本」で紹介しました。そうしたところ、サービス業で働く女性労働者が、「赤本」を読んで、「私の職場でもまさに『ちょろまかし』がやられている」となった。彼女の職場ではお昼ごはんの時間が全くなかったんです。隙を見つけて昼食をかきこむという毎日でした。こんなひどい搾取は許せないと、彼女はたった一人で勇気をふるって使用者と交渉をやったんです。足が震えたそうです。しかし30分の昼食時間を勝ち取ったということでした。

 私は、労働者階級に搾取の真実を伝えることは、労働者階級の自覚・成長・発展の土台になると強く感じます。そうした努力を私たちはやっていきたい。

 いま一つは、ムストさんがおっしゃったジェンダー、人種差別、環境などの問題についても『資本論』が理論的射程にとらえていることを語っていくということです。『資本論』第一部の「第13章 機械と大工業」は非常に興味深い章です。機械制大工業が発展するなかで、労働者がどんなにひどい目に遭わされているかを告発すると同時に、未来社会の萌芽(ほうが)や要素が生まれてくるということをいろいろな角度から明らかにしています。

 たとえば、工場法の中に教育条項が書き込まれることによって、「未来の教育の萌芽が芽ばえた」とのべ、未来の教育の任務は「全面的に発達した人間をつくる」ことにあるということをのべています。大工業が、「古い家族制度」を解体して、男女平等の経済的基礎をつくりだすという叙述があります。環境問題についての先駆的な解明もあります。

 民族差別にかかわって、『資本論』の第一部の「第23章 資本主義的蓄積の一般的法則」の最後に、アイルランドについてのまとまった叙述があります。マルクスはアイルランドの悲惨な状況を分析して、この事態から抜け出すにはアイルランドの独立が必要であり、それはイギリスの社会革命に先行して取り組むべき課題だということを明らかにしていきました。また、人種差別にかかわって「第8章 労働日」の中には、北アメリカの奴隷制の問題についての重要な叙述があります。「奴隷制の死」が、ニューイングランドからカリフォルニアまで「8時間(労働制を求める)運動」を一挙に広げたという叙述です。民族自決権の徹底した擁護、奴隷制に対する断固たる批判、排外主義を克服する重要性をマルクスが語ったことは、どれもが21世紀に生きる先駆的なものです。

 さきほどムストさんは、「『資本論』の重要性は、いま、マルクスの時代よりも強まっている」とおっしゃいました。私もまさにそのように考えています。

 ムスト 今言われたことはたいへん重要であり、同時に、希望を持たせるものでもあります。私の政治的関与の活動として同じような経験があります。議長が今紹介してくれた女性の労働者の例と非常に似たことを経験しました。イタリアでの労働組合でのことですけど、国中の労働組合から200人のリーダーが集まってきて、そこで私がレクチャーすることがありました。私がそこで、マルクスは平等な賃金を要求すると言っているだけではないんですと言うと、みんな驚きます。マルクスは賃労働の廃止を支持したのです。そうすると、あとになって、組合の指導者の人たちが私に、いまの労働運動には正しくないことがある、なぜなら、われわれは社会主義のためにたたかっているのではなく、資本主義のため、つまり不正義のためにたたかっていることになるからだというのです。そして、私に、もっと挑発的な形で、そこのところをしっかり教えてほしい、なぜなら、われわれは階級意識という点で遅れていると。このように労働組合主義者でさえ、「赤本」でいう4時間18分(剰余労働時間)の意味を理解しているのです。

 志位 あなたの本でも紹介されているように、マルクスはインタナショナルの会合で、労働者階級は、自らの状態の改善のための日常闘争にとりくむとともに、それにとどまらず「賃金制度の廃止!」という「革命的なスローガン」をその旗に書きしるそうと呼びかけています。そうした階級的自覚をどうつくりあげるかはわれわれの仕事です。

