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2025年12月8日

東南海地震の犠牲者追悼

元勤労挺身隊員「三菱は謝って」
名古屋

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(写真)追悼碑をさする鄭さん(右)=7日、名古屋市南区

 1944年12月に起きた東南海地震で、三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場(名古屋市)が倒壊し亡くなった犠牲者を追悼するつどいが7日、工場跡地に隣接する名南ふれあい病院敷地内の追悼記念碑前で開かれました。

 同工場では57人が犠牲になり、うち6人は強制動員された朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊員でした。

 集いでは、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の小出裕さんや「日帝強制動員市民の会」理事長の李國彦(イ・ググォン)さんらがあいさつをしました。

 小出さんは、石碑に刻まれた「悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む」の文言について、「真実とは、植民地支配と、それに対して清算していない真実です」と指摘しました。

 今年の集いには、挺身隊員で生存者の1人、鄭信滎(チョン・シニョン)さん(95)が約80年ぶりに来日し参加しました。当時、飛行機の塗装作業に従事していた鄭さんは、知り合いの名前が刻まれた追悼碑を涙ながらにさすり、賠償に背を向ける三菱重工に対して「三菱は80年以上、知らん顔をしている。人間だったら『ごめんなさい』の一言でもかけてほしい」と怒りを込めました。

 集いには、日本共産党の本村伸子衆院議員も参加しあいさつしました。