 ムスト たいへん難しい仕事です。しかし、いま議長が私の『万国の労働者、団結せよ!』から引用されたことは、本当にうれしく思います。この本は、第一インタナショナルに関する初のアンソロジーです。

 志位 とても良い仕事をされましたね。

 ムスト 世に一部のところで信じられているのは、マルクスは神であって、インタナショナルにはマルクスの思想を慕う数百万の労働者がいたと。それは大きな間違いです。第一インタナショナルの加盟者数は実際には非常に少ない。非熟練労働者の問題を抱え、大工場の労働者への関与では困難に直面し、また、アイルランド系労働者、イギリス系労働者、ドイツ系労働者の間のあつれきもありました。

 もし、古い「マルクス・レーニン主義」の教条どおりに信じるなら、人は、ああ、当時は階級闘争を展開することは容易で、しかし、いまのわれわれには難しいと思うかもしれません。しかし、それは間違っている。マルクス自身も当時、困難に当面していた。階級闘争とは常に難しいわけです。この点では現在は、第二インタナショナル当時と違って政治組織の少なさという点で、また、労働者が分断させられているという点で、第一インタナショナル当時と類似性があると思います。

 志位 私も近い見方をしています。マルクスが第一インタナショナルに取り組んだ時期というのは、労働者運動はいわば「星雲状態」だったと思います。インタナショナルの執行委員会の中でもマルクス派はごく少数でした。そういう「星雲状態」の中でよくあれだけの運動をまとめあげていったと思います。マルクスの書いたインタナショナルの『創立宣言』を読んでも、その前半はイギリス政府の報告書などを引用して、労働者の状態についての告発をやっています。誰も否定できない事実から入って、最後は、世界の労働者が団結してこの社会を変えようという結論に到達するような見事な文章です。「星雲状態」だった運動を、マルクスの努力によって一つの方向性に全体をまとめ上げ導いていった。その努力は大変なものだったと思います。

 私は、今の世界の運動の状況も似たところがあると思っています。ソ連崩壊と同時に「マルクス・レーニン主義」も崩壊しました。それではそれに代わって、どういう理論が社会発展の指針となる理論になるのか。マルクスへの注目は確かにあります。ブームと言って良いと思います。ただブームと言っても、マルクスが行った資本主義批判への注目というところに、まだとどまっていることが多いのではないでしょうか。マルクスが資本主義の先に、どういう未来社会を構想したのかということについては、運動の側にはまだコンセンサスがあるとはいえない、つまり「星雲状態」ではないでしょうか。このことを、今日に響く言葉で明らかにし、前向きのコンセンサスをつくっていくことは、大きな課題となっていると思います。

コーヒーブレイク2

共産主義論での一致--「古くからの友人が初めてここで出会った」

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(写真)赤旗編集局を訪問。「『赤旗』は、世界的にも最も古い共産党の新聞の一つです。みなさんとお会いできて光栄です」とあいさつするマルチェロ・ムスト教授(右から2人目)。案内する志位議長(その左)、小木曽編集局長(左端)

 志位 いよいよ最後のテーマです。共産主義の問題について意見交換ができたらと思います。私は、ムストさんの『マルクス・リバイバル』に収められた論文を読んで、共産主義論で、私たちの見解とあまりに一致点が多いことにびっくりしました。とくにマルクスが、共産主義の「基本原理」を「各個人の完全で自由な発展」(『資本論』)に求めたこと、そしてそれを達成する鍵はすべて人間が十分な「自由に処分できる時間」を持つことにあること--これは、私たちが、共産主義の一番の核心として強調してきたことそのものです。私が聞きたいのは、ムストさんがこういう共産主義論を、マルクスのどういうテキストを読み解いて導いたかについてです。

 ムスト マルクスは、「将来の飲食店のためのレシピを作る」(『資本論』、未来社会の「青写真」を描く)ことに関心がないとのべました。私がその意味を本当に理解するのはずっと後のことでした。私の著作を読んでいただいて、私が徹底的に、注意深く、マルクス以前の社会主義にかんする思想家たちの書いたものを読んでいることに気づいていただけたと思います。私は1789年(フランス革命)から1848年(共産党宣言)までに書かれたフランス、ドイツ、イギリスはじめあらゆる欧州の思想家の社会主義、共産主義についての著作を読みました。この研究の後、私はやっとマルクスが本当になにを言いたかったのかを理解することができました。

 マルクス以前の共産主義理論には二つの大きな問題があることを理解しました。一つは、それが一種の全体主義的なものとなっていることです。彼らはとても貧しいなかで、完全な平等を押し付けようとする。つまり非常に貧しいなかで、完全に食も服も住も全て平等にする。そういう形の社会を望めば、それは全体主義的な共産主義ということになります。

 志位 エティエンヌ・カベの『イカリア旅行記』などですね。

 ムスト 彼もその一人でしょう。二つ目の問題は、マルクス以前の思想家たちの問題は、議長が指摘されたような労働者自身による自らの解放ということを考えなかった。指導者が労働者のために決定を指導するという考えでした。マルクスの社会主義というのはその点で違うというのが私の理解です。

 そして、『資本論草稿集』がたいへん大事です。このなかでマルクスは資本主義を批判していますが、そのなかで共産主義はどうあるべきなのかについても論じています。それは初期のマルクスよりいっそう前進しており、『経済学批判要綱』(『1857~58年草稿』)ではより社会経済的な関係を論じています。

 志位 『資本論草稿集』を重視したということですね。この間、「青本」と「赤本」をまとめ、その理論的背景の二つの論文をまとめる中で、私自身がやったことについて若干、話をさせていただきたいと思います。

 社会主義・共産主義の特徴を、一言でどう言い表すか。エンゲルスは、1894年、最晩年の時期に、イタリアの社会主義者のジュゼッペ・カネパからの書簡で、共産主義社会を一言で言うスローガンについて問われて、返書で、『共産党宣言』の一節を引いて、「各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件である連合体(アソシエーション)」という言葉を紹介しました。

 私は、「各個人の完全で自由な発展を基本原理」とする社会(『資本論』)ということこそマルクス、エンゲルスが初期の時期から晩年まで一貫して追求し続けた未来社会の特質だと考えています。

 彼らは、『ドイツ・イデオロギー』では、分業の廃止にその保障を求めようとしました。しかし、どんな社会も一定の分業は必要であって、この考えは乗り越えられていきます。

 1851年、マルクスは大英博物館で一冊の匿名のパンフレットに出会います。チャールズ・ウェントワース・ディルクのものだと今ではわかっているパンフレットです。そこには、「富とは、自由に処分できる時間であって、それ以外の何ものでもない」ということが書かれていました。

 「自由な時間」の重要性については、ディルクとほぼ同じ時期に活動した、フリードリヒ・ヴィルヘルム・シュルツという経済学者の『生産の運動』という本にも書かれており、それをマルクスは、『1844年の経済学・哲学草稿』のなかで詳しく引用しています。彼は、エンゲルスとともに同じ年に書いた『聖家族』の中では、自身の言葉で「自由な時間」の重要性を語っています。

 こういう経過がありますから、マルクスはディルクのパンフレットに出会って、「わが意を得たり」という思いだったのではないでしょうか。それを「ロンドン・ノート」に書き付けます。そして、『資本論草稿』の仕事に取り組み、そのなかで資本主義的な搾取の仕組みを解き明かすなかで、搾取されているものは何かということを彼は突き詰めていった。『1861~63年草稿』でその総括的な結論が書かれていますが、そこでは搾取されているのは、「カネ」や「モノ」とともに、「自由な時間」だとのべています。「青本」と「赤本」では、そのことを思い切って前面に出して書いてみました。

 若い人の反応はとても強いです。もちろん賃金を上げてほしい。しかし「自由な時間」が欲しい、この願いは非常に強いものがあります。

 私は、マルクスの共産主義論を理解しようと思ったら、『資本論草稿集』の研究がどうしても必要だと思います。『草稿集』では、「自由な時間」についての非常に豊かな論の展開がされています。それは『資本論』の未来社会論--「真の自由の国」の拡大、そのための労働時間の短縮という提起へと、豊かな実を結んでいると思います。『資本論草稿集』と『資本論』とセットで読んで、初めてコミュニズムの豊かな姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

 ムスト 私たちは、同じ時期に二つの本を書いていて、その中で対話をしているというような感じですよね。

 志位 そうですね。

 ムスト 古くからの友人が初めてここで会ったという、そういうことを感じます。

 志位 本当に私もそう感じています。私は、あなたもおそらく『草稿集』を読み解いてこの論文を書いたのだと思います。

 ムスト その通りです。まさにお金だけでなく、「自由な時間」こそが富であるということです。私が言ったのは、社会主義はこういうものだということだけでなく、社会主義はここから始まるのだということです。この経済的自主性こそ、労働者に、「自由な時間」によって、自らを教育し、人生を謳歌(おうか)し、社会について語り、貢献し、そして社会主義を建設する。これこそが、自分が本当に若いころからの私の理解です。これを理解するのに、教授になる必要はない。社会主義とは労働時間の短縮であり、そして、そこから始まるのです。これは私にとって、理論的な発見というだけでなく、同時に政治的な認識なのです。私は、労働時間の短縮というのは、ある意味で階級意識の鏡だと思います。

 志位 「ここから始まる」というのは名言です。いまの労働時間短縮のたたかいは、未来社会へと地続きでつながっているのですから。

よりよい世界をつくるために、力をあわせよう

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(写真)対談後握手するマルチェロ・ムスト教授(左)と志位和夫議長(右)

 志位 この問題の探究を通じて、私は、マルクスが富とは何かということについて非常に豊かな捉え方をしていたと気づかされました。

 第一は、労働が生み出す物質的な富です。これがなければ人間は生きていけません。必要な物質的な富は人間の生活の土台です。

 第二は、「自由な時間」です。これが「真の富」だということです。「時間は人間の発達の場」(『賃金、価格および利潤』)というマルクスの言葉は本当に重い言葉だと思います。

 第三は、自然の富(豊かさ)という問題です。マルクスは『資本論草稿集』で最も短い労働時間で必要な物質的な富を生み出すことの重要性を語っています。これが一番人間らしい生産のあり方であって、それは環境保全ということとまさに調和すると思います。あなたが著書の中で、「労働時間短縮によって、……労働の解放は環境保護の不可欠な味方になる」とおっしゃっているのはその通りだと思います。

 第四は、人間そのものです。つまり人間の自由で全面的な発展、これこそが真の富です。マルクスは、『1857~58年草稿』で、「現実の富」とは、「すべての個人の発展した生産力である」という言い方をしています。

 物的な富、自由な時間、自然の富、そして人間そのものの自由で全面的な発展、そういうものの総体をマルクスは富として捉えていたのではないでしょうか。

 ムスト 大変美しいスローガンがかつてありました。今の時代にも通用するものです。労働者はパン(生きる糧)と共にバラ(尊厳)のためにたたかう。このスローガンです。さらにたくさんのことを話し合いたいと思いますが、本当に大事なのは、この私たちの共同をどう発展させていくかということだと思っています。

 志位 きょうは素晴らしい対談ができてうれしいです。最後に一言、対話を通じて感じたことを申しますと、あなたはマルクス研究者であるとともに革命家の魂を持っている。それが私にとって一番うれしいことです。

 ムスト ありがとうございます。私にとって最も大事なことは、今日的に重要な意味のある人間関係ができたことです。今まで以上にあなた方を理解することができました。今後の協力がすすむことを心から願っています。

 志位 私も同じ思いです。よりよい世界をつくるために力をあわせましょう